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二家本亮介が語る“始まり”と“哲学”― セッション・ベーシストとしての原点【本誌連動】

  • Interview:Koji Kano(Bass Magazine)
  • Photo:Yosuke Torii

現在発売中のベース・マガジン8月号の表紙を飾った二家本亮介。類稀なるセンスと卓越したテクニックを備えた、国内ファーストコールのセッションマンだ。

本誌8月号では、巻頭特集『NEO-GENERATION:テクニカル新時代の到来』の筆頭人物として二家本亮介をピックアップ。2万字に迫るロング・インタビューを掲載しているが、ベース・マガジンWEBでは本誌に入りきらなかったアウトテイクのインタビューをお届けする。

その他本誌では、二家本の使用機材の紹介のほか、関係者インタビュー、ACAね(ずっと真夜中でいいのに。)とのスペシャル対談など、多角的な切り口で二家本のベース哲学に迫っている。また二家本自らが監修したMrs. GREEN APPLEの「ライラック」と「クスシキ」のベース・スコアも掲載している。ぜひチェックしていただきたい。

ベース・マガジン2025年8月号
ベース・マガジン2025年8月号

“ベースをもっとうまくなりたい、ならなきゃ”って思いが先行していたんですよね。

 僕が最初に有形ランペイジでベース・マガジンに出していただいたのって、2012年でしたっけ?(2012年12月号) それ以降も機材のレビューとか、ジャコ(パストリアス)に関してのインタビューとか、本当にベーマガさんにはお世話になっています。だから今回こういったお話をいただけてありがたい限りです。

 基本的に僕はサポート・ミュージシャンとして日々過ごしているわけで、なかなかスポットの当たる存在ではないですから。まわりの人からも“いつベーマガの表紙になるの?”とか冗談半分で言われたりしていて、“いや、無理でしょ(笑)”とか言っていたんですけど、まさかの表紙を飾らせていただきました。最初にオファーをいただいたときはびっくりでしたけど、本当に嬉しいです。

 もともと18歳で東京に出てきたときはレッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)のフリーやLUNA SEAのJさん、L’Arc-en-Cielのtetsuyaさんに憧れていて、彼らのような存在になりたかったんですよ。

 そうなんです。でも専門学校時代にジャコに衝撃を受けて、そこからジャコから派生したベーシストを追いかけていくようになりました。専門学校(音楽学校メーザーハウス)時代は江川ほーじんさんや渡辺建さんなど、さまざまな先生方に習っていたのですが、ほーじんさんは超体育会系で、朝起きてすぐアルバムを1枚フルで聴く、寝る間を惜しんで練習するなど、ほーじんさんに言われたことはほとんど実践していました。そのなかでさまざまなベーシストを掘って行った感じです。

 “フリーになりたい”って思いももちろんあったけど、“ベースをもっとうまくなりたい、ならなきゃ”って思いが先行していたんですよね。メーザーにはジャズとかフュージョンの先生が多かったので、そういう環境も大きかったと思います。

 21歳ぐらいから上原ひろみさんのバークリー時代の同期の方とか、Kan Sanoさんや坂東慧さんとかとセッションをやらせてもらっていて、わりとジャズ・フュージョンやプログレの界隈にずっと長くいたんです。専門学校のときにはベースで賞を取ったりとインストの音楽をよくやっていたんですけど、徐々に声優さんとかポップスの現場もやらせていただくようになりました。

 数年前とあるプロデューサーさんに、“昔のニカちゃんのベース、ピロピロ弾いてる感じがあまり好きじゃなかったんだよね”と言われたんです。確かに若い頃の僕は、音色面でもプレイ面でも、まだ歌モノにアジャストできていなかったのかなと思うんです。でもそういったバックボーンがあるからこそ、テクニックを応用した今の自分のスタイルにつながっているのかなとも思います。20代後半くらいからは意識的にインストの仕事を減らすというか、もう少しポップスの仕事を増やしたいと思うようになって、そこからずとまよ(ずっと真夜中でいいのに。)をはじめとしたいろいろなお仕事をいただけるようになりました。

 “こういうアーティストがいて、絶対ニカちゃんのベースがハマると思うんだよね”と事務所の方にご紹介いただいたんです。最初に弾いたのが「眩しいDNAだけ」(2019年)で、そこから“ライヴもこのメンバーで行こう”となって今に至ります。その紹介がなければ「お勉強しといてよ」(2020年)も僕が弾いていなかったでしょうし、ライヴも違うベーシストが弾いていたでしょうね。

ずっと真夜中でいいのに。「眩しいDNAだけ」
ずっと真夜中でいいのに。「お勉強しといてよ」

 そうなんです。ずとまよ以外だと有形ランペイジの「The De’but」(2012年)のベース・ソロを、いまだに若い子がコピーしてくれていたりして。僕のことをずとまよきっかけで知ったベース・キッズも多いと思うので、今の自分があるのはずとまよのおかげと言っても過言ではないと思います。

 でも、どうしてもテクニックがひとり歩きしているような感じがするんですよね。僕はテクニックだけじゃなく、バッキングだったりと、いろいろと大切にしているものがあるんです。だから今回表紙にしてもらった告知のタイミングでXとインスタグラムを再開しようと思っていて(笑)。今後は日々の活動などいろいろ発信していこうと思っているのでぜひチェックしてほしいです。

有形ランペイジ「The De’but」

 正直、違いますね。もちろんそれぞれにいろいろなタイプのプレイヤーがいることは大前提ですけど、どちらかと言うとバンドマンは体に曲を叩き込む人が多いのかなって思います。一方、セッションマンの場合は日々譜面と睨めっこしながらいろいろな曲を瞬時に演奏していくので、根本的に考え方が違いますよね。だからバンド的な趣向で演奏する場合には、僕らはバンドマンには敵わない。逆に瞬発的な演奏への対応力はセッションマンの強みだと思っています。

 そうですね。あとセッションマンの場合はある程度譜面を読めることは絶対だし、劇伴とかだと資料を事前にいただけないことも多いんです。スタジオに着いたら20曲くらい譜面が置いてあって、場合によってはコードすら書かれていなくて、玉譜を読みながらその場で演奏を判断していく必要がある。

 劇伴だと2,3時間で20曲録ることもあるので、いちいち“シャープのキーなのに玉譜はフラットで書いてあって理論的に間違ってる”とか、“コード表記がおかしいです”なんて言ってる時間はないんです。そういった瞬発的な能力に加えて、“この部分はデモと変えてほしい。何かいいフレーズはないですか?”とか、“ここはベース・ソロを弾いてほしい”といったオーダーにも対応しないといけない。玉譜を読みつついろいろなスキルを瞬間的に使い分けられないと対応できないので、できる人は限られると思います。

二家本亮介

 バンドマンだったらメンバーや事務所の方の許可さえ降りれば自分の好きな音で好きに弾くことができると思うんです。でもサポートの場合はクライアント側を満足させないと次がないんですよ。キャリアを重ねてきたことで、ここ最近は僕のプレイスタイルを知ったうえで呼んでいただくことが多いんですけど、若い頃だとレコーディングで“コイツ大丈夫か?”みたいな空気を感じたり、高圧的なディレクターさんに厳しいことを言われたこともあります。だからそこに負けない、黙らせられるくらいの技量とメンタルがないとそこで萎縮して終わってしまうんです。それもあって僕は毎回オーディションのような気持ちで望んでいますね。

 そうですね。例えば“プレベでソウルに振り切る”って人ならプレベ一本だけでもいいと思うし、ある意味、そこまでスタイルを作り上げたら勝ちだと思います。でも僕に世間的なイメージが付いていることは理解しているし、そういったイナたい楽曲の依頼は僕にはあまり来ないんですよね(笑)。正直、僕も若い頃はなんでもできるプレイヤーになりたかったけど、誰しも得意不得意は絶対にあって、適材適所で良いと思うんです。マーカス・ミラーにメタルの依頼は来ないですよね(笑)?

 僕は自分のイメージやスタイルを確立してきたなかで、ひたすらオーダーに応えている感じで、どこでも全部アクティヴ・ベースでバキバキ弾いているわけではないんです(笑)。劇伴だとソウルっぽいものからファンク、ロック、ラテン、プログレ、メタル、ウッド・ベースでジャズとか、いろいろな音楽をプレイする。そういう現場を踏んでいるからこそ、嫌でもいろいろなスキルを身に付けることができました。

 スラップを積極的に楽曲に取り入れるプレイヤーが増えているように思う一方、ロータリーみたいな高度なテクニックが一般的なものになったように思います。僕が今一番すごいと思う若手プレイヤーが、本誌にインタビューが載っていて、僕もコメントを寄せさせていただいた(ミシェル)ピポキーニャ。彼がアドリアン・フェローと演奏している映像を観たことがあるんですけど、もはやアドリアンがひと世代前のスタイルに聴こえるんです。ピポキーニャのほうが柔軟でリラックスして演奏しているというか、もう異次元ですよね。今の20代の若いプレイヤーはまた僕とは違うインスピレーションを受けているんじゃないかな。

 たくさん音楽を聴くことはもちろん、上手な人と一緒に演奏することが一番の上達への近道だと思うので、臆せずどんどん挑戦して揉まれてほしいです。僕も若手の頃にバリバリ第一線の人たちのなかで揉まれて、当時は“帰りたい”って思いながらやっていましたけど(笑)、それでも逃げずに戦いました。ライヴ中に拍を見失ったり、ライヴのあと先輩にダメ出しされたことも何度もあります。そういう経験をたくさんして、その度に努力してきた結果、今の自分があるんです。

二家本亮介
現在発売中のベース・マガジン8月号でも二家本亮介のインタビューを掲載中!
自身の抱くテクニック概念、そしてセッションマンとしての歩みを振り返った、合計2万字に迫る二部構成でお送りしています。

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◎Profile
にかもと・りょうすけ●山口県岩国市出身。14歳でベースを始め、高校卒業後に音楽学校メーザーハウスに入学。2012年に有形ランペイジでデビュー。その後、世界的ギタリストのリー・リトナーや上原ひろみとも共演し、現在国内ファースト・コールのサポート・ベーシストとして、近年では、ずっと真夜中でいいのに。、Mrs. GREEN APPLE、Reol、WANDSをはじめ、乃木坂46、King & Prince、Snow Man、スプラトゥーン3、龍が如く8のサントラなど、ジャンルレスに多くの楽曲に参加している。

◎Information
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