NOTES
UP
【職人探訪】第1回 – 楽器テック:永野治[MOBY DICK]前篇
- Text:Zine Hagihara
ミュージシャンが活躍する裏側には、その相棒とも言える楽器や、彼らの戦場となるステージなど、音楽を支える職人たちがいる。彼らが持つ役割は、音楽業界には欠かすことのできないものであるが、職人たる技術を身に付ける道中は厳しい。彼らはどのような経緯を以ってその職に携わっているのか。この企画では生い立ち、下積み時代、そして現在地までを深く掘りさげ、御用達のベーシストたちの証言を交えて職人たちの哲学をひも解いていきたい。第1回は凄腕テックを擁する株式会社モビーディックの社長、永野治が登場だ。
敏腕テック集団を擁する株式会社モビーディックの長、永野治
新型コロナウィルスの影響で、音楽業界における“ライヴ”のあり方が、この春から変わろうとしている。そのなかで、ひとりの職人が嘆いた。
“レコーディングや楽器レンタル、スタジオ事業などもやっているんですが、我々はライヴでのサービスをメインでやってきているので、今回は完全にジョーカーを引いた感じです”。
だが、凄腕のテック/ローディを多数擁する株式会社モビーディック(MOBY DICK)のTOP=永野治の目には静かな炎が宿っている。モビーディックは1991年3月の設立以来、あくまでロック・サウンドにこだわる姿勢がトップ・アーティストたちに認められ、音楽業界の最前線を走り続けてきた。それだけにこの状況にも屈しないのだろう。携わる事業は手広く、ライヴやイベントの制作/仕切りや現場へのテック/ローディの派遣のほか、プロユースのリハーサル・スタジオ“赤鬼”の経営、レコーディングの制作/プロデュースなど、多彩な展開をしている。そして永野は、社長でありながら現場におもむく職人でもある。
“テックとしてもライヴ現場に行きますし、コ・プロデューサーとしてレコーディングの仕事もけっこうやらしてもらっています。テックもプロデュースも同じような部分が多くて、そのバンドが理想とするサウンドを模索するなかで、わからないことを手伝ってあげる。バンドが次の扉を開けようとしているときに、背中を押してあげるんです”。
“レコーディングの現場を例に言うなら、ライヴもレコーディングも現場を担当しているThe BONEZというバンドでは、ベースのT$UYO$HIくんは曲作りやアレンジメントに対して俯瞰した目を持つプロデューサーでもあるんですが、それに対して僕はコ・プロデューサーとして、レコーディングの日程を決めるところから、その日に録る曲、その曲に合うスタジオ選び、そして楽曲のカラーに適した機材を用意し、プレイヤーに最適なセッティングを施すところまでを担当します。出来上がった作品のイメージはバンドが持っているので、そこにたどり着くまでのさまざまな最適解を予算のなかで決めていくんです”。
無数の分かれ道から最適解を選ぶには、多くの知識と経験が必要であるのは言うまでもない。永野は、最新の音楽を常にチェックし、新たに発表された楽器や機材はすぐに試すという日々の研鑽を続ける。彼を突き動かすのは音楽そのものへの愛であるが、それはどのように培われたのだろうか。
VOICE OF BASSIST – 01
T$UYO$HI(The BONEZ)
——永野治さんのテックとしての技術力をどのように思いますか?
やはりオールドの楽器はもちろん、“本物のいい音”を知ってる人だと思います。でもロックだけでなくダンス・ミュージックをはじめとした最近の音楽もチェックしてるから、会話がスムーズだってところが重要だと思いますね。“ああいう音にしたい”って言ったときの“ああいう音”がちゃんと通じる。
——永野さんに関する印象的なエピソードを聞かせてください。
PTP(Pay money To my Pain)でのツアー先の神戸で、その日プライベートで嫌なことがあったK(vo)が、コンビニに停めてあった自転車を蹴飛ばして。要は物に当たったんですよ。そのときに“俺はそういうことするの好きじゃねーなー! 人の物にそんなことすんなよー!”ってその場で説教したんですよ。まっすぐでいいなと思いましたね。
でも現場で頭に来て自分の携帯を床に叩きつけて壊しちゃったのは二度見したことがあります(笑)。
——約30年もの間、永野さんがモビーディックの代表として音楽業界を支えてこれた理由はなんだと思いますか?
自分自身がいまだに音楽ファンだからじゃないですかね。来日しないアーティストのライヴを観にわざわざアメリカまで行っちゃうし、タワレコでCD大量買いして嬉しそうだし、パソコン開けばデジマートで機材ばっか見てる(笑)。そして何より音楽、音作りに対して時間を惜しまないですね。
PTPでもThe BONEZでも一緒にいろんな景色を観てきました。とっても感謝してます。これからも少年の心を持ち続けた人でいてほしいです。