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  • NOTES

    乱読ならぬ乱聴で、追いつけ追い越せ!

     そしてバカボンの20代前半は、スタートの遅さを巻き返して余りある、凝縮された音楽三昧の日々だったことだけは確実だ。

    “大学時代、音楽の知識がないから、みんなに追いつくために何でも聴いてやろうと思って、1枚百円のLPを持てるだけ買って(ベース・マガジン2020年8月号参照)、手当たり次第に聴いたけど、嫌いなのがなかった。どれ聴いてもおもしろかった。それと、クリムゾンにハマってた頃、先輩から言われて聴いたのがウェザー・リポートの『ヘビー・ウェザー』。「うわ、何これ、すごいな!」って驚いた。それまで、すごいと思ったらすぐコピーしてたけど、ジャコ(・パストリアス)のベースだけはすごすぎて、コピーするのを諦めた。ジャズっぽいのかな?と思ったけど、そういうことすらわからないで聴いてたんですけど”。

     手当たり次第聴いていると、だんだんジャンルや傾向がわかるようになっていく。そこから自発的に似通った音楽に手を伸ばし、欠落していたピースは徐々に(急速に?)埋まっていく。

    “ジャコに驚いていた頃、たまたま聴いたのがマリーナ・ショウの『フー・イズ・ジス・ビッチ、エニウェイ?』ってアルバムで、ベースがチャック・レイニーなの。「うわ、これは素晴らしい!」って思って、またハマって。ウェザーに比べて、とっつきやすくて楽しいから。それをきっかけにソウル系のものを手当たり次第に聴くようになった。メトロファルスの頃も、伊藤ヨタロウ(vo)くんがいろんなのを聴かせてくれた。わざわざカセット・テープに録音して、それをくれるんです。いろんなのが入ってて、ニュー・ウェイヴ系やソウル系だけじゃなくて、デヴィッド・グリスマンっていうブルーグラスのマンドリンの人とかも。あんまり良かったんで、あとでレコード買いました”。

     レコードばかりでなく、実際の演奏を観るため、お金の続く限りライヴにも通った。

    “今でも覚えてるのは、ジャクソン・ブラウン。めちゃくちゃ良かった。ドラムとベースはシンプルだけど、カッコいいの。ジャパンもシビれました。あと、キース・ジャレットのソロ・コンサートは、めちゃくちゃ良かったですね。それから、新宿のツバキハウスっていうライヴハウスにマッドネスが来たときは、めっちゃ盛り上がりました。演奏はそれほど上手ではないんだけど、やたらカッコよかった。あとホール&オーツも、めちゃくちゃ良かったです。今思えばジャンル的に偏ることがなく観てました。全部違う。許容範囲が広かった。自分で言うとヘンだけど、音楽が好きってことなんでしょうね”。

    仏教の教え

     小学校時代、仏像を彫る器用さがあったことをはじめ(ベース・マガジン2020年8月号参照)、周囲と異なっても我が道を貫く意志の強さ、座禅や読経で培われた集中力などは、彼の人生のキーワードであるように思えてならない。寺で過ごした高校時代が貴重だったと語るのは、今の彼の価値観に大きく影響していることを自身が認めているからだ。仏教の教えは現在のバカボンに、どのように作用しているのだろう。

    “日本の仏教ってのは、大乗仏教なんだけど、仏教の修行には、大きく分けて自利行(じりぎょう)と利他行(りたぎょう)ってのがあるんです。自利行は、座禅とか滝に打たれたりとか 自分の修行のために必要なこと。利他行ってのは他を利することで、例えばホームレスへの炊き出しとか、社会福祉みたいなこと。上から目線で人に施しをするとかいうんじゃなくて、誰かにご飯を食べてもらったら、ありがとうございますっていう。つまり、他人の幸せが自分の幸せになるっていう。

     これを音楽でいうと、バンドでベースが黙々とリズムとコードを出してれば、ギタリストが多少アウトしようが、ベース聴けばどこやってるかわかる。そういう存在のベースって、大乗仏教でいう利他行に近いように思える。少なくとも自分はそう思ってベースを弾いてます。

     坊主をしてたときは、逆に自利行しか考えてなかった。だから滝に打たれたりとかがおもしろかった。でもベースって楽器のありようを考えて利他行に似てるって思ったとき、なんだ俺、わりと近い道を歩んでたんじゃんって(笑)”。

    メイン・ベースは、1961年製フェンダー・ジャズ・ベース。1965年製を買ったのちに、下取り&買い替えを繰り返し、最終的にこのベースに落ち着いた。
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