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    【ニッポンの低音名人extra】 – 岡沢茂

    • Text:Koichi Sakaue
    • Photo:Eiji Kikuchi

    素晴らしきドラマー

     セッションマンとして売れてくると、多くのドラマーと共演することになる。これまで共演したドラマーは数知れないが、そのなかでも特に印象的だったふたりのドラマーについて触れてもらった。

    “スタジオではいろんなドラマーと共演したけど、林立夫さんとはよく一緒になって、いろんなことを教わりました。「リラックスして。硬くなるな」って。林さん、もう力が抜けすぎて、一回なんてスティック落としちゃってましたから(笑)。それで、決まったことはやりたくないみたいなね。そのあと林さん、途中で突然、音楽活動を辞めちゃいましたよね。でも戻ってきてくれて本当に良かった。何十年ぶりでやったときも「やっぱりウマいなあ」って感動しました。セットもものすごくいい音がする。やりやすいです。林さんはすごい”。

     海外の一流ドラマーとの共演でも、大きな収穫があったという。LAきっての名ドラマー、ハーヴィー・メイソンと共演したときのことだ。

    “六本木のピットインで、ハーヴィー・メイソンがクリニックをやったとき、僕がベースを弾いたんだけど、ものすごい勉強になった。あとでハーヴィーに「俺と同じ血を持ってる」って言われて嬉しくなりました。彼のリズムは、ものすごいタム回しをやっても拍が見えるんです。それがびっくりだった。シンコペーションとかも複雑なのに、4分音符がすごくよくわかる。「ああ、ウマいってこういうことなんだ」って感動しました”。

    憧れたベーシスト

     マーヴィン・ゲイは茂に大きな影響を与えたアーティストのひとりだが、コピーするうちに茂は、マーヴィンの曲を支えた3人のベーシストに魅了されていく。

    “「ホワッツ・ゴーイン・オン」(1971年)はジェームス・ジェマーソンだけど、いろんな曲をコピーしてると「アイ・ウォント・ユー」(1976年)はチャック・レイニーだってわかるようになってくる。で「レッツ・ゲット・イット・オン」(1972年)はウィルトン・フェルダーが弾いてるんです。これはすごくよく覚えてる。ウィルトン・フェルダーは、あの太い音が好きで、すごく聴いてました。クルセイダーズの『クルセイダーズ1』(1972年)でもウィルトン・フェルダーとチャック・レイニーが弾いてます。ウィルトン・フェルダーの音が好きでね。あれプレベなんだろうけど、なんか違うなって思ってて。オルガンのジミー・スミスのアルバムに彼の写真が載ってたんだけど、それ見たらテレキャスター・ベースだったんですよ。それ見てテレキャスター・ベースが欲しくなりました”。

     そして興味はどんどん広がっていった。クロスオーバー/フュージョン・ブームが訪れ、アルバムには曲ごとにプレイヤーの名前が記載され、茂は好きなベーシストの名前を見つけてはアルバムを買うようになる。

    “アンソニー・ジャクソンは香津美グループに入る頃に興味を持ったんです。『リー・リトナー&ジェントル・ソウツ』(1977年)。あれは好きでしたね。あとアンソニーの参加作ではパティ・オースチンとかチャカ・カーンとかの歌ものが好きでね。ほかの人とフレーズが違ってて、すごくカッコいい。コピーしたら低いDが出てくるんで最初は4弦を下げてるんだと思った。5弦ベースを使ってるって知らなかったんです。それからゴードン・エドワーズも好き。スタッフでのプレイはもちろんですけど、彼はその前にKUDUレーベルやCTIでいっぱい弾いてるんですよ。スタッフの来日公演も観てます。ゴードン・エドワーズってね、なんか兄貴のイメージがあるんですよ。重いところとかリズムが動じないところとか”。

    兄・岡沢章

    銀座ヤマハへ打ち合わせに行った際、上の階で兄の章(左)がリハーサルしていると聞いて、挨拶に。低音名人兄弟のツー・ショット。

     その、リズムが動じないという、茂が幼少期から多大なる影響を受けたベーシストについて。ご存知、兄の岡沢章だ。

    “兄貴とは歳が6歳も離れてたから、何を言われても逆らえなかったけど、だからこそ言うとおりにして良かった部分もあります。まあ兄貴がウマいってことは、最初に生で観た小学生のとき(本誌2020年11月号参照)からわかってたんで。今でもすごいなって思う。なんかすごいんですよ。言い表わしようがない。なんか不思議な。少なくともあんな風には弾けないなって”。

     だがこの兄弟、カウントの仕方やビートを感じ取る仕草に似た部分を発見できる。小刻みで、ときおり16分ウラなどでピクッと動くところなどがそれだ。音楽に集中しているのか、グルーヴに反応しているのか、ベース音を置くべき、あるいは抜くべきスペースを発見したのか。

    “似てるって言われたこともあります。足でこうやってビートを取るとことか。ビートの感じ方というかね。自分ではあんまりよくわからないですけど。いずれにせよ兄貴の独特の感じは、真似しようと思ってもできない。あれは独特ですよ。海外のミュージシャンでも、ああいう風に弾く人は見たことがない。兄貴がレジェンドだと思うようになったのは、ここ5〜6年です。いっときは「兄貴を超えてやる」とか思ったりしてました。疎遠になってた時期もあったし。でも一回原点に戻って改めて兄貴のプレイを観たとき、初めて怖いって感じました。ショックでしたよ。ウマさがわかっちゃうんです。でもとにかく僕は僕なりに練習するしかない。いいところは見習ったうえでね。そう思うまでにはだいぶ時間がかかりました”。

     と、謙虚このうえない茂ではあるが、逆に兄・章を助けたこともあったことは記しておきたい。章がテレビ番組出演時に肩を脱臼したとき、トラ(臨時の代役)で駆け付けたのは、ほかでもない弟・茂だった。また章が腰を悪くして入院し、吉田美奈子(vo)のステージに立てなくなったとき、美奈子が提案した代役も茂だった。

    “兄貴が入院したとき美奈子さんが「シゲルがいいんじゃない?」って言ってくれたらしくて。美奈子さんはすごい人だってわかってるから、美奈子さんとプレイできるってのは、緊張したけどすごく嬉しかった。自分でも少しはレベルが上がったんだって。美奈子さんって、ベース・ラインにうるさいんです。音の切り方とかね。すごく勉強になります。そういう意味で美奈子さんの兄貴への信頼はすごいです。だから今後も兄貴のトラなんて言われたら、喜んで行きますよ(笑)”。

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     最後に、ひとつだけ言っておくべきことがある。偉大なベーシスト、岡沢章の弟ということで茂は、確実に過小評価されているということだ。業界で岡沢と言えば岡沢章、茂といえば鈴木茂と認識される。だからこそ甲斐よしひろや稲垣潤一らビッグ・アーティストをはじめ、彼に近しいミュージシャンたちは、彼のことを“OS ”と呼ぶ。イニシャルを表わしているに過ぎないそのニックネームこそ、岡沢茂への長きにわたる信頼の証であり、彼のベースから、余人をもって替えがたい個性を見出している証拠でもあるということだ。

    稲垣潤一のバンド・メンバー。左から、渡辺格(g)、岡沢茂、稲垣潤一(vo, d)、渡部沙智子(cho)、塩入俊哉(k)。
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