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【有料会員】細野悠太が語るシャッポ『a one & a two』:ピノ・パラディーノ、細野晴臣から受け取った低音哲学
- Interview:Yuji Shibasaki
- Photo:Yoshika Horita
本記事では細野悠太(シャッポ)のインタビュー全篇をお送りする。
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ともに2000年生まれの福原音(g, etc.)、細野悠太(b, etc.)からなるインスト・バンド、シャッポ(Chappo)。昨年リリースのデビュー・シングル「ふきだし」以来、幅広いファンの間で支持を広げつつある彼らが、4月23日にファースト・アルバム『a one & a two』を発表した。
海老原颯、小山田米呂、功刀源(Ålborg)、Miya(Ålborg)をはじめ、高橋一(思い出野郎Aチーム)、安田くるみ(Ålborg)、野村卓史など、多彩なサポート陣を交えながら堂々たる“歌ものインスト”を披露してみせた今作は、彼らの年齢からは連想しがたいヴィンテージな志向と、最新のサウンドを射程に収めたみずみずしい感性が共存する、実に多様な魅力に満ちた一枚だ。
今回登場してもらったベース担当の細野悠太は、その姓から察されるように、あの細野晴臣の孫でもある。ベースとの出会いやバンド結成の経緯、そして、音楽家としての祖父の存在などについて、じっくりと話を聴いた。
家にもベースはたくさんあったんですが、
全部右利き用なので借りられなくて(笑)。
――バンド・メンバーの福原音さんと、知り合ったいきさつから教えてください。
僕が大学2年生の頃、ある日、(福原)音くんがおじいちゃん(細野晴臣)の事務所に突然現われて、たまたま事務所にいたおじいちゃんに向けてブギウギとか1940年代の音楽の話を40分くらいぶっ続けでしたらしいんです。おじいちゃんも、“君は僕の生まれ変わりみたいだ”って聞いていたらしくて、翌日“昨日おもしろい子が来たよ”って僕に話してくたんです。

カクバリズム/DDCK-1081
そのときは変わった人がいるものだなぁと思っていたんですけど、後日お母さんが、“音楽サークルの新歓イベントにうちの子が行くらしいから行ってみれば”と音くんに言ってくれたみたいで、そこで初めて彼に会いました。そこから、一緒にごはんを食べたり、彼の家に遊びに行ったり仲良くなっていって。僕が大学中退の危機を迎えたとき、なぜか音くんも家族会議に同席していたり(笑)。親戚の子というか……不思議な関係性ですね。
――出会ってすぐに一緒にバンドをやろうという話になったんですか?
いえ、最初は全然そんなつもりじゃなかったんです。演奏自体は高校の頃からやっていたんですけど、自分で音楽を作るっていう発想すらなくて。

――ベースを弾き始めたのは高校からだったんですよね。
はい。ジャズ研究会に入ったら、たまたま新入生でベースを弾く人がいなかったので僕が担当することになったんです。本当に、なんとなくの流れで……(笑)。僕は左利きなので、左利き用のエレキ・ベースをお店に探しに行って、とりあえずド定番ということで、フェンダー・ジャパンのジャズ・ベースの現行品を買いました。家にももちろんベースはたくさんあったんですが、全部右利き用なので借りられなくて(笑)。
その2組は、モデルケースとして
わりと大きな存在だったと思います。

――デビュー・シングル「ふきだし」をリリースするまでにはまだ少し時間がありますが、その間はどうやって過ごしていたんでしょうか?
作品を作りたいという気持ちもなくはなかったんですけど、僕らもどうやったらリリースにつなげられるかよくわかってなくて。音くんが作ってきた曲をドラムの海老原颯くんを交えてリハスタでひたすらブラッシュアップするという時間が続きました。
デモも録ってはいたけど、誰かに聴かせるということもせず。おじいちゃんが昔からよく言っている“おっちゃんのリズム”のノリを、音くんに教えられながら海老原くんと僕で習得していく時間でもありました。
それで、ある日音くんが以前から知り合いだったカクバリズムの角張(渉)さんに僕らのデモを聴いてもらう機会があって、意外にもいい反応をもらえたので、急激に物事が動き出してリリースに至ったという流れです。
――ある時期からライヴも積極的にやるようになりましたよね。
はい。当初はピノ・パラディーノとブレイク・ミルズのコラボ作(『Notes With Attachments』/2021年)とかティンパン(Tin Pan)の2000年のアルバム(『Tin Pan』)とか、インスト・バンドのカバーもやっていました。その2組は、モデルケースとしてわりと大きな存在だったと思います。
――同じカクバリズムのSAKEROCKも聴いていましたか?
実は音くんも僕も当時は聴いてなくて。角張さんに言われて初めて聴いて、自分たちと近しいことをやっていた人たちがいたんだと知りました。
曲を作っていると、どうしても
メロディ・ラインが出てきちゃうんですよ。
――今回のアルバムも、数曲のヴォーカル曲を除いてインストが占めてますが、“自分たちはインスト・バンドである”という自覚が強くあるんでしょうか?
うーん、どうだろう……そこまで強くないかもしれません。曲を作っていると、どうしてもメロディ・ラインが出てきちゃうんですよ。結果的に楽器でそのメロディを弾くことになるんですけど、感覚としては、歌メロを弾いているという気持ちです。
――確かに、今回のアルバムからもそういう印象を少なからず受けました。曲作りはどんな流れでやっていったんでしょうか?
基本は音くんが作ってきたものをふたりで広げていくという作業です。最近は、ベースのフレーズに関しては僕自身が考えることが多くなってきました。共作名義になっている「ふきだし」と「ATOH」は、僕のベース・ラインから広げていった曲です。
――多彩なメンバーが参加していますが、このあたりの人選はどうやって?
カクバリズムは放任主義みたいなところがあるので(笑)、僕らの好きなように選ばせてもらいました。おもにライヴで一緒にやっているメンバーを中心としています。でも、みなさんあくまでゲストという形で、基本は僕らと海老原くんの3人で完結しています。
――曲によっては朗読やフィールドレコーディングの素材が取り入れられていて、そのあたりもおもしろい効果を生んでいると感じました。
友達の別荘でダビングをやったとき、環境の音を録ることにすごく惹かれたんです。結局そのときの音は使っていないんですけど、戻ってからもいろいろな場所で音を録っていて、アルバムにはそういう音がたくさん入っています。音楽以外の要素があったほうが、自分で聴くときにも楽しくて。
(取材に同席していた福原)もともと密室から始まったバンドなんですけど、ここ1年くらいでライヴをやるようになって、いろいろ音の捉え方が外に開かれてきたような感覚があって。だからこそ、アルバム作りでも、音楽の“外”の音をたくさん入れてみようと思ったんです。
――2ピースという、バンドとしては最小単位の編成なのに外部ともつながっていて、どこか開放感を感じる音になっていると思いました。
3人以上だと、2対1に分かれてしまったり、多数決で決まってしまうことが多いんですよね。ふたりだと意見が分かれたりしても、どちらかに偏りすぎることもなく結果的にいいバランスになることが多くて、そこはおもしろいなと思っています。逆に、ふたりだけなので突飛なアレンジを試せるっていうおもしろさもあったり。
――そう考えると、『a one & a two』というタイトルも余計意味深に感じます。
これは音くんのアイディアで、彼が好きな『ヤンヤン夏の想い出』っていう映画の英語タイトルがもとになってます。
(福原)僕としては安直過ぎるかなと思って悩んでたんですけど、悠太くんが“かっこいいじゃん”と押し通してくれて。悩みすぎてどツボにハマらないっていうのも、ふたりでやっている利点かもしれません(笑)。
――なるほど。
音くんはヴィンテージな音楽にしても映画にしてもこだわりが強くある人なんですけど、僕はそうではないので“いいんじゃない?”ってい
おじいちゃんに、ジャズをやるなら
ウッド・ベースに近い指板が良いだろうと言われて、
フレットレスに改造したんです。

――悠太さん自身のアイデンティティとしては、セルフ・プロデュースを備えた“アーティスト”というよりも、あくまでプレイヤーであるという意識のほうが強いんでしょうか?
確かにそうかもしれないですね。0から1を作り出すより、提示されたものを自分なりにプレイするという意識というか……かといって、楽器奏者であることに強いこだわりがあるとかでもないんです。自然音の取り入れもそうだし、今回もポスト・プロダクションのほうに多くの時間をかけてますから。
CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUINだとPCで音を作ってますし、今作が完成してからは、シャッポの曲作りでもDAWもよくいじるようになりました。
――ズバリ、ベーシストとして特に影響を受けた存在を挙げるとするなら誰ですか?
その質問を今日一番恐れていたんですよ(笑)。正直、誰の名を挙げようか迷ってしまって……。
――噂で聞いたところによると、チャック・レイニーから直々に指導を受けたことがあるらしいですね。
あ、そうなんです。音くんと出会ったサークルのOBの方が海外アーティストの招聘をやっていて、チャック・レイニーの来日公演の合間に、サークルの現役生が彼と一緒にベースを弾くっていう贅沢な会があったんです。
「Feel Like Makin’ Love」を一緒に演奏するという恐れ多すぎる経験をしました(笑)。そのときはフレットレス・ベースを持っていったんですが、ボディにデカデカと“to Yuta”って書いてもらいました。

ベースやエフェクター・ボードの詳細はこちらの記事から。
あれはまさにピノのサウンドを参考にしています。
――チャック・レイニーのほかには、さっき名前の挙がったピノ・パラディーノも影響を受けたプレイヤーのひとりですか?
そうですね。あまり“この人が自分のベース・ヒーロー!”みたいな存在がいるわけじゃないんですが、彼に関しては音くんと一緒にライヴを観に行ったりもしているし、すごく好きですね。ブレイク・ミルズ(g)やサム・ゲンデル(sax)を含め、彼の周辺のミュージシャンたちは楽器の音を知り尽くしている集団、っていうイメージがあります。
――おじいさまのベースはどうですか?
これを僕が言うのはなんだか違うかもなという気持ちもあるんですが(笑)、もちろん好きです。タッチが軽くて、音が太い。当時から海外のベーシストの演奏を本当によく聴いていたんだろうなという音ですね。
昔のライヴ映像を観たりすると、構成を飛ばしたり、けっこうミスしているのがわかるんですよ。けど、何食わぬ顔で弾き続けていてスゴい(笑)。僕もそういうところは受け継いでいる気がします。
――おじいさんの奏法では親指と人差指の2フィンガーが印象的ですが、悠太さんは?
僕はもともと一般的な人差指と中指の2フィンガーから始めました。けど、最近はパーム・ミュートで親指弾きすることもよくありますね。すごく弾きやすいし、ほかにない爽快さを感じるので、もしかするとおじいちゃんと手の形状が似ているのかもしれませんね。
――アルバムでは、曲やパートによってアタックの強弱や音色がかなり異なっているのが印象的でした。
例えば「そのあと」っていう曲だと、途中Bパートまでパーム・ミュートしながらブリッジ付近で弾いていて、サビで盛り上がるところはネック付近で強めに弾いたりしてます。
――歪み系の音も展開に合わせて効果的に使っている印象です。「ATOH」とか、かなり歪んでいますよね。
あれはまさにピノのサウンドを参考にしています。緑色のAlien Bass Stationっていうエフェクターとボスのオクターバーは、彼が足下に置いているのと同じものです。今作のファズの音は、すべてこのAlien Bass Stationで作っています。
――本作のレコーディング方法は?
Acme AudioのMotown D.I. WB-3とGolden Age Projectのプリアンプを使いました。Motown D.I.をかませるとラインでも本当にいい音になるんですよね。実は、おじいちゃんのスタジオに転がっていたやつをこっそり使わせてもらったんですけど……(笑)
――おじいさまからはフレットレスを勧められた以外に、ベースを弾くにあたって、ほかに何かアドバイスはあったんでしょうか?
あんまり具体的に言われた記憶はないですね。ただ、前にサークルの卒業ライヴを観に来てくれて、そこで初めて僕の演奏を聴いたと思うんですが、“うまくて安心した”って言われたことはあります(笑)。
――改めて、超一流のベーシストが身近にいるなかで自分もベースをやろうと思ったっていうのは、なんというか、すごく肝が座っているな、と思ってしまいます。
正直、高校生の頃は“おじいちゃんは有名らしい”くらいの認識だったので(笑)。僕がやろうとしてるのはジャズだし、おじいちゃんとは関係ない世界だろう、と(笑)。だから、巡り巡ってベースを褒めてもらえたのは、素直に嬉しかったですね。
最近は、自分が頼まれた仕事でも面倒臭がって僕に弾かせようとしたり……(笑)。“適当”というのとも違うとは思うんですが、そういう風に柔軟に音楽と付き合っている姿にも、影響を受けている気がします。

カクバリズム/DDCK-1081
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◎Profile
細野悠太●2000年生まれ、東京都出身。大学在学中に福原音と出会い、2019年にインスト・バンド、シャッポを結成。同年10月には祖父・細野晴臣の音楽活動50周年イベントでステージに立ち、その経験がバンド結成の大きな契機となった。2023年にデビュー・シングル「ふきだし」、2025年4月23日に1stアルバム『a one & a two』を発表。また、幼馴染と結成した3人組ユニットCHO CO PA CO CHO CO QUIN QUINとしても活動し、2023年に1stアルバム『tradition』をリリース。多面的な音楽活動を展開している。
◎Information
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