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シューゲイザーに在る“低音” – 前篇『マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン』

  • Text:Takanori Kuroda
  • Photo(p2,p3):Yoshika Horita

1990年代初頭、イギリスを起点に新たなロックの形式として一大ムーブメントを巻き起こした“シューゲイザー”。深いリヴァーブと過激に歪んだギター、そして“フィードバック・ノイズ”を駆使した浮遊感漂うサウンドは、現在にいたるまでロック・シーンに大きな影響をもたらしてきた。このシューゲイザーにおける金字塔を打ち立てたバンドがアイルランド出身の4人組、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインだ。シューゲイザーを定義づけたと評され、彼らのサウンドを追いかけるバンドは今でもあとを絶たない。このたび、彼らの過去4作品がCD/LPで再発されることを受けて、シューゲイザー特集企画を前篇と後篇の2回に分けてお届けする。前篇となる本記事では、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが歩んできたこれまで軌跡と、そのベース・サウンドを振り返り、ベーシストのデビー・グッギが2018年8月の来日公演時に使用した機材群も紹介。轟音の最深部に潜む“低音”の正体を明らかにしていきたい。

BIOGRAPHY
“シューゲイザー”を創出した伝説的ロック・バンドの歩み

 今年3月31日にドミノ・レコーズへの電撃移籍を発表し、同日サブスク解禁をしたアイルランド出身の男女4人組バンド、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(以下、MBV)。5月21日には過去にリリースした『Isn’t Anything』『loveless』『m b v』『ep’s 1988-1991 and rare tracks』の新装盤CD/LPをリイシュー予定と、このところファンを賑わせている。1990年代初頭に台頭した“シューゲイザー”と呼ばれる音楽スタイルの代表格であり、以降のギター・バンドのみならず、ポストロックやエレクトロニカ、ドリームポップなどさまざまなジャンルのアーティストに多大なる影響を与えた彼らの音源が、再び多くの人の耳に触れる機会が増えたことは嬉しい限りだ。本稿では、そんなMBVの歴史をベーシストであるデビー・グッギの視点から紐解いていきたい。

左からケヴィン・シールズ(vo,g)、コルム・オキーソーグ(d)、ビリンダ・ブッチャー(vo,g)、デビー・グッギ(b)

MBV結成とシューゲイザーの誕生

 1962年10月24日、イングランド南西部のサマセットで生まれたデビー。パンクに影響を受け、ビキニ・ミュータントという名のバンドでベースを弾いていた彼女がMBVに加入することになったのは、当時のガールフレンドを介してバンドのリーダーであるケヴィン・シールズ(vo,g)と、コルム・オコーサク(d)に出会ったのがきっかけだった。当時のMBVはクランプスやバースデー・パーティーなどに影響を受けたガレージ・パンクを奏でていたが、デビーを加えた4人編成でEP『Geek』『The New Record by My Bloody Valentine』をリリースしたあとに、当時のリード・ヴォーカルだったデイヴ・コンウェイが脱退。オーディションでビリンダ・ブッチャー(vo,g)が加入し現在の編成になると、そのサウンドを飛躍的に進化させる。

 1988年にクリエイション・レコーズからリリースしたEP『You Made Me Realise』では、ソニック・ユースやダイナソーJr.らUSのバンドに影響を受けた変則チューニングやディストーション・サウンド、パブリック・エネミーやエリックB&ラキム、LL・クール・Jといったヒップホップにインスパイアされたリズムやサンプリング(ケヴィンは自らのギターをサンプリングして重ねていた)、そして何よりケヴィンが生み出した“グライド・ギター”(ギターのトレモロアームを握りしめたままコードをかき鳴らす奏法)を組み合わせることによって、これまで誰も聴いたことのないサウンド・スケープを描き出し、当時の音楽シーンに計り知れないインパクトを与えた。

 同年リリースした1stアルバム『Isn’t Anything』では、『You Made Me Realise』の路線をさらに追求。レーベルメイトのライドやスロウダイヴをはじめ、コクトー・ツインズを擁する4ADからデビューしたラッシュらに大きな影響を与え、フィードバック・ノイズと美しいメロディ&コーラスを組み合わせたそのサウンドは、のちに“シューゲイザー”と呼ばれた。それからおよそ3年後、2枚のEP『Glider』『Tremolo』を経てリリースした2ndアルバム『loveless』では、輪郭が曖昧になるほど幾重にもレイヤーされたフィードバック・ギターや中性的な男女ヴォーカル、それらが等価で配置されたサイケデリックかつエクスペリメンタルなサウンドスケープを展開。ブライアン・イーノをして“ポップの新しいスタンダード”と言わしめ、パンクの女王パティ・スミスも“生涯で最も影響を受けた”とのちに絶賛することになる。

『loveless』の裏側に潜む真実〜活動休止

 しかしロックの歴史を塗り替えた『loveless』は、バンドにとって最悪のコンディションのときに生み出されたアルバムであったことがのちに判明する。コルムは体調を崩しレコーディングにはほとんど参加できず、ビリンダは元夫によるDVによって睡眠療法を受けていた。デビーは当時の恋人と破局を迎えたうえに、レコーディングに参加できないフラストレーションを募らせていたという。要するに『loveless』は、ほとんどケヴィンひとりで作られたアルバムだったのだ。

 スタジオでの度重なる実験によって制作費は27万ポンド(およそ4,000万円)にまで膨れ上がり、『loveless』はレーベルの経営を破綻させたとも言われている(ケヴィンはこれを否定)。その余波はバンドをも次第に蝕んでいった。クリエイションからアイランド・レコードに移籍するも、自宅スタジオの機材トラブルやケヴィンの完璧主義によって創作活動は遅々として進まず、1995年にデビーとコルムは相次いで脱退。残ったケヴィンとビリンダは1997年まで曲作りを続けたが、結局それらは2013年の3rdアルバム『m b v』まで日の目を見ることはなく、バンドは事実上の活動休止に入った。

活動の幅を広げるデビーとMBV活動再開

 デビーはバンドを離れたあと、しばらくはタクシードライバーとして働いていたが、1996年に元ムーンシェイクのメンバーで、ステレオラブにも在籍していた当時の恋人キャサリン・ギフォード(vo,sampling)と、同じく元ムーンシェイクのケヴィン・バス(d)、元カーヴでエコーベリーのデビー・スミス(g)とともにSnowponyを結成。シカゴ音響派の代表格、トータスの司令塔ジョン・マッケンタイアがプロデュースした『The Slow Motion World』(1998年)でデビューする。Snowponyは3枚のアルバムと4枚のEPをリリースするも、2003年に解散。その後デビーは大量のファズ・オルガンを使った実験的なバンド、Pimmelでオルガンを演奏したり、Rockhardというバンドでドラムとバッキング・ヴォーカルを担当したりと、断続的な活動を行なっていた。

 そして2008年には、約15年ぶりにMBVがまさかの再始動。日本でも同年にフジロックフェスティバルで初日のトリを飾り、苗場をフィードバック・ノイズで埋め尽くし伝説となった。2013年には、前作『loveless』から実に22年ぶりとなる3rdアルバム『m b v』を、バンドの公式サイトからリリース。さらに韓国公演を皮切りとするアジア・ツアーがスタートし、東京と大阪の公演をともにソールド・アウトさせる快挙を成し遂げた。その間、デビーはプライマル・スクリームのサポート・メンバーにも抜擢され(前任のマニは、再結成したストーン・ローゼズに専念することになったため)、その初お披露目はなんと日本。2012年5月27日に開催されたROCKS TOKYO 2012のステージだった。

サーストン・ムーア・バンドへの参加とこれからのMVB

 プライマル・スクリームへの参加はわずかな期間だったが、2014年には、元ソニック・ユースのサーストン・ムーアによるソロ・プロジェクトにも参加。以降は『The Best Day』(2014年)、『Rock n Roll Consciousness』(2017年)、『By the Fire』(2020年)とソロ名義のサーストンの全アルバムでベースを弾き、スティーヴ・シェリー(d)、ジェームズ・セドワーズ(g)とともに来日も果たしている。

 『loveless』以降のMBVの作品は、レコーディングではほぼすべての楽器をケヴィンが演奏しており、デビーの役割はもっぱらライブ・パフォーマンスということになる。今年行なわれた『ニューヨークタイムズ』のインタビューでケヴィンは、近々2枚のアルバム(1枚はメロディックなもの、もう1枚はより実験的なもの)をリリースする予定だと話している。が、果たしてそれは“本当に”発表されるのか、そこでデビーはどれくらい貢献しているのか。続報を待ちたい。

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