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    ピノ・パラディーノ:偉大なるベーシスト100人

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    ピノ・パラディーノのセッション哲学に迫るインタビューを読む【偉大なるベーシスト100人】

    現在発売中の『ベース・マガジン2025年2月号』の特集企画は、プロ・ベーシストたちによるアンケートで選ばれた“偉大なる100人のベーシスト”をランキング形式で紹介する「THE GREATEST BASSISTS 100」。

    ベーマガWEBでは、本誌のバックナンバーから「THE GREATEST BASSISTS 100」で100位以内に登場した“偉大なベーシスト”の過去記事を取り上げる。

    今回取り上げるのは、ピノ・パラディーノ。古くはポール・ヤングやゲイリー・ニューマン作品におけるフレットレス・プレイ、90年代からはディアンジェロやジョン・メイヤーとの活動、ジョン・エントウィッスルを失ったザ・フーのサポートと、70年代末から現在に至るまで、膨大な音楽を手がけてきたセッション界のトップ・プレイヤーだ。2021年には47年間のキャリアで初となるリーダー・アルバム『Notes With Attachments』を発表し、翌年に同作のコラボレーターであるブレイク・ミルズ(g)ととに来日公演を行なったことも記憶に新しい。

    ピノが本誌の表紙を飾ったのは、1993年1月号。そのインタビューの冒頭部分をお届けしよう。

    ベース・マガジン1991年3月号
    1991年3月号

    結局は、自分がプレイする以前の曲の状態よりも良い状態にするってことだね。

    ピノ・パラディーノ 1991年3月号

     イギリスでもっとも売れっ子のセッション・ベーシストのひとりがピノ・パラディーノである。いくつかのセッションを経てゴー・ウエストのサポート、そしてポール・ヤングのレコーディング及びツアー・メンバーとして一躍その名を知られるようになった彼は、その後数多くのセッションに起用され、ジュリア・フォーダムのアルバムなどではレギュラー的な扱いをされている。彼の持ち味はミュージックマン・フレットレスによる表現力豊かなプレイ。そのプレイはたいしていのポップ・ミュージックに対して非常に批判的なアンソニー・ジャクソンをして絶賛させるほどのものなのだ。
     イタリア人の父親とウェールズ人の母親を持つ彼は、UK 有数の工業地帯として知られるサウス・ウェールズ、カーディフに1957年10月10日に生まれた。80年代の初頭に仕事のためにロンドンに移り、今はロンドン東南部のブラックヒースに落ち着いた。ブラックヒースは19世紀風のたたずまいを残した土地で、ピノの大の親友である元スクィーズのキーボーディスト、ジュールス・ホランドのスタジオからも近い。ピノは妻と5歳と4か月のふたりの子供と共に暮らしていて、イタリア人の血をひくせいか美味しいコーヒーとパスタを自分で料理するのが大好きだそうだ。

    ピノ:まだ出てないポール・ヤングのニュー・アルバムのうち4、5曲をLAでレコーディングした。それからまたLAに行って、ポール・ロジャースの新しいプロジェクトにも参加したよ。これはマティ・ウォーターズに捧げるもので、大半が初期のマディの曲なんだ。あれは楽しかったね。2日前にはオーストラリアのシンガー・ソングライターでブルース・ギタリストのジョニー・ディーゼルのセッションをやった。それに今年はエルトン・ジョンのアルバムにも参加したなあ。

     僕は、できれば1日とか1曲だけプレイするんじゃなくて、プロジェクトそのものに関わりたいと思っている。単にバッキング・トラックをレコーディングするんじゃなくてね。ごく普通のベースを弾くのもいいから、自分も参加したと感じられることをしたい。金で雇われたただのミュージシャンというんじゃなくて……いつだってそうなるのだけは避けるようにしているんだ。

    ピノ: 僕にはマネージャーがいないし、フィクサーを通すこともない。たいていは直接電話がかかってくるんだ。一緒に仕事をしたことのあるアーティストの紹介で連絡をとってきたね。そんな風だから個人的なつながりが重要ってわけ。

    ピノ:お金になるのは確かだけど、基本的にはやりたくないんだよ。数カ月前にTVのCFを一本やったけどね。

    ピノ:たいていはアレンジだけだね。セッションに参加すると言っても本当にいろんなやり方がある。ミュージシャン全員でライヴ・レコーディングすることもあれば、プロデューサーの方針で僕とドラマーが話し合い、リズム・セクションを組み立てることもある。ほとんど完成されたアルバムにベース・パートを加えることもあって、そういう場合は自宅のスタジオで作業をする。これもなかなか楽しいよ。

     結局は、自分がプレイする以前の曲の状態よりも良い状態にするってことだね。ただ役目を果たすというんじゃなくて、何かを加えるべく努力する。普通はアーティストがデモを作ってくるけど、まあ異常に複雑でない限りはセッションの前にテープを送ってもらう必要はないんだ。たいていはスタジオに入ってから曲を聴き、プレイする。

    ピノ:あれはロンドンで初めてやったバンドなんだ。ライヴ・バンドだったね。アルバムも1枚出したけど。その後ゲイリー・ニューマンと活動してアルバム1枚、ツアーに1回参加した。それからポール・ヤングのアルバム。いわゆるセッションの仕事としてはそれが初めてだったんだ。ポールのヒット曲のおかげで、いろんなセッションに呼ばれるようになった。82年頃のことかな。(↓つづく)

    Interview: Brian Jacobs, Translation: Kayoko Takahashi

    ピノ・パラディーノ 1991年3月号
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