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INTERVIEW – 原昌和 [the band apart]

  • Photo:Kanade Nishikata
  • Interview:Tomoya Zama

個の尊重のなかで生まれる
自由で無二たる低音

 コロナ禍において、アコースティック編成でのアルバム・リリースや4ヵ月連続での2曲入りシングルの発表、大阪での主催イベントの開催など精力的な活動を展開してきたthe band apart。彼らが、実に5年ぶりとなる9枚目のフル・アルバム『Ninja of Four』を満を持してリリースした。彼らの現在地を一切の妥協なく表現した本作は、それぞれのメンバーが楽曲プロデュースを務め、ベース・ラインは作曲者の意図に沿いながらも、ときにタイトに、ときにメロディアスに、さまざまな表情で楽曲を彩っている。本来はツアー前に発表する予定がツアー途中のリリースに延期するなど、“難産だった”と制作を振り返るベーシストの原昌和に、本作について話を聞いた。

見聞きしたことが
音楽に変換されているんだなと実感した。

――前作『Memories to Go』から5年ぶりのフル・アルバムとなりましたが、バンドとしてこの5年間はどんな期間でしたか?

 時代が変わってきたなぁって感じる5年間でしたね。その前からでしたけどCD自体が売れなくなってきて、加えてコロナ禍だったじゃないですか。だからやっぱりバンドもやり方を考えていかなきゃいけないなと。今までどおりのルーティーンの金の稼ぎ方というか、これまでの想像力だけでは乗り切れない時代になってきたんじゃないかなと感じていました。

――この期間、YouTubeの配信など新しい試みもしていまいたよね?

 基本的には僕は音楽をやりたいだけなので、金を稼ぐ方法なんて何でもいいんです。本当はお金を稼ぐ人がバンドとは別にいてチーム分けができていて、僕らは音楽をやっていればいいっていう立場になれれば、一番バンドとしては負担が少ないと思うんですよね。でも、うちのレーベルはそうではないので、結局自分らでお金を稼いでいかなきゃならない。バンドだけをやっていてもお金が入ってこないので、お金の素人がそういうことを考えていかなきゃいけないんですよ。

――そんな激動の時代のなかで生まれた今作ですが、制作過程はいかがでしたか?

 今回のアルバムで言うと、僕個人としてはすごく難産でした。やっぱりこのコロナ騒動で、能動的じゃないと刺激を受けれられなかったっていう状況があったと思うんですよね。人に会うことも難しかったので、呼吸は浅く家にこもっているっていう状態が続いたんです。それに良いも悪いもないんですけど、そこで結局自分は見聞きしたことが音楽に変換されているんだなと実感しました。世間を見て苛立ったり、身の回りで起きた出来事に僕は影響を受けて、それを曲に変換して排出していたんだなぁと思いました。得るものや見聞きするものが少なくなると、そこからアウトプットされることも少なくなるというか。

『Ninja of Four』
asian gothic label
ASG-055(通常盤)

――フェスをはじめ、現場に出ていく機会も減っていきましたよね

 フェスに限らずライヴ自体が少なくて人に会うことも減っていた時期なので、自分ひとりの時間のなかで感じたものが今作には反映されているかもしれませんね。

――なるほど。今作の曲作りやベース・プレイはどういう流れで考えていきましたか?

 今の僕らは、メンバーそれぞれが自分で作った曲をプロデュースするという形なんです。ベースに関しては、ほかのメンバーが作った曲の場合ベース・ラインがガッツリ作り込まれているときもあるし、お任せされることもありますね。でも、基本的に曲の全体像について主導権を握っているのは作曲者なんです。だからそこの意図に沿うように作っています。制作全体を誰かが引っ張っていたりするわけじゃないんですよね。

――制作開始の際にアルバムの方向性を話し合ったりは?

 ないですね。漫画で言うところの書き下ろしの詰め合わせです。それはもう昔からそうなんですよ。“こんなアルバムにしよう”なんていうところから始まらないですよね、僕らは。

――発売が予定より遅れてレコ発ツアー中のリリースとなったのは、妥協を許さない楽曲作りを目指した結果だそうですね?

 妥協してのリリースなんてつまらないじゃないですか。結局ひとりひとりがプロデューサーなので、楽曲に関してはそのひとりが納得するというのを大事にしているんですよ。曲に関しては全体のイメージがよくわからないままベースを録る場合もあって、そういう曲はライヴでやるまでは全体像がよくわかってないっていうレベルの曲の認知度だったりする。ライヴをやりながら“なるほど、こういう曲だったのか”と自分のなかに染み込ませていくんです。

――その過程でベース・ラインが変わったりすることもあるんですか?

 そうですね。僕はあんまりベース・ラインを決めていなくて、なんとなくで弾けるのが一番いいと思ってます。そのときどきで何かアクセントをつけたりっていうほうが楽しいし、そのほうがライヴ感が出る。さすがに音楽じゃなくなっちゃうようなことはしたくないので、守るべきところは守って、あとはある程度自由っていう。

――原さんは作曲の際、デモの時点ではどれぐらいまで曲を作り込むのでしょうか?

 僕の場合は全部作ります。このパートはこうだってガチガチに僕が決めた状態で録音しますね。ソロのパートがある曲とかは、川崎(亘一/g)が弾きたいように弾いてくれって伝えますけど。

――今作で原さんが作曲したのは「夏休みはもう終わりかい」と「酩酊花火」ということですが、「夏休みはもう終わりかい」は曲を通してメロディアスなベース・リフが全体をリードしている楽曲ですよね。

 これは基本的に“僕が作った曲”って感じの曲だと思うんですけど、あんまり聴いたことのない感じにしたかったんです。このベース・リフはその要素になってるかもしれませんね。僕は毎回自分が聴くために曲を作っているという感じで。自分が聴いて、あわよくばそれで感動できればそれほどいいことはないじゃないですか? だから、自分を騙せるというか、自分を没頭させられるかどうかっていうのが僕の曲作りのOKラインなんです。例えばコンビニで曲が流れて足を止めるかどうかとか、そんな基準ですね。

――そういう意味で、この「夏休み終わりかい」ではどういった点に意識を置き、ベース・ラインを発想したのでしょうか?

 曲によりますけど作曲は基本ギター・スタートなので、この曲も作曲自体はベースっていうよりギターで作っているんです。ベースはあとから決まっていきましたね。ベースって、僕にとってはすごく自由な楽器なんです。曲を聴いていてベースは最初に飛び込んでくるもんじゃないし、ルートもハーモニーも全部ギターが弾いてくれてますからね。別にルートさえハズさなきゃ、ベースがギターの弾いてるルートとハーモニーになってるってパターンも全然ありだとまで思ってますよ。

――なるほど。アウトロでは雰囲気がガラッと変わってますが、ここはどういった意図だったのでしょうか?

 究極、あれをやりたくて前のパートを足してったらああなったんですよ。ライヴでやったらカッコいいだろうなっていうところからの発想でしたね。

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