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【ニッポンの低音名人extra】 – 田中章弘

  • Text:Koichi Sakaue
  • Photo:Eiji Kikuchi

ROOTS of 田中章弘

田中章弘が影響を受けた作品を紹介。

『ハワイの若大将』
DVD
(2020年、映画公開は1963年)


1963年に公開された『若大将シリーズ』の第4弾。当時の日本人にとって憧れの地であったハワイでのロケを敢行し、日本中を熱狂させた。「DEDICATED」(恋は赤いバラ)などの劇中歌も話題に。
『ミート・ザ・ビートルズ』
ザ・ビートルズ
(1964年)


ビートルズのアメリカでのデビュー・アルバムで、ビルボードのアルバム・チャートでは連続11週1位に輝いた。「抱きしめたい」「オール・マイ・ラヴィング」などが収録されている。
『リズム&ブルース天国』
デ・スーナーズ
(1968年)


GSブームが吹き荒れるなか日本デビューを果たしたフィリピン出身のバンド。演奏力の確かさには定評があり、日本でのライヴ活動も精力的に行なっており、影響を受けた日本人ミュージシャンは多い。
『ザ・チャック・レイニー・コーリション』
チャック・レイニー
(1969年)


超売れっ子ベーシストがリリースしたファースト・ソロ・アルバム。ボトムだけでなく、ラインを作って動くスタイルに、田中は大いに影響を受けた。ユーミンのツアーで使用した青いジャズベは、このジャケット写真を見て以来、憧れ続けており、長く探した末に出会って購入したもの。
『ホワッツ・ゴーイン・オン』
マーヴィン・ゲイ
(1971年)


天才ベーシスト、ジェームス・ジェマーソンの名演のひとつ。本アルバムより前のモータウン・レコードのアルバムにはミュージシャンのクレジットがなく、田中は本アルバムで初めてベーシストの名前を知った。
『スマックウォーター・ジャック』
クインシー・ジョーンズ
(1971年)


本作にも収録されている名曲「ホワッツ・ゴーイン・オン」は途中で4ビートに変化するが、田中はチャック・レイニーのベースによるこの曲もコピー。クインシーのアレンジも好きで、よく聴いたという。
『ライヴ!』
ダニー・ハサウェイ
(1972年)


ソウル・ミュージックの歴史に残る傑作ライヴ・アルバム。収録曲「ゲットー」ではウィリー・ウィークスによる圧巻のベース・ソロが聴ける。田中はこの曲で、ベース・ソロを勉強させてもらったと語っている。
『フー・イズ・ジス・ビッチ、エニウェイ?』
マリーナ・ショウ
(1975年)


アメリカ西海岸の一流セッションマンが集結してできた奇跡の名盤。ベースはチャック・レイニーで、速い16ビートから4ビート、スロー・バラードに至るまで珠玉の名演がぎっしり。“カッコいいですよね”と田中は手放しで褒める。
『ヘッド・ハンターズ』
ハービー・ハンコック
(1973年)


ジャズの巨匠がファンク・ビートを大胆に導入したことで話題なった。シンセ・ベースと(ポール・ジャクソンによる)エレクトリック・ベースが組み合わさり、クロスオーバー、フュージョンの走りとなった。
『ジャコ・パストリアスの肖像』
ジャコ・パストリアス
(1976年)


田中だけでなく世界中のベーシストに衝撃をもたらしたジャコのソロ。田中曰く“チャーリー・パーカーの「ドナ・リー」をベースでやっちゃうなんて、すごいなって。どうなってるの?って思いました”。

SELECTED DISCOGRAPHY

田中章弘の参加作品から注目盤をピックアップ。

『悲しみの街』
オリジナル・ザ・ディラン
(1974年)


大阪のスタジオで録音された、田中にとって初のアルバム。全曲西岡恭蔵による楽曲で、ロック、フォーク、カントリーなどバラエティに富んだ内容になっている。鈴木茂“抜き”の(その後の)ハックルバックの3名による演奏も存分に楽しめる。
『幻のハックルバック』
鈴木茂とハックルバック
(1976年)


当初はカセット・テープで発売されたデビュー・アルバムで、グループ唯一のスタジオ録音アルバムとなった。1989年にCD化され、1996年には紙ジャケで再リリースされている。ライヴと同じアレンジで、1日で録り終えたという。
『キャラメル・ママ』
ティン・パン・アレー
(1975年)


松任谷正隆(k)、細野晴臣(b)、鈴木茂(g)、林立夫(d)の4人を中心としたユニットのデビュー・アルバム。荒井由実、矢野顕子、南佳孝、山下達郎、大貫妙子などが参加しており、田中は「はあどぼいるど町」でベースを弾いている。
『泰安洋行』
細野晴臣
(1976年)


細野晴臣の3rdソロ・アルバムで、『トロピカル・ダンディー』(1975年)、『はらいそ』(1978年)とともにトロピカル3部作と呼ばれている。鈴木茂(g)、林立夫(d)、佐藤博(k)、矢野顕子(k)などが参加。
『GO! GO! NIAGARA』
大瀧詠一
(1976年)


大瀧自身がDJを務めたラジオ番組『GO! GO! NIAGARA』をそのままタイトルにして、福生45スタジオ(大瀧の自宅スタジオ)で録音された3rdソロ・アルバム。田中はこのスタジオで山下達郎や伊藤銀次、大貫妙子らシュガー・ベイブの面々と出会う。
『DEADLY DRIVE』
伊藤銀次
(1977年)


りりィのバック・バンドであるバイバイ・セッション・バンドのメンバーを中心に録音された伊藤銀次の初ソロ・アルバム。上原“ユカリ”裕(d)とともに田中は全曲で参加。このレコーディングが縁で、田中と上原による強力なリズム体が誕生する。
『GO AHEAD!』
山下達郎
(1978年)


山下達郎の通算3枚目のアルバムで、田中は前作である『SPACY』(1977年)から参加している。最初に録音された曲「BOMBER」がヒットし、山下達郎がメジャー・アーティストとなるきっかけを作った。
『虹伝説』
高中正義
(1981年)


イタリアの絵本作家による“虹を食べる7匹の小鬼の物語”をベースにした高中正義にとって初の2枚組コンセプト・アルバム。収録曲が次々に、ドラマ『北の国から』の挿入歌やCM曲などに起用されヒットした。
『Reflections』
寺尾聰
(1981年)


俳優としても活動する寺尾聰が発表した2ndアルバム。シングル「ルビーの指環」が大ヒットし、日本レコード大賞を受賞した。全曲井上鑑によるアレンジで、井上の譜面の細かさに苦労したと田中はのちに語っている。
『Yumi Arai The Concert with old Friends』
荒井由実
(1996年)


松任谷由実が、荒井由実時代のサポート・メンバーを集めて、当時の曲を中心に演奏したライヴの模様を収録し、荒井由実名義でリリースされた。約10年間、音楽業界から遠ざかっていた林立夫(d)は本作をきっかけに音楽シーンに復帰。
『1975 LIVE』
鈴木茂とハックルバック
(2015年)


1975年に行なわれた『ベイエリア・コンサート スーパーロックジェネレーション』(大阪サンケイホール)や『ファースト&ラスト・コンサート』(京都会館)でのライヴとリハーサルの音源を使った2枚組アルバム。

【お知らせ】
発売中のベース・マガジン2021年11月号の『ニッポンの低音名人』では、田中章弘のこれまでの軌跡を追ったロング・インタビューを掲載!

PROFILE
たなか・あきひろ○1954年、大阪府大阪市出身。中学時代にベースを始め、高校ではバンドでラジオに出演。高校時代に全日本フォーク・ジャンボリー、春一番コンサートという大規模な野外フェスへの出演を経験する。1974年、鈴木茂の誘いで上京し、鈴木茂&ハックルバックを結成。解散後はティン・パン・アレー・ファミリーの一員として細野晴臣のサポートや、大瀧詠一、山下達郎、大貫妙子らの作品に参加しつつ、スタジオワークもこなす。高中正義や井上陽水、寺尾聰のツアー参加ののち、1983年から約30年にわたって松任谷由実のツアー・サポートを務め続けた。松任谷由実のツアーを退いてからは、鈴木茂や小坂忠らとライヴ、レコーディングを精力的に行なう。