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    【ニッポンの低音名人extra】 – 六川正彦

    • Text:Koichi Sakaue
    • Photo:Eiji Kikuchi

    信頼の輪を、コツコツと

     そうして六川は周囲からの信頼を得ていったわけだが、同時に六川も多くの才能に触れて刺激を受けるようになる。新たな出会いもあれば、旧知の仲間からの久々の誘いもあった。刺激を受けた新たな出会いとしては、スタジオワークを始めたことで知り合った土方隆行(g)や渡嘉敷祐一(d)などが挙げられる。

     “マルチ・スタジオ・ミュージシャンと言われる彼らの高度なテクニックは素晴らしかった。渡嘉敷くんとか、日本のスティーヴ・ガッドとか言われてたけど、音楽によってはジョン・ボーナム(d)そっくりに叩いたりもできる。もう別人だよ。渡嘉敷くんがすごいと思ったのは、姫の乱心バンドのリハーサルの帰り道、横を走る渡嘉敷くんの車を見ると、片手で運転しながら余った片手で練習してるの。これは違うなって、びっくりした。カタヤン(土方のニックネーム)もそう。ステージにギターを置いてあるんだけど、楽屋にも置いてるの。で、楽屋で世間話するときも、ずっとギター弾いてる。離さないの。「へえ、そうなんだぁ」とか話しながらも、両手はずっと弾いてる。最近もカタヤンと一緒にやったけど変わってなかった。あんなに大御所になったのに、全然変わらない”。
      
     一方、旧知の仲からの呼びかけの代表は、大学時代からの知り合い土屋昌巳からの誘いで、大橋純子&美乃家セントラルステーションに加入したことだ。大橋純子とは、美乃家で長く活動をともにしたのち別々に活動をしていたが、また請われて再参加し、以来現在に至るまで一緒にステージに上がるようになっている。
      
     “大橋純子&美乃屋セントラルステーションって、すごくいいバンドだったから、入る前から意識してた。後輩のマー坊(土屋昌巳)がいるのも知ってたし、「シンプル・ラヴ」とか、やっぱり純平さん(大橋純子のニックネーム)の歌がすごいから。独特なビートでね、ニューミュージックのシーンから、また違ったサウンドが出てきたなって印象で。歌がすごいうえに、バンドならではのサウンドだった。そのサウンドがカッコいいしね。当時の美乃家って、勢いがあった。だいたい名前がグラハム・セントラル・ステーションをもじって「セントラルステーション」だったしね(笑)”。

    大橋純子を囲んで、美乃家セントラルステーションの楽屋ショット。この時期ドラマーはマーティ・ブレイシーの後釜、リューベン辻野(前列右)だった。土屋潔(g/後列右端)と後藤輝夫(sax/後列中央)も。

     もうひとつ旧知の仲からの久しぶりの誘いを挙げておこう。ニューミュージックのビッグ・ネーム、アリスのファイナル・ツアーに六川を呼んだのも、ロフト時代から六川のベースに目をつけていたアリスのマネージャーだった。そうしてアリスのツアーでも信頼を得た六川は、アリス解散後は堀内孝雄のツアーに参加。堀内孝雄については後日談がおもしろい。
      
     “ベーヤン(堀内のニックネーム)って、そのあと演歌に転向して売れたでしょ。そんなある日、僕がスタジオでレコーディングしてたら、上の階にベーヤンが来てるってことがわかったの。すぐ挨拶に行こうと思ったけど、ベーヤンは売れちゃったから、行くのを遠慮してた。そうしたら誰かが「堀内さんが上の階で呼んでます」って言うわけ。で、行ったらスリーピース着たベーヤンがいて「おお、マー坊、お前まだロックやってるのか?」っていうから「はい、やってます」って答えたの。そしたら「人生長いんだから、よく考えろよ」って説教された(笑)。僕を心配してくれたんですよ。バンドで成功しても、解散後はうまくいかなかった人を、あの人はいっぱい見てたから。だからすごいありがたかったですね”。

    アリス・ファイナル・ツアーのスタッフの面々。香港のホテルでの打ち上げ時のもの。六川は後列左からふたり目。その右下には堀内孝雄が。

     さらに下北ロフト時代からの付き合いだった、サザンオールスターズの野沢秀行(perc)も、自己のユニットJ.E.F.でベースを任せられるのは、六川しかいないと絶大なる信頼を寄せていた。一方の六川も、知り合ったのちにサザンが爆発的に売れても、変わらぬ態度で付き合いを絶やさず、ソロ・プロジェクトではいの一番に声をかけてくれる野沢に対して、並々ならぬリスペクトを感じている。六川は、サザンのデビュー前後の思い出を懐かしそうに振り返る。
      
     “ある日レコーディングの仕事で、青山のビクタースタジオに行ったとき、偶然サザンオールスターズも別のスタジオで録音をしてたんだけど、ロビーに毛ガニ(野沢のニックネーム)がいて、「ねえねえマー坊、ちょっとこれ聴いてみて」って真剣な顔で「歌詞わかる?」って聞いてくるの。それがあの爆発的ヒット「勝手にシンドバット」。あれが、今や日本を代表するスーパー・バンドのデビュー・シングルだったんだから感慨深いです。そのあと学園祭で美乃家がサザンと対バンになった。サザンが売れたばっかりのタイミングで。当時は僕らが先輩だから、サザンが一部で僕らは二部で出るわけ。で、まずサザンがやったんだけど、終わったら3分の1くらいお客さんが帰っちゃってさ。参ったよ(笑)”。
      
     徳武弘文(g)からも、Dr. K Projectに六川を指名する声がかかる。徳武とはレス・ポール(g)を観るため、一緒にニューヨークに行くなど、現在も良好な関係が続いている。
      
     “Dr. K Projectは、ベンチャーズにハマっていて、ユニフォームまで作ってね。BSにも出たしね。番組は1回だけだったけど、イベントは何回もやった。打ち上げで、ゲストで出た大村憲司(g)さんが盛り上がって「じゃあさ、北欧版エレキ・サウンドもやらない?」とか言って、スプートニクスとかやったりしました。あとイギリスのシャドウズとか。憲司さんも徳武も名手だからね。手クセでやってるミュージシャンじゃないし、流れもわかってるから、ふたりとも完璧なの”。

    1997年にNHK BSで放映された『僕らはエレキにしびれてる〜ギタリストたちのベンチャーズ・ナイト』の集合カット。ゲストは大村憲司(g/後列右から3人目)や、前列左から高野寛(g)、高橋幸宏(d)、Char(g)と豪華。

     さらには徳武弘文、星川薫によるソロ・アルバムのプロデュースも行なった。徳武弘文によるスワンプ・ロック、アメリカン・カントリー・ポップのソロ3作、星川薫のジャズ・ファンク・アルバムのソロ4作がそれにあたる。最近では星川の4枚目 『Crazy Running Cat』(星川薫とザ・メロン・ホーカーズ)から2曲(「Crazy Running Cat」「In Your Eyes」)を抜粋した7インチのアナログ・レコードも制作した。
        
     六川は、1日にいくつものスタジオをハシゴするような、いわゆるスタジオ・ミュージシャンではない。だからレコーディングの依頼も、インペグ屋からもらうことよりも、プロデューサーやアーティストから直接もらうことのほうが多い。レコーディングもシングルではなくアルバム単位だったり、ツアー参加がセットになっていたりなど、濃密な関係性を求められるプロジェクトが少なくない。そんな場合は、えてしてアーティストも個性的だったりもする。だが六川にとってそれは望むところ。六川のビートは、あらゆる音楽をほどよくまとめ上げ、求めに応じて刺激も安定感も出せることはわかっている。それこそがビート職人・六川の、面目躍如たる武器だからだ。

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