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INTERVIEW-REITA[the GazettE]
- Interview:Koji Kano
研ぎ澄まされた重低音は、20年の“重み”の証。
2022年に結成20周年を迎えたthe GazettEが、CD3枚組・全47曲という大ヴォリュームのベスト・アルバム『the GazettE 20TH ANNIVERSARY BEST ALBUM HETERODOXY-DIVIDED 3 CONCEPTS-』をリリースした。各ディスクにはメンバーの選定による、バンドの歴史を総括する“20年の証”とも言える楽曲群が収録されており、それらはこれまでのバンドの歩みと進化を物語っている。ベーシストREITAのプレイに耳を寄せれば、“ヘヴィ化”するバンド・サウンドのなかで的確に意識を変えつつ、アンサンブルの根底を支え続ける足跡が確かに感じ取れるだろう。ここではREITAに20年にわたるバンドの歩み、そして自身のベース・プレイの遍歴を振り返ってもらった。
「Filth in the beauty」を出したあたりのサウンドが今の基礎を作った。
――まずは結成20周年おめでとうございます。20周年を迎えた今の率直な心境から教えてください。
ガムシャラにやってきた結果、気づいたら20年って感じではあるんですけど、改めて“20年”という数字を口に出すと“あぁ、長いことやっていたんだな”って感覚になります。でも体感としては20年っていう感じはしていないんですよね。短く感じるというか、5年くらいしかやっていないような感覚でもあって(笑)。
――“あっという間だった”ということですね。とはいえ20年続けられるバンドってなかなかいないと思います。続けられた要因をどう考えますか?
うーん……メンバーみんなのなかに“常に最前線にいたい”って気持ちがあったからだと思います。だいたいどのバンドも20年と言いながらも活動休止している期間があったりしますよね。でも俺らはずっと走り続けたい、休みたくないっていう気持ちをメンバー全員が持っていた。それが大きかったと思います。
――結成20周年を記念したCD3枚組のベスト・アルバム『the GazettE 20TH ANNIVERSARY BEST ALBUM HETERODOXY-DIVIDED 3 CONCEPTS-』には、全47曲が収録されていて、それぞれ“SINGLES”、“ABYSS”、“LUCY”と銘打たれていますが、それぞれのコンセプトと選曲について教えてください。
“SINGLES”に関しては単純にシングルを出した順に集めた内容になっています。もちろんこの一枚だけをリリースするってパターンもありましたけど、俺らのなかで“それだけだと愛着が湧かないね”って意見が出たんです。だからそれに加えて、以前に“ABYSS”はミドル・テンポでディープな曲、“LUCY”は激しいラウドな曲ってコンセプトでライヴをやっていた時期があったので、そこからヒントを得て、“ABYSS”と“LUCY”というコンセプトで楽曲を選んでみました。この3枚にすることで、シングルで出しているバンドの顔と、本来持っているライヴの顔の両方が出せて、一番the GazettEをわかってもらえるんじゃないかと思ったんです。
――“ABYSS”と“LUCY”はそれぞれのセットリストから選りすぐりの楽曲を選んだと?
そういうことですね。“今、ABYSSとLUCYのライヴをするならどの曲を演るかな”って話しながらみんなで選んでいきました。
――今回は“SINGLES”の選曲をもとに、the GazettEの20年とREITAさんのベース・プレイの遍歴を紐解いていこうと思います。まず一曲目の「Cassis」を聴いてみると、改めてバンド・サウンド、そしてベース・プレイの進化を実感しますよね。
うん、感覚的にフレーズとか音質が若いなーって思います(笑)。比較的シングルの曲でやっているベース・プレイはシンプルなものが多いんですよ。今でも初期の曲をライヴで演奏することがありますけど、今にも通じている部分は確かにあるので、弾いていてもそこまで違和感は感じないですね。
――「Cassis」が収録されている2ndアルバム『NIL』(2006年)までは、メロディアスかつポップな楽曲が多く、ベース・プレイもメロディとリンクするような中音域でのフレージングが多かったように思います。
そうですね。最近はギターとユニゾンするフレーズが多いんですけど、当時は今みたいなローAチューニングとかではなかったし、メロディを弾くようなプレイが多かったので、中音域を出さないとフレーズが浮いてこなかった。“下を支えるだけじゃダメだな”って考えもあったし、あとは単純に自分が前に出たいって若さもあったりとか。
――ちなみにこの当時のチューニングは? ベース・サウンドも比較的クリーンですが。
この頃は全弦一音下げですね。まぁ当時はレコーディングの環境も今とは全然違って、2畳ぐらいの一日4万円とかのスタジオで録っていたんです。しかも時間も21時くらいまでしか音が出せない、みたいな(笑)。だから時間も限られていたし、音作りにも限界があった。それに当時は何種類もアンプを持っているわけじゃなかったから、アレコレ試す時間も機材もなかった。ベースは一本のみ、アンプは当時持っていたアンペグかマークベースだけでレコーディングしていたので、曲に合わせた機材選定ができなかったんですよね。
――若手時代の貴重な苦労話、ありがとうございます。続いて「Filth in the beauty」や「Hyena」などを筆頭に、『STACKED RUBBISH』(2007)では一気にサウンドがブレイク・ダウンを用いた重厚かつハードな方向性に移行しましたよね。ここはひとつのターニング・ポイントとも思うのですが、この当時をどう振り返りますか?
実際に俺もこの時代はターニング・ポイントだと思っていて、「Filth in the beauty」を出したあたりのサウンドが今も生きているというか、今の基礎を作ったのはその頃だと思います。大きいリズムで乗れるような曲が世間のトレンドになっていたし、俺らもそれを求めて縦ノリのリズムを狙っていた部分があったんですよね。
――この当時はメタルコアやスクリーモといったサウンドが台頭してきたタイミングでもありましたが、そことの関連性は?
明確にそれを狙ったって意識はないんだけど、当時はリンプ・ビズキットやリンキン・パークあたりを聴いていた時期でもあったので、そういう縦ノリの感じをファンの人に感じてほしいって思惑はありました。だから90年台後半以降のニューメタルを意識していないつもりでも、どこかにそういう意識があったのかもしれませんね。
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