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    シェイムはどのようにポスト・パンクを再発見したのか?⸺ジョシュ・ファイアンティが語るバンドの原点から新作『Cutthroat』までの道のり

    • 取材:辻本秀太郎(ベース・マガジンWEB)
    • 通訳:川原真理子
    • 撮影:Kazma Kobayashi

    2010年代の終わりから盛り上がりを見せ、2020年代に花開いた何度目かのポスト・パンク・リバイバル。ブラック・ミディ、ソーリー、ブラック・カントリー・ニュー・ロード、フォンテインズD.C.、アイドルズ、スクイッドetc.……その先頭に立ってデビューし、シーンを切り開いたのが、英サウス・ロンドン発の5人組バンド、シェイムだった。2018年のデビュー以来、世界的な成功を収めながら着実にリリースを重ね、2025年9月には〈Dead Oceans〉から4枚目のアルバム『Cutthroat』を発表した。

    そして今春、FUJI ROCK FESTIVAL ’19以来となる待望の来日公演が実現。バンドのベーシスト、ジョシュ・ファイアンティをキャッチした。初インタビューとなる本記事では、彼のルーツを中心に、2000年代生まれの彼らがどのようにポスト・パンクを再発見したのか、あの鋭くエネルギッシュなリズムやベース・ラインにはどのような影響元があるのか、について語ってもらった。

    これまでの活動を振り返りつつ、最新作『Cutthroat』へと至る音楽的な変化を紐解いていこう。

    シェイム、ジョシュ・ファイアンティ

    ザ・ストゥージズとザ・フォールが二大影響源

    そう、正確にはロンドン南西部のキュー(Kew)というところで育ったんだ。

    その通り。ほかのメンバーは南部育ちだけど、僕だけ南西部なんだ。

    そう。だから飛行機の音がすごくうるさいんだよ。平和な土地なんだけど、とにかく音がすごい(笑)。

    おかしな話だけど、僕はかなり小さい頃にパンクにハマったんだ。母はコルネットを吹いていて、若い頃はコピーバンドで歌うなど、ちょっとした音楽活動をしていたらしい。だからうちの子供たちはみんな、幼い頃から音楽を学んでいたんだよ。

    僕が3歳のとき、姉がポップパンク・バンドのSum 41を聴かせてくれてね。もう完璧に聴き惚れたよ。3歳児に理由なんてわからない。ただただ大興奮していたんだ。あれが僕の最初の”どハマり”だった。それ以降も人生でハマったものはいくつかあったけど、たまたま最初がロックだったというわけさ。

    ベースを始めたのは、このバンドのせいなんだ(笑)。子供の頃はギターから始めたんだよ。『Ultimate Guitar』みたいなオンラインのタブ譜サイトで独学でね。子供の頃からネットをよく使っていたから。

    それから中等学校に進むと、今度はドラムを覚え始めた。母は僕にオーケストラでティンパニをやらせたがっていたんだけど、僕はレッスンを受けたくなかった。それでもとりあえずティンパニを叩いてみたら、先生に“いいね。今度はドラムを叩いてみるかい?”と言われて、僕は“はい!”と。実際に叩いてみたら、先生が“よし、こっちにしよう”と言ってくれたんだ。そんなわけで、バンドでドラムを叩くことが僕にとって大切な目標になっていた。

    ところが、学校で知り合ったこの連中に“ベーシストが必要なんだ”と言われてね。“僕はドラムがやりたいんだ!”と主張したんだけど、“ドラマーはもういる”と返されて、結局ベースをやることになったんだよ。もちろん、弾いてみたらとても楽しかった。

    だから、ベースを始めたのはシェイムのせいなんだけど、今では僕にとって最高の楽器さ。ここまでずっと弾き続けてきたわけだからね。

    シェイム アーティスト写真
    シェイム。左から、チャーリー・フォーブス(d)、ジョシュ・ファイアンティ、ショーン・コイル・スミス(g)、エディ・グリーン(g)、チャーリー・スティーン(vo)。

    そうだよ、いろんなつながりでね。唯一面識がなかったのが、チャーリー・フォーブス(d)だった。彼はエディ(グリーン/g)と同じ学校で、ふたりは5歳の頃からの付き合いなんだ。

    ショーン(コイル・スミス/g)とチャーリー・スティーン(vo)は8歳のときから同じ学校に通っていた。僕はチャーリー・スティーンを通じてショーンと知り合ったんだよ。

    そうなんだ。僕はエディやチャーリー・スティーンと同じ学校に通っていて、彼らを通じてショーンとも友達になった。みんなロンドン南部にいたからね。チャーリー・フォーブスとは、バンドを通じて知り合ったんだ。

    バンドを始めたのは2014年だったかな。みんなと同じ学校に通い始めたのは2008年だけど、一緒に音楽を始めたのは2014年になってからだった。彼らと音楽をやるなんて、当時の僕からすると妙なアイディアだったんだよ。

    “バンドを始めるんだ”、“え、バンドを?”って感じでね。すごくおかしなことに思えたんだ。エディとショーンがギターを弾くことは知っていたけど、僕は自分でバンドを探して別の人たちとやるものだと思っていたから、まさか僕たちでバンドを始めるなんて考えてもいなかった。

    シェイム、ジョシュ・ファイアンティ

    当時の僕はソウルやヒップホップ、ファンクが大好きで、コンピューターでビートを作っていたんだ。それがシェイムを始めることになって、ザ・ストゥージズやサークル・ジャークスといったバンドにハマった。ハードコアや、少しパンクに立ち返ったんだな。このバンドが一番手本にしようとしたのは、僕としてはイギー・アンド・ザ・ストゥージズだったと思う。

    それから、ファット・ホワイト・ファミリーのようなバンドと一緒にライヴをやるようになって、彼らがザ・フォールを教えてくれたんだ。ああいう実験的な側面には、ものすごく影響を受けたよ。というわけで、ザ・ストゥージズとザ・フォールが二大影響源だね。

    僕たちの友達はギター・バンドに興味がなかったし、当時のロンドンでは流行っていなかった

    「Concrete」は自分の部屋でできたんだ。あそこで思いついたことを憶えているよ。僕が考えたギター・パートもあったんだけど、それは今のものとはまったく違っていた。僕としては、ノー・ウェイヴのジェームス・チャンスみたいなものを作ろうとしていたんだ。なんて説明すればいいのかな……もっと不協和音的なもの、っていうか。それをバンドに持ち寄って、僕があのベースを弾き、ほかのメンバーが別のギター・パートを考えたんだ。それはそれで良かったよ。

    「The Lick」は全員で作ったんだ。僕たちはブリクストンの“The Queen’s Head”というパブから始まったんだよ。ライヴハウス“The Windmill”でよくライヴをやっていたけど、“The Queen’s Head”は僕たちにとって最初のリハーサル場所で、うちのドラマーのつてで無料で使わせてもらっていたんだ。

    「The Lick」ができた頃、僕はザ・フォールをよく聴いていた。メンバー全員が、反復性のある、僕たちがやっていたこととはかなり違う音楽にハマっていた時期でね。そんななかで自然とあの曲が生まれたんだよ。

    あれを初めてプレイしたときのボイスメモを今でも持っているけど、16分くらいあるんだ。ただひたすらグルグル弾いていたから(笑)。というわけで、みんなで一緒に作ることが多いけど、「Concrete」のベース・パートだけは僕が自分の部屋で考えたんだ。

    「Concrete」はもともとノー・ウェイヴのジェームス・チャンスに強く影響を受けていて、僕はそれを元に構築しようと思っていた。でも、それを上回る影響を受けたのが、当時新たに知ったアメリカのパーケイ・コーツやプロトマーターといったバンドだったんだ。ドラムのチャーリー・フォーブスが大ファンで、僕たち全員よく聴いていた。

    最終的なギター・ラインには、パーケイ・コーツからの影響が大きく出たんじゃないかな。だから、いくつかのフェーズがあったんだ。僕はノー・ウェイヴの曲を想定していたのに、結果的にポスト・パンクになった(笑)。当時アメリカで盛り上がっていたバンドに影響を受けたんだよ。

    僕たちが出てきた頃、英国にはそこまでのシーンがなかったんだ。その手の音楽をやっているバンドはあまりいなくて、対バンできる相手を探さないといけなかった。そうして見つけたのがソーリーだった。彼らも17歳くらいで音楽を作っていたんでね。

    今ほどは流行っていなかったと思う。パーケイ・コーツはアンダーグラウンドのなかではビッグで知られていたけど、あとはそれほどでもなかったね。僕たちがティーンエイジャーでバンドを始めた当初は、ロック・バンドをやるのはそんなにクールなことじゃなかったんだ。学校では“おまえたち、バンドを始めたんだって? 『スクール・オブ・ロック』みたいなやつ?”なんて言われたよ(笑)。

    ある意味、クールじゃなかったからこそクールだったんだ。エキサイティングだったのは、周りにバンドをやっている人がいなかったからなんだよ。僕たちの友達はギター・バンドに興味がなかったし、当時のロンドンでは流行っていなかった。

    少なくとも僕たちの仲間内には、そういう音楽を聴いている連中はいなかったね。もちろんアメリカには聴いている人たちがいて、彼らは2010年代の終わりにもっとビッグになった。2018年くらいに人気が急上昇したんじゃないかな。

    始めた頃の僕たちには、ファンクからの影響があったよ。ギターのエディがフェラ・クティの曲を元にしたものを作っていたのを憶えている。あと、ザンビアのバンド、ウィッチみたいな曲を作ろうとしたこともあった。いろんなものがごたまぜになっていたと思うけど、初期のシェイムはファンクからの影響がもっと強かったね。

    でも2ndアルバムの『Drunk Tank Pink』(2021年)にだって、ファンクの影響がうかがえる曲は結構ある。だから、影響はかなり受けていると思うよ。

    バンドを始めた頃の僕は70年代のバンドから影響を受けていたけど、2017年の終わりにブラック・ミディのようなバンドが出てきて知るようになると、彼らの初期のギグを観に行ったりもした。観た人はみんな圧倒されたんだ。だから、あのサウンドは僕たちの2ndアルバムに自然と影響を与えたんじゃないかな。僕たちの音楽を押し進めてくれたんだ。

    そして初期のサウンドには、先ほども挙げたプロトマーターみたいなバンドからの影響が間違いなくあるよ。ドラムにも大きな影響を与えたんじゃないかな。僕は、プロトマーターのベーシストのスコット・デヴィッドソンが大好きなんだ。彼は素晴らしいよ。

    それはさっきの質問にも関連する話で、2018年にはブラック・ミディやブラック・カントリー・ニュー・ロードが出てきて、とてもエキサイティングな時期だったんだ。みんなが自分たちを押し進めようとしていた。ベースがその一端を担っていたことは間違いないけど、僕たちは全員で、あらゆる要素を取り込もうとしていたんだよ。だから、変わったことをやろうとしていたんじゃないかな。そのほうがおもしろいと思ったからね。

    あと、当時は僕のベッドルームで、PCにレコーディングしてデモを作っていたんだ。1stアルバムは、みんながひとつの部屋に集まってストレートに録ったんだけど、それ以降は押し合いへし合いしながら、時にはストレートなやり方に戻ることもあった。つまり2ndアルバムの僕たちは、音楽のあらゆる要素を押し進めようとしていたんだ。

    このアルバムのプロデューサーのジェームズ・フォードが、フラット・ワウンド弦のスクワイアー製Bass VIを持っていたんだ。それは彼の秘密兵器でね。エレキ・ベースのパートを録音したあとに、Bass VIでプレイしたものを小さなギター・アンプに通してダブルにすると、強烈な音になったんだよ。だから、『Drunk Tank Pink』のベース・トーンの大半はBass VIでダブっている。彼はこれをアークティック・モンキーズとの仕事でもよく使っていたんだ。

    見た目も音も気に入っていたからね。ただ、僕は少しギターっぽく弾きすぎていたのかもしれない。大きくフル・ストロークでかき鳴らしたりしていたから(笑)。機材を持ち込む余裕があれば、今でも使いたいよ。でもライヴではスペアのプレシジョン・ベースも必要だから、現状はそこまで持っていくので手いっぱいなんだ。

    パフォーマンスに影響を及ぼしたとは言えるね。クリックなしで、その場でみんな一緒にプレイすると、まとまりは少し失われるけど、そのぶん自由がある。おかげで、もっと思い切ってやれるんだ。ライヴのエナジーとでも言うのかな。あのフィルは、どちらのレコーディング方法だったとしてもやろうと決めていたことなんだけど、(ライヴ録音だったから)僕たちはいつもより少し速くプレイしたんじゃないかな。

    テンポが速くなったり遅くなったりしたことで、より印象的になったのかもしれない。でも、ライヴではいつもそうなんだ。ライヴだと速めになることが多いから、僕はそれに合わせようとしている。あれはプレイしていてとても楽しい曲だったよ。僕たちは、超カオスな部分とわかりやすい部分のバランスを取るように心がけることがあるんだ。

    TECH21のSansamp Bass Driver DIを初期の頃から使い続けていて、僕のトーンの大部分を占めている。基本的にDRIVEは全開で、TREBLEとPRESENCEもかなり上げているんだ。ベースの音作りはなるべくシンプルにして、ギターが自由に動ける余地を残しておきたいんだと思う。僕は常にベースをドライヴさせていたいけど、クレイジーなエフェクトをかけてしまうと、その役割が損なわれてしまう気がするんだ。

    「Six-Pack」にはフランジャーのようなエフェクトがかかっているけど、あれはミックスで加えたものだよ。だから、僕のセットアップ自体はいたってシンプル。基本的には、どのアルバムでもアンペグの8×10キャビネットとサンズアンプを使っているはずだよ。

    今回の『Cutthroat』では、もっとベース・サウンドの鮮明さを打ち出したかった

    シェイム、ジョシュ・ファイアンティ

    今回は、アンペグのベース・アンプからクリーン・トーンを出したんだ。最初はサンズアンプを使わずにレコーディングしようと思っていたんだけど、プロデューサーのジョン・コングルトンが自分のサンズアンプを持っていたから、それにも並行して通すことになった。しかも、僕が使っているものとまったく同じモデル(Sansamp Bass Driver DI V2)だったんだ(笑)。ジョンは、クリーンなベース・トーンとサンズアンプの音をミックスしていたんだと思う。

    僕たちのベース・サウンドは、ライヴではレコーディングよりもずっとエグい音がする。あのエナジーを録音で捉えるのは、なかなか難しいんだ。ミックスではベースの音量を少し下げるのが自然だし、それはそれで理にかなっている。

    でも今回は、もっと音の鮮明さを打ち出したかった。だから、クリーンなアンペグの音と、コントロール・ルームにあったジョンのサンズアンプを並行して使ったんだ。アンペグのクリーン・トーンは、トレブリーなサウンドにしたかった。高音域がかなり効いているよね。

    彼も僕も、なるべくシンプルにしておきたいと考えていたんだ。具体的に何を言われたかは、ちょっと記憶がぼやけているけど(笑)、“それはやらないほうがいい”と止められたこともあったと思う。

    特に「Quiet Life」は、最初は全員が弾きすぎていた。ベースも含めて、やたらとフィルを入れていたんだ。そうしたらジョンが、“いっそ、楽器がうまく弾けないふりをしてみたら?”みたいなことを言ったんだよ(笑)。“単音で弾いて、シンプルにしてみよう”って。

    あの曲では、特にその考え方が反映されている。でも、ほとんどの場合は僕も彼と同じ意見だった。ベースをシンプルにして、ほかの楽器が入る余地をもっと残しておこうとしていたからね。

    その大半は、ジョンのミックスによるものじゃないかな。僕たちがリハーサル・ルームで演奏すれば、もっとバンドっぽい音になると思う。僕自身は、曲を作っていたときや、リハーサルで演奏していたときと同じように弾いていたんだ。

    それをジョンが、スタジオですごくダンサブルなものに変えた。彼は曲にいろいろなものをもたらしてくれたよ。僕は、彼に操られる“シンセの人形”みたいなものだった(笑)。ジョンが“ここにシンセ・ラインが必要だ”と言ったら、僕は“わかった、やるよ”と応える。大きなサブ・ベースを加えることも多かったね。だから、もともとのベース・プレイ自体が変わったわけではないけど、曲の構築の仕方には影響を与えたと思う。

    あれもサンズアンプさ!(笑)。どのベースを使ったんだったかな……Peavey T-40だったかもしれない。ピックアップの出力がすごく高くて、とても音が大きいベースだから、それがドライヴ感をさらに引き立てたんじゃないかな。

    それに、トレブルの効いたアンペグの音も大きかったと思う。もしかすると、ジョンがDistressor(Empirical Labs製/コンプレッサー)か何かをかけていたかもしれない。でも、ドライヴ感の大部分は、T-40のホットな出力によってミックスに加わったものだと思うよ。

    僕のメインの青のプレシジョン・ベース(2021年製)と、「Packshot」など数曲で使ったリッケンバッカー、それからピーヴィー T-40。だから3本だね。実は、タイトル曲の「Cutthroat」でベースを弾いているのはエディなんだ。僕はKORG minilogueとローランド Junoの2台のシンセを重ねて、同時にコードを弾いていた。あの曲では、僕はキーボードを担当していたのさ。

    キャメロン・ピクトンは素晴らしいミュージシャンだし、僕は彼の曲が大好きなんだ

    彼は素晴らしいよ。僕たちはブラック・ミディのメンバーと昔から友達で、かなり初期の頃から彼らのライヴを観ていたんだ。のちに同じマネージメントに所属することになったんだけど、実は僕たちがマネージャーに“彼らを観に行ったほうがいい”と勧めて、それからすぐに契約が決まったんだよ(笑)。だから、ずっと近い関係にあるんだ。

    キャメロンは、アイディアが浮かんだら後先を考えずにすぐ試してみるタイプなんだ。“それ、本当に大丈夫かな?”と悩むのではなく“オーケー、やってみよう”と動き出す。しかも、いつも直前なんだよ(笑)。今回は、突然メールが来て、“ジョシュ、ここでベースを弾いてみる?”と言われたんだ。“そうなんだ。じゃあ弾こうかな”と返すと、“よかった。曲があるから、一度みんなで通して、もしかしたら2日後にリリースするかもしれない。いいだろ?”って(笑)。そんな感じだから、一緒に仕事をしていて本当に楽しいよ。彼は素晴らしいミュージシャンだし、僕は彼の曲が大好きなんだ。

    キャメロンと最初に共演したのは、ウィンドミルで行なわれた即興演奏のセットだった。彼が20人くらいのミュージシャンをステージに上げるという、クレイジーな企画でね。キャメロンはいつも忙しいミュージシャンと一緒に演奏しているから、誰かの予定が空いた瞬間に声をかけているんじゃないかな(笑)。

    マイ・ニュー・バンド・ビリーヴの「Lecture 25」と「Numerology」のレコーディングも、とても楽しかった。どちらも、彼がアルバム(『My New Band Believe』/2026年)全体の骨格を作り終えたあとに録音した曲だから、ある意味ではアルバム本篇とは少し別のものなんだ。よりライヴ感があって、生々しい仕上がりになっていると思うよ。

    基本的には、彼の考えに従ったよ。彼の曲だからね。もちろんキャメロンは、“好きに弾いていいよ。飾りを加えたいなら、やりたいようにやってくれ”と言ってくれた。でも僕としては、まず曲が持っている良さをきちんと引き出したかった。だから最初は彼のディレクションに沿って弾いて、そのあとに自分なりの要素を少し加えていったんだ。

    彼はとても気さくで、一緒にいて楽な人なんだ。部屋のなかで良いアイディアが生まれて、みんなが“素晴らしい”と思えたら、それで決まり。何かを無理に押しつけるようなディレクションはなかったね。もらったデモに沿いながら、自分のタッチを少し加えて弾いた。すべてがリラックスした雰囲気で進んだし、かなり早く仕上がったよ。

    自分をひとつの型にはめないこと。ベーシストにできることは、たくさんあるんだから。“そこには手を出さないほうがいい”と思ってしまう人もいるかもしれないけど、そんなふうに遠慮する必要はない。前に出て、ギタリストを押しのけるくらいの気持ちで、もっとおもしろいことをやってみればいいんだ。それが僕からのアドバイスだね。ベーシストであることに誇りを持つこと!

    シェイム、ジョシュ・ファイアンティ

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