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    【職人探訪】第2回 – 楽器テック:永野治[MOBY DICK]後篇

    • Text:Zine Hagihara

    エネルギーは充分! オファーも続く

     1980年代は、RED WARRIORSやTHE BLUE HEARTSといった、レベル・ミュージックとも言えるアグレッシブなスタイルのロック・バンドが興隆していた。そして、影響力の高いバンドには自ずとフォロワーが生まれるもので、RED WARRIORSの解散により解放された永野にラブ・コールをかけたTHE PRIVATESもまたそのひとつである。

    “次が決まっていないんだったらウチでやってくれないかって。よりルーツ・ミュージックに近いとても良いバンドだったので、ぜひにってやらしてもらったんです。彼らは、RED WARRIORSの武道館公演でオープニング・アクトとして出ていて、次の世代を担うっていう感じでしたね。今で言うフェス・イベントなんかでも一緒になっていましたし、バンド同士の音楽性がわりと近かったこともあって仲がよかったんですよね”。

     バンド/プレイヤーが変わると、必要とされるサウンドも変わる。そうなると、セッティングにおいてもまた異なる視点が必要になる。

    “例えばベースなら、音楽のジャンルによって鳴らし方や弾き方自体が変わってくるじゃないですか。指弾きとピック弾きが特にわかりやすいですよね。でも、同じピック弾きでもヴィンテージ・スタイルのロックと、ヘヴィメタルでは鳴らしたいサウンドが大きく変わるのでピッキングの角度や強さも違ってくる。そうすると、弦高やピックアップの高さなど楽器本体の調整も目指す方向が異なっていくわけです。さらに究極的に言えば、100のバンドがいれば、目指す理想像も100とおりあると言えると思います。おぼろげながらにある完成形に向けて、僕らは必要なことをひとつひとつ実行に移していくんです”。

     仕事に一生懸命励むなかで、その努力する姿に気づくものが増えていった。

    サザンオールスターズの現場で身についた対応力

     着々と技術を身につける永野は、25歳の頃にビッグ・アーティストの現場に抜擢される。当時のTHE PRIVATESがサザンオールスターズと同じ事務所に所属していたため、共通のチーフ・マネージャーが担当していたというつながりで永野に声がかかった。それまでロック一辺倒だった永野は、サザンの多彩な音楽スタイルに苦戦する。

    “まず、僕を雇うということは新しい試みだったと思います。ローディで飯を食っているっていうのは、当時は新しい存在でしたから。バンドが活動休止から復活するタイミングだったので、彼らが変革期のなかにあったことも、ローディの導入に影響していたと思います。正直、「恐れ多いです、勘弁してください」というのが本音だったんですが(笑)、僕にできることならと引き受けました”。

    “そのときの僕はまだ会社を作る前だったんですが、それでも大きなイベントやライヴのしきりは年がら年中やっていて。でも、それでもサザンの現場は塾や学校に入り直した感じはありました。扱っている音楽要素の量が、ほかのバンドと比べるとあまりにも違うんですよ。今までは一定のジャンルの情報を掘るだけでも答えに近づくことができたんですが、風呂敷があまりにもデカすぎる。アコースティックなバラードもあれば、ファンキーなディスコ・スタイルもあるし、それでいて盛り上がるロックな曲まであって、さらに根っこにはブルースやソウルが常にあるような……古い日本の歌謡曲もバック・ボーンにありますし、もう全部を食い尽くすような感じでした。だから、ひたすらにいろんな音楽を掘っていく日々でしたね。そのおかげで対応力は身につけられたと思いますけど”。

     永野の活躍により、ローディやテックといった職業が徐々に確立されていった。しかし、永野だけではなく、同じ志を持った技術者は同時多発的に現われていたのである。

    VOICE OF BASSIST – 02

    GOT’S(FLOW)

    ——永野治さんのテックとしての技術力をどのように思いますか?

     永野さんとはもう17〜18年くらいの付き合いになるんですが、バンドで初めての楽器テックさんだったので、とにかくいろんなことを教わりました。プレイヤーとしての目線もあり、楽器のこと以外にも“もっとあそこはこういう風に演奏したほうがいい”とか本当に勉強になりました。
     あと、どんなライヴでも同じような環境でステージを作ってくれるので、リハなしの本番でも安心して演奏できるし本番であれこれ言う必要がほとんどないです。
     リハ中もステージに立っていれば言わないでもきちんと思ったところを直してくれる。しかもただ聴きやすいだけじゃなくライヴしてて気持ちいい感じにもっていってくれる。それが海外の公演とかでいつもと違うアンプになってもできるんです、普段と同じようにできるってすごいですよ。おかげで海外のライヴはベース一本を持って行ってるだけです。

    ——永野さんに関する印象的なエピソードを聞かせてください。

     海外公演で調子の悪いアンプがきたことがあって、現地の人はこれでやりなよって雰囲気出してたんですが、永野さんは必ずちゃんとしたモノを用意させてました。僕らだけじゃ絶対“わかりました”ってなっちゃいそうだけど、そういうとこをちゃんと言ってくれて頼もしかったです。

    ——約30年もの間、永野さんがモビーディックの代表として音楽業界を支えてこれた理由はなんだと思いますか?

     永野さん、根はバンドマンって感じがするんですよ。ツアーで地方に行っては楽器を買ってきたりハードオフに掘り出し物を探しに行ったり。“最近どんな音楽聴いてるの?”とか、CDを貸してもらったり。洋服も好きだし。好きなアーティストのライヴを海外まで観にいってたり。たまに楽屋でお香を炊いていたり。ほかのバンドマンからも愛されているのを見ているといつまでも現役バンドマンって雰囲気なんです。そういう親しみやすさだったり探究心が常にあったりするからみんなついていくんだと思います。

    ごっつ●1977年1月26日生まれ、新潟県出身。専門学校に通うために上京し、そこでKOHSHI(vo,g)から誘われてFLOWに加入する。2003年にシングル「ブラスター」でメジャー・デビュー。多数のアニメのテーマ曲を担当し、国内に止まらず海外での人気も高い。これまで11枚のフル・アルバムなどをリリースし、最新アルバムは『TRIBALYTHM』。8月5日には、これまで手がけたアニメ関連タイアップ曲のみで構成されたライヴを収録した映像作品『FLOW 超会議 2020 〜アニメ縛りリターンズ〜 at 幕張メッセイベントホール』を発表する。
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