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    【ニッポンの低音名人extra】 – 田中章弘

    • Text:Koichi Sakaue
    • Photo:Eiji Kikuchi

    関係者が語る田中章弘 – 01

    鈴木茂の証言

    一度自分のものにした瞬間から、すごいグルーヴが出てくる。

     ハックルバックは、ソロ・アルバム『BAND WAGON』(1975年)の曲を日本で再現するためにスタートしたバンド。だからハックルバックのメンバーとプレイしたとき、正直に言えば、もう少しアルバムのサウンドに近づけたプレイをしてほしいって気持ちはありました。でも、あるときそれは違うなって気づいたんです。それ以来、メンバーのいいところを生かす方向で考えるようになった。彼らが彼らなりに演奏してくれたものを、少しだけ修正するっていう方向に変えたんです。結局アルバム『BAND WAGON』を再現するバンドにはならなかったけど、違った意味で、自分のロックの面を出すことができた。そういう意味では彼らに感謝してます。

     田中くんって実はそんなに器用じゃないんですよ。新しい曲も、すぐ覚えてミスなく弾いちゃう人はいるけど、田中くんはそういうタイプとは違う。でもね、時間はかかっても彼は、一度自分のものにするとあとは、なんていうのかな、すごいグルーヴが出てくるんです。プレイにグルーヴを持ってる人。それが彼の一番いいところ。フレーズがちょっと違っていようが、それなりのノリを作ってくれる。だから一緒にやってて気持ちいい。そこが素晴らしいです。

     解散してしばらくして、1999年にまたハックルバックで再活動したんです。それはね、いろんな人のツアーとかスタジオのセッションが、僕にとってだんだんつまらなくなってきた頃でね。それで、またやろうって気になってまわりに声をかけた。このときのドラムは青山純だった。あと佐藤博さんに田中くん。あと田中くんがユーミンのツアーで一緒だったギターの市川(祥治)くんを連れてきてくれた。渋谷のクアトロでは南佳孝&ハックルバックっていうことでもやった。何回かやってたと思います。

     2016年には、中西(康晴/k)くんと田中くんと、ドラムは上原ユカリ(裕)で。それでゲストに吉田美奈子(vo)。そういうメンバーでやったりとかしてました。今でもたまにあるんですけど。

     つまりね、ハックルバックではほかのメンバーは変わっても、ベースはずっと田中くんなんです。当時の曲をやるときにはやっぱり田中くんだとやりやすい。

     ベースって、ドラムが叩いた基本のリズムに、音程を使ってリズムを完成させてくれる立場のパートっていう風に捉えてるんですよ。小原(礼)くんにしても細野(晴臣)さんにしても、田中くんにしても、そういう感じありますから。だから建築でいう土台ですよね。その上に乗っかってギターとかが内装を作るというかね。そういう意味でいうと田中くんが作る土台はしっかりしてる。

     彼はものすごいオシャレなタイプではない。でもフュージョン系の人よりも、僕は彼みたいなゴツッとした音を出すタイプのほうがいい。とにかくね、許せないのはノリが軽い人ね(笑)。ノリが軽いと、どんなウマくても自分の作った曲を壊されたような気になっちゃうから。その点、田中くんはそういった部分で期待を裏切ることは絶対にないですから。そういう意味で僕は彼を信頼してます。

    すずき・しげる○1951年、東京生まれ。高校で小原礼(b)や林立夫(d)と知り合い、SKYEを結成。1969年にはっぴいえんどでプロ・デビューし、3枚のアルバムを残す。その後キャラメル・ママ〜ティン・パン・アレーで活動中、1974年に単身アメリカに渡りソロ・アルバム『BAND WAGON』を録音。帰国してから鈴木茂とハックルバックを結成して活動。その後スタジオワークやアレンジ、プロデュースなど多忙な日々を過ごしながらもソロ・アルバムを7枚発表。2021年、高校時代からプレイしていた小原礼、林立夫に松任谷正隆(k)を加えて新生SKYEを結成。
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    関係者が語る田中章弘 – 02

    武部聡志の証言

    抽象的なことも、イメージどおりに表現してくれるプレイヤー。

     ユーミンのツアーって体育会の部活みたいで、先輩後輩の上下関係はあるし、もちろん和気あいあいとしてる部分もあるけど、音楽の面ではとても厳しいです。松任谷(正隆)さんの演出があるから、それに合わせて、たとえば照明が変化したり、ダンサーが出てきたりとかで、音もピッタリとそれに合わせていく必要がある。

     だからステージが終わると反省会をやるんです。ここがダメとか、ここがいまひとつとか。たとえば曲間が1秒長いとか、タイミングが違うとかね。それでツアーを重ねていくと、ステージのクオリティがだんだん高くなっていく。

     演出が複雑で緻密だから、演奏という面では自由にやれる部分は決して多くないと思います。間違えたらダメだし、タイミングも絶対にハズせない。だからプレイヤーにとっては、かなり高いレベルのプレイが要求されると思いますね。

     で、間違えなきゃそれでいいかっていうと、それだけでもダメ。つまりユーミンの世界を作り上げないとならないですから。うまくいかないときは、うまくいくまで何度でもやり直します。ゲネプロなんかでも、うまくいかなくて夜通しやったりしたこともあります。

     プレイに関しては、もっとシンプルにとか、もっと動いてとか、そういう言い方はするけど、僕はフレーズを細かく指定したりするタイプじゃない。それにリクエストはするけど、それは僕の要求というより、曲が求めてるということなんです。

     ベースの役割って、ユーミンのツアーに関して言うなら、ドラムと一緒に低音部を支えてリズムを作ってもらうだけじゃ足りないんですよ。それをしたうえで、曲ごとの世界を描いていって、ひとつのコンサートの世界観を作り上げる必要があるから。ユーミンの曲って詞の世界がすごいでしょ。だからサウンドもその世界を描いていかないとならないんです。例えば「雨のステイション」だったら、6月に降ってる雨の雰囲気をプレイで表現しなきゃいけない。抽象的だから難しいけど、そういうのができないとならない。

     彼のほうが少し年上だけど、だいたい僕と同世代だから、僕がリアルタイムで聴いてきた音楽は、彼もみんな知ってる。だから“あんな感じ”と言ったらすぐに通じる。やっぱり“こういう感じ”って説明しても、わかってくれる人とそうでない人がいるんですよ。田中さんはすぐわかって反応してくれるから、やってても安心ですね。

     ベース・ソロをやってもらったこともあったな。たとえば“ラリー・グラハムみたいな感じで”とか。でもベースの例じゃなくても、例えば“パット・メセニーみたいな感じで”とか言うと、彼はすぐわかる。だから何かリクエストしても、思ったとおりの雰囲気でプレイしてくれる。

     彼はものすごくお酒を飲む人だけど、僕はあんまり飲むほうじゃなかったから、打ち上げで一緒に盛り上がったりとかはなかったけど、それでも楽屋でちょこちょこ音楽の話とかはしてましたね。

    たけべ・さとし○作・編曲家、音楽プロデューサー。国立音楽大学在学時より、キーボーディスト、アレンジャーとして数多くのアーティストを手がける。1983年より松任谷由実コンサート・ツアーの音楽監督を担当。一青窈、今井美樹、JUJU、ゆず、平井堅などのプロデュース、CX系ドラマ『BEACH BOYS』『西遊記』などの音楽担当、『僕らの音楽』のほか、『MUSIC FAIR』『FNS歌謡祭』の音楽監督、スタジオジブリ作品『コクリコ坂から』『アーヤと魔女』の音楽担当など、多岐にわたり活躍している。
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