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追悼 – ティム・ボガート

  • Text:Jun Kawai
  • Interview:Ryo Takahashi(Bass Magazine 1994 JAN), Akira Sakamoto(Bass Magazine 2003 APR)

ここからは過去のベース・マガジンにて掲載されたティムのインタビュー記事を紹介しよう。まずは『ベース・マガジン 1994年1月号』から、X JAPANのギタリストPATAのソロ・ライヴのバック・バンドのメンバーを務めるために来日した際のインタビューをお届けする。改めてこれまでのベーシストとしての歩みを語った貴重な内容だ。

「You Keep Me Hanging On」の大ヒットは予想していなかった

━━あなたは10代の頃、いろいろな楽器をプレイしていたようですが、なぜベーシストという道を選んだのですか?

 高校生のときに組んでいたR&Bを演奏するバンドでは、ホーン・セクションの一員としてサックスを吹いていたんだ。でもサックスは、曲によっては必要ないだろ? たとえ必要な曲があっても、一部分でしかなかったりもする。それじゃヒマだっていうことで、ベーシストになったんだ。ベースならショーの間、ずっと弾き続けることができるからね。そうこうしているうちに、本格的に活動するバンドに参加して、それ以来ずっとベーシストってわけなんだ(笑)。

━━ではベーシストとしても当時のR&Bに大きな影響を受けたんですか?

 そうだね。僕は60年代初期のモータウン・サウンドが本当に好きだったんだ。だから僕が最初に影響を受けたのは、間違いなくジェームス・ジェマーソンだよ。今でも僕のプレイからは、彼の影響が感じられると思う。

━━いろいろな楽器をプレイしていたという経緯は、ベースを弾くのに役立ちましたか?

 役に立ったよ。サックスでもベースでも、音楽を演奏するという点では変わらないからね。バンドのなかでの役割がほんの少し違うだけさ。

━━その後、高校を卒業して、エレクトロニクス関係の専門学校に通ったんですよね?

 うん。RCAの専門学校だ。ただ、そこで学んだことは、もうほとんど忘れてしまったよ(笑)。でもベースの改造や、機材のシステム・アップのためには役立った。もちろん多くの試行錯誤をくり返してサウンド作りをしていたんだけどね。

━━そこであなたの特徴でもあるディストーション・サウンドが出てくるわけですが、そもそもなぜ歪ませようと思ったのですか?

 それは当時のベース・アンプの性能の悪さが大きな原因なんだ。ソロを弾いても、音程がはっきりわからないほどヌケが悪かったんだよ。そこであるとき、ビートルズのアルバムにファズのかかったベース・サウンドが収録されているのを思い出して、同じようにしてみたんだ。そうしたら音程もはっきりわかるようになったし、ドラマティックにもなった。僕はドラマティックなものが大好きだから、すぐに“これだ!”と思ったんだ。

━━なるほど。ところで初めてのプロとしてのバンド、リック・マーティン&ザ・ショウメンでは、どのようなスタイルのベースをプレイしていたんですか?

 そのバンドもR&B主体だったから、ベースもジェームス・ジェマーソンっぽいプレイをしていたよ。……僕の弾きまくりのベース・スタイルは、もともとモータウンのリフから生まれたものなんだ。それから次のバンド、ザ・ピジョンズでレコーディングしたアルバム『While The World Was Eating』でもモータウン的なプレイをしていたよ。もっともその頃には、もっとロックンロール寄りではあったけど。まあ、僕の個人的な意見だけど、ロックン・ロールのほうがよりエネルギッシュだというだけで、モータウンと基本的には同じだと思う。だから僕のスタイルは、モータウンのベース・パターンを、よりエネルギッシュに弾こうとすることから生まれた偶然的なものだと言えるかもね。

━━1966年に、宿命のパートナー、カーマイン・アピス(d)と出会いますが、彼の第一印象は?

 彼の足ワザには本当に驚いた。ものすごい速度でプレイしていたからね。ちょうどその頃、ザ・ピジョンズはロックンロール・サウンドへ徐々に移行していたんだよ。でもアピスの前任者はR&Bに固執していたんで困っていた。そんなときに、ニュージャージーの小さなクラブでアピスのプレイを偶然観たんだ。“コイツだ!”と思って、すぐにバンドに誘ったよ。

━━最初から彼はツー・バスだったのですか?

 いや、1968年ぐらいからだ。彼が初めてツー・バスにした日のことはよく覚えているよ。リハーサル・ルームにツー・バスのセットを組んで、“どうだ。デカイだろ?”なんて言いながら、ドカドカ叩き始めたんだ(笑)。彼がツー・バスにして速いプレイを始めたせいで、僕の指も速く動かさざるを得なくなったというわけさ。

━━では、ヴァニラ・ファッジのアルバム『Near The Beginning』あたりから、あなたのプレイが派手になっていったのはアピスの影響?

 まさにそのとおりだ。あのアルバムはクレイジーなものだけどね(笑)

━━ところで、ヴァニラ・ファッジを結成したとき、何かヴィジョンのようなものはありましたか?

 メンバーはモータウンやビートルズの大ファンだったんだよ。だから、それらの曲のテンポを落として、おおげさなアレンジでドラマティックにやったらカッコいいだろうなって考えていたんだ。それでマーク・スタイン(k)と僕とで、スプリームスの「You Keep Me Hanging On」をああいうアレンジにしてみたというわけさ。

━━そしてその曲が全米6位の大ヒット。予想していましたか?

 いや、まったく予想していなかったよ。幸運だったね。あの曲の音源は、レコード契約をする前に、ラジオ用に作ったデモ・テープだったんだから(笑)。

━━その頃はどんなベーシストを聴いていたんですか?

 ポール・マッカートニーにジャック・ブルース、それからスライ&ザ・ファミリー・ストーンのラリー・グラハムなんかをよく聴いていた。ラリーは本当にすごいプレイヤーだよ。

━━ではヴァニラ・ファッジはなぜ解散してしまったのでしょうか?

 アピスと僕がジェフ・ベックとバンドを組むために、1969年にバンドを脱退したのがきっかけだね。でも、すぐにベックが事故に遭ってしまい、計画は流れてしまった。ところがアトランティック・レコードとの契約上、アルバムを作らなければいけなかったので、アピスと僕はカクタスを結成したんだ。……ベックが事故に遭ったときにはがっかりしたよ。もう彼とのバンドは一生実現しないんじゃないかと思ったからね。彼は思ったより早く回復したけど、僕たちはすでにカクタスを始動していたから、BB&A結成までには、数年かかってしまったんだ。本当にタイミングが悪かったよね。

━━カクタスのときにはベース・サウンドは歪んでいましたが、どんな機材を使っていたのですか?

 モズライトのファズ・ボックスを使っていたんだ。最近はボスのディストーションを使っているけどね。

━━その頃は、ジャック・ブルースなども歪んだサウンドでしたよね?

 ジャックは素晴らしいプレイヤーだよ。今聴いてもすごいと思う。歪んだサウンドもいいしね。

━━その後、BB&Aを1972年に結成しましたが、ベックとリズム体ふたりとの間に音楽的な相違はなかったんですか?

 いや、音楽的にはけっこう合っていたと思うよ。ベックは当時R&Bに凝っていた。そういう音楽を、ロックンロールのエネルギーを持つ僕らとやることに興味を持っていたみたいだしね。ただ、僕とベックは性格的にあまり合わなかったみたいだ。BB&Aがあまり長く続かなかったのも、正直言うとそのあたりに原因がある。

━━BB&Aでは1973年に来日を果たしています。そのときの音源『Live In Japan』でのベース・ソロはアレンジしてあったものなんですか?

 昔のことで細かいことは忘れてしまったな。でもライヴの前にアレンジしてソロをやることはほとんどない。人と会話するのと同じだ。こういう話をしようなんて決めてしゃべることはないだろ? まあ、そのせいでうまく行くときと、そうでないときがあるんだけどね(笑)。

━━音楽に自由な空間を残しておきたいと?

 いや、すべてを自由にやっているよ。

━━それにしてもあのライヴ・アルバムを聴くと、ものすごくダイナミクスが感じられます。たとえば「Lady」では、ヘヴィなイントロから突然静かになって歌が始まりますし……。

 ダイナミクスにはいつも気を配っているよ。特にオーディエンスにとっては大切なものなんだ。緊張、緩和、緊張、緩和というメリハリがなかったら飽きてしまう。

━━たしかにあなたのプレイには、ジェットコースターに乗っているようなスリルがあります。

 ハハハハ、そうかもしれないね(笑)。

『ベース・マガジン 1994年1月号』

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