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    達郎ファンクを爆発させた田中章弘

     間違いなくこの時代を代表するベーシストであり、もっと評価されて然るべき存在であるのが田中章弘だ。鈴木茂が彼や佐藤博を擁するバンド、THISを大阪からスカウトしてきてハックル・バックを結成したのが1975年。当時の田中は鈴木が『BAND WAGON』で共演したダグ・ローチを思わせる、破壊力のあるチカーノ寄りのファンクネスを醸し出していた。その後、ティン・パン・アレー周辺の仕事を経て、上原“ユカリ”裕(d)とともに、山下達郎としては初めてとなるレコーディングとコンサートを兼ねるリズム・セクションを務めた。田中のベースは山下達郎のアルバム『SPACY』(1977年)、『GO AHEAD!』(1978年)、『MOONGLOW』(1979年)で聴くことができ、『RIDE ON TIME』(1980年)以前の達郎を好むファンにとっては、やはりベースは彼なのである。ファンク音楽と深い結びつきのある奏法であるスラップを国内で初めて行なっていたという説があるだけに、『GO AHEAD!』に収録される「BOMBER」といったスラップ奏法の名ファンク・ベースは現在も人気が高い。そのほかにも「LET’S DANCE BABY」「ついておいで」「FUNKY FLUSHIN’」「SOLID SLIDER」「愛を描いて LET’S KISS THE SUN」「PAPER DOLL」など、有名定番曲でのファンキーなベース・パターンをたくさん生み出し、達郎サウンドの礎を築いた功績は大きい。

    田中章弘

    ディーバの背後でファンクを鳴らした鳴瀬喜博、福田郁次郎

     スモーキー・メディスン、カルメン・マキ&OZを経て、鳴瀬喜博が参加していたのが金子マリ&バックスバニーだ。ラリー・グラハムから影響を受けたスラップ奏法で有名な鳴瀬だが、この頃はそれほど派手にスラップ奏法を使ってはいない。それよりも、この時期によく聴かせていたフレットレス・ベースのプレイに注目したい。このバンドは若き日のチャカ・カーンを擁したルーファスを意識していたと思われ、ライヴ・アルバム『ライブ We Got To…』(1976年)では「HALF MOON」「RIGHT IS RIGHT」などチャカ・カーン&ルーファスのカバー曲も収録している。また、スローなアレンジで永井充のギターを大々的にフィーチャーしたマーヴィン・ゲイのカバー曲「WHAT’S GOING ON」で聴ける鳴瀬の粘っこいベースはまさにファンクそのもの! 作中きってのベース的聴きどころである。ここにはハードロック・ベースからいち早くファンクへ舵を切った、若き日の鳴瀬がいる。

     福田郁次郎は大橋純子のバンドとして結成された美乃家セントラル・ステイションの初期ベーシストだ。バンド編成でレコーディングに臨んだデビュー・アルバム『RAINBOW』(1977年)で、まだ無名の若手ベーシストとは信じ難い怒涛のファンク・ベースを聴かせている。「シンプル・ラブ」における音数の多いフレージングで作り上げるグルーヴ、「フィール・ソー・バッド」の王道ファンク、「ナチュラル・フーズ」で聴かせる完璧な高速スラップなどからは、やはりタワー・オブ・パワーやグラハム・セントラル・ステイションなどベイ・エリア・ファンクからの強い影響が感じられる。一聴して普通のミディアム・ナンバーである「レイニー・サタデイ&コーヒー・ブレイク」や「季節のない街角で」においてもシンコペートやダブル・ストップのタイミングなどに、それまでの歌謡曲のベースとはまったく違うセンスを感じさせていた。しかし福田は学業に専念するためこのアルバム1枚で脱退し、彼のいない次作『CRYSTAL CITY』(1978年)のサウンドは大きくドメスティックに変化してしまった。それゆえ、『RAINBOW』は奇跡的なジャパニーズ・ファンク・アルバムと言えるのである。

    鳴瀬喜博

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