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    追悼 – ティム・ボガート

    • Text:Jun Kawai
    • Interview:Ryo Takahashi(Bass Magazine 1994 JAN), Akira Sakamoto(Bass Magazine 2003 APR)

    最後に『ベース・マガジン 2003年4月号』より、ヴァニラ・ファッジが1984年以来の再結成アルバム『The Return』をリリースした際のインタビューの一部を抜粋してお届けする。バンドの健在ぶりをアピールするとともに、衰えを知らないベース・プレイの裏側を語ってくれている。

    曲のテンポを落とし、ソウルフルな演奏をする
    それが僕らヴァニラ・ファッジのアレンジさ。

    ━━ヴァニラ・ファッジのアレンジ手法というのは、どんなきっかけで生まれたのですか?

     僕らがまだ、ザ・ピジョンズという名前でアメリカ国内のクラブを回っていた(1965年〜66年)頃、僕はニュージャージーの両親の家に住んでいた。ある日、クラブ・ギグを終えて朝5時にマーク(スタイン/k)に家まで送ってもらったら、家の前に車を停めたときに、たまたまラジオからスプリームスの「You Keep Me Hanging On」が流れてきてね。それを聴いているうちに、この曲のテンポを落として演奏すれば、もっとソウルフルになるんじゃないかっていう話になったんだ。それが最初だね。それで実際にやってみるととてもうまくいったから、同じ手法をほかのいろいろな曲にも応用するようになったわけ。大規模な構成のアレンジという意味でも、この「You Keep Me Hanging On」が最初のレパートリーだね。

    ━━あなた方は当時、ザ・ヴェイグランツ(後にマウンテンを結成する、ギタリストのレスリー・ウェストが率いた)というバンドにも影響を受けたそうですが、それはどんな影響だったのですか。

     彼らも曲のテンポを落として、とてもソウルフルな演奏をしていてね。僕らもそれが気に入って、自分たちもやってみようと思ったんだ。当時のロング・アイランドでは、そういうスタイルが流行っていた。ラスカルズも、ソウルの曲をそんな風に演奏していたしね。

    ━━では、大規模な構成のアレンジという部分が、あなた方のオリジナルというわけですか。

     そう、そういうことだね。クラブまわりをしている頃、僕らは週に数回リハーサルをやっていたけれど、そのときにアレンジもいろいろと試したんだ。何度もやりながらいろんな要素を盛り込んでいくうちに、ああいう大規模な構成になった。できあがるまでに6ヵ月ぐらいかかったよ。このアレンジをライヴで演奏したのがきっかけで、僕らは1stアルバム『Vanilla Fudge』を出すことになったんだ。

    ━━『The Return』で取り上げられている、バックストリート・ボーイズの「I Want It That Way」やインシンクの「Tearin’ Up My Heart 」といった新しい曲は、ファッジのアレンジ・スタイルが今でも通用することを証明していますね。

     そう、どんな曲でも“ファッジ・アップ”(=でっち上げる)できるんだ(笑)。

    ━━あなたのヴォーカルのハイ・トーンも、ファッジのアレンジの大切な一部ですが、あなたが今もその声を保っているというのがすごいですね。

     昔ライヴをやっていた頃には声が安定しなくてね。それで、1980年からダイアン・モスカルというヴォイス・トレーナーのところに通い始めたんだ。彼女からはトレーニングを教える方法も習ったから、僕も音楽学校では、ベースのほかにヴォイス・トレーニングも教えていたよ。

    ━━ファッジはあの有名な『エド・サリヴァン・ショウ』にも出演して、「You Keep Me Hanging On」を演奏していますよね。このときの演奏は現在、ビデオやDVDでも発売されていますが、そのときのことをちょっと話していただけますか。

     あれは水曜日か木曜日だったな━━まず、番組のリハーサルを通しでやり、翌日にはカメラ・アングルを決めて、その翌日にスタッフも全員集まって、サウンドやカメラ・アングル、立ち位置なんかを確認しながら通しでリハーサルをしたんだ。それで、日曜日に生放送だった。僕らは4枚のブルー・スクリーンの前で演奏して、それにサイケデリックなエフェクトを重ねたのが、ビデオになった映像だよ。これは当時としては、ものすごく進んだ技術だったんだ。

    ━━当時は、今から考えるとものすごい大物バンドが一緒にツアーをして、お互いの前座を務めていたわけですが、あなた方もジミ・ヘンドリックスやクリームの前座をしたり、レッド・ツェッペリンがあなた方の前座をしたりしたそうですね。

     うん。ジミ・ヘンドリックスの前座は何度もやったよ。ほかにもザ・フーやテン・イヤーズ・アフター、フォーカスなど、たくさんのバンドと一緒にツアーをしたね。当時は年間200〜250回ぐらいライヴをやっていたから、今すぐは思い出せないな。

    ━━では、あなたのトレードマークにもなっているディストーションを使ったソロですが、あれをやるようになったのは何がきっかけでしたか?

     ビートルズの『ラバー・ソウル』でポール・マッカートニーがファズを使っていて(「Think For Yourself」)、僕もやってみようと思ったんだ。でも、以前に使っていたモズライトのファズは今のSWRみたいな新しいアンプとは相性が良くないから、今はボスのディストーションのDS-1を使っているよ。

    ━━なるほど。それにしても、健康を回復なさって何よりです。また来日なさるのを楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。

     どういたしまして。僕も日本で演奏するのを楽しみにしているんだ。すぐにでも行きたいぐらいだよ。

    『ベース・マガジン 2003年4月号』