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INTERVIEW – キャメロン・ピクトン[ブラック・ミディ]

  • Question:Shutaro Tsujimoto
  • Translation:Tommy Morley
  • Live Photo:Burak Cingi/Getty Images
  • Artist Photo:Atiba Jefferson

地獄の業火で蠢く低音

圧倒的な演奏スキルと爆発的イマジネーションで次世代UKロック・シーンのなかでも突出した存在感を放つカリスマ、ブラック・ミディが最新アルバム『Hellfire』を今年7月にリリースした。シーンに衝撃を与えた2ndアルバム『Cavalcade』(2021年)のリリース後、ロックダウンが続くロンドンで制作された本作は前作のメロディやハーモニーを踏襲しながら、1stアルバム『Schlagenheim』(2019年)にあった性急で凶暴なバンド・アンサンブルも復活。ベーシストを務めるキャメロン・ピクトンに、今作の話はもちろん、彼らが出会いバンドを結成した音楽学校“ブリット・スクール”で学んだことから、ベース・アプローチの変遷、エフェクターへのこだわりなどについて語ってもらった。

“ギタリストがたまたまベースを弾いている”
ように見られるのがイヤだった。

──本誌初登場となります。まずはブラック・ミディを結成した経緯を教えてください。

 僕らは音楽学校で出会って結成したんだけど、卒業後は特に何をするあてもなかったので何回かショウをやってみて、その成り行きを見てみようということになった。ロンドンのいろいろなライヴ会場にかけ合ってみたらウィンドミル(編注:サウス・ロンドンに位置するライヴハウス)だけが唯一返事をくれたのだけど、ここはもう今じゃ世界的にもロンドンの音楽シーンの発信地として有名になっているよね。そこからライヴを重ねるうちに、いつの間にか注目を集めるようになり、こうやって3枚のアルバムを出して活動できているということだね。

──ベースは何がきっかけで弾き始めたのですか?

 最初はギターで音楽を学び始めて、ベースに触れたのは14歳の頃だった。当時通っていた中学校のオーケストラにアップライト・ベースが寄贈されたのがきっかけで、学校のオーケストラでレッスンを受けたんだ。

── “ベーシスト”という自覚が芽生えたのはいつ頃でしたか?

 のちに音楽専門学校に入学したんだけど、そこではギタリストは山ほどいるのにベーシストは学年にひとりという状況で(笑)。だから本職はギターだけどベースを弾くという人はたくさんいて、僕もそのひとりだった。それからブラック・ミディに入るんだけど、すでにギタリストがふたりいたから、僕はベーシストになることにした。それ以来、ギターからは離れるようになったんだ。

──ブラック・ミディはまさに、そのロンドンの音楽学校“ブリット・スクール”(編注:アデル、エイミー・ワインハウス、キング・クルール、トム・ミッシュなどを輩出した、14〜19歳の学生が在籍する無償の教育機関)で結成されたバンドですが、音楽理論はそこで学んだのですか?

 学校に通う前から勉強していたこともけっこうあるけど、基本的にはタブ譜や楽譜ではなく、自分の耳を頼りにギターを学んでいたよ。音楽学校入学後は、もちろん理論についてもたくさん学んだけどね。でも、プロ・レベルの読譜は一切できないよ。

──ブリット・スクールでは、ベースに関してはどんなレッスンを受けましたか?

 ベースのレッスンで印象的だったのは、初めてレッスンを受け出したときにモータウンを題材にする機会があって、「I Heard it Through the Grapevine」でのジェームス・ジェマーソンのベース・ラインを学んだときかな。リハーサル前夜にしっかりと覚えていざスタジオに行ったら、先生に“お前の弾き方はまったくもって間違っている。完璧にオリジナルに忠実に演奏しなきゃダメだ”と言われてね。あの時期は、かなり厳しい指導を受けていたな(笑)。

『Hellfire』
Beat Records/Rough Trade
RT0321CDJP(CD 国内盤)
左から、キャメロン・ピクトン、ジョーディ・グリープ(vo,g)、モーガン・シンプソン(d)。

──ブラック・ミディの音楽性は、ロックやジャズにとどまらず、クラシック、プログレ、エクスペリメンタルなどさまざまな要素を含んでいます。キャメロンさん個人としては、どんな音楽に影響を受けてきましたか?

 子供の頃からそういった音楽にはけっこう触れてきたよ。10代の頃はエレクトロニックな音楽を聴くかたわらでバート・ヤンシュやジョン・レンボーンのようなイギリスのフォーク音楽も聴いていた。ギターをメインに弾いていた頃、彼らは僕にとってのギター・ヒーローだったんだ。ペンタングル時代からずっと彼らのトレードマークだった、アメリカのフォークにも通じるフィンガー・ピッキングのスタイルには特に影響を受けたよ。それから、音楽学校に通うようになってからは音楽を幅広く聴くことが推奨されたようなところもあって、自分が聴きたいと思えるもの以外のものも聴くようになった。オープンなマインドで音楽に接することで音楽家としてさらに解釈の幅を広げることができるということを教えられたよ。

──1stアルバム『Schlagenheim』(2019年)の頃までにベーシストとしてのスタイルはどのように形成されていきましたか?

『Schlagenheim』収録曲「bmbmbm」のパフォーマンス。

 はじめの頃の僕は “ギタリストがたまたまベースを弾いている”ように見られるのがイヤで、だからこそ、むしろ自分がギタリストであることを隠すんじゃなくてギターで学んできたことをベースに応用したいと思っていた。コードを弾いたり、ピックを使った経験をベースに生かしたかったし、ベースを音程の低いギターと捉えてメロディックに弾いてやろうと考えていたよ。でもそれがあったから、ロンドンのシーンでもほかのベーシストとはひと味違う、“ベースでリズム・ギターを弾く”ようなスタイルになっていたんじゃないかな。ブラック・ミディを始めて2年くらいすると、指弾きにも慣れて、ベーシストらしい考えができるようになっていたけどね。

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