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    【ニッポンの低音名人extra】 – 長岡“ミッチー”道夫

    • Text:Koichi Sakaue
    • Photo:Eiji Kikuchi

    関係者が語る長岡“ミッチー”道夫 -01

    大野雄二の証言

    大昔からのコンビの参加で、サウンドが若返った!

     テレビ版『ルパン三世』の第2シリーズを やったYou & Explosion(1977年〜)は、固定メンバーじゃなくてね、そのときに応じてスケジュールの合うミュージシャンを使っていた。当時、仕事をお願いしていたのが、ベーシストでは岡沢章やミッチーだったので、ある意味自然と。最初は岡沢章で途中でミッチーに変わったよ。もともと岡沢は、世界的にもケタ違いにすごいベーシストだったけど、ミッチーに変わったとき、それに匹敵するくらいすごいやつが出てきたって感じがした。

     使っていい音といけない音についても、考えながらプレイしてくれていることは、いつも感じているし、いつもきっちりやってくれている。うまいプレイヤーはできて当たり前だと思うし、そこは意思疎通できているよ。

     2016年のYuji Ohno & Lupintic Sixの結成にあたっては、久々にミッチーと市原康(d)が参加したけど、大昔(You & Explosion)からのコンビだし、や~~~っぱりすごいふたりだなと思った。安定感も出たしね。バンドの年はとったけど、サウンドは若返った! ふたりのリズムには深さと安定感があって、ドシッとしてる。リズムが先走らないんだよ。

     ミッチーの変化した部分? あまりないな。昔からずーっとあんな感じでステディなやつ。無口だけど、メンバーとバカ話で盛り上がっているのを横でニコニコして聞いてくれて、ときどき突っ込んでくれる、いい人。ただここ数年、Lupintic Sixのツアーで日本中を回るようになって、ミッチーもへべれけに酔っぱらうことがあるんだ!って、人間的な一面も見ているよ。というわけでミッチー、今までどおり、ステディに縁の下の力持ち的な感じで、これからもヨロピク。

    おおの・ゆうじ○ 大学在学中に藤家虹二クインテットに参加し、白木秀雄クインテットを経て自らのトリオを結成。解散後は作・編曲家、プロデューサーとして膨大な数のCM音楽制作をこなしつつ、『犬神家の一族』(1976年)や『人間の証明』(1977年)など、映画やテレビの音楽も手がけて多くの名曲を生み出す。『ルパン三世』(1977年)や『大追跡』(1978年)のサウンドトラックは特に大きな話題となった。「ルパン三世」をセルフカバーしたジャズ・コレクション『LUPIN THE THIRD「JAZZ」』(1999年)の大ヒットをきっかけに、プレイヤーとしての活動も本格化。2016年にはメンバー編成を新たに、Yuji Ohno & Lupintic Sixを結成し、精力的に活動している。

    関係者が語る長岡“ミッチー”道夫 -02

    芳野藤丸の証言

    譜面バリバリだし間違えないから、いてくれると安心。

     SHŌGUNの前、ヒデキ(西城秀樹)から“藤丸さん、僕のバンド作ってよ”って頼まれて、バック・バンドを作った。ヒデキのバックって最初は普通のビッグ・バンドがやってたけど、そこに僕がひとりで入って、そのあとヒデキが自分専用のバンドが欲しいっていうんで、それで僕がメンバーを集めて作ったの。「傷だらけのローラ」(1974年)とか、馬飼野(康二/作曲家)さんの曲を歌ってた時代。そのバンドが藤丸バンドって言われてた。最初ベースはミッチーじゃなかったんだけど、途中からミッチーになった。

     SHŌGUNやり始めてヒデキのバンドは辞めたけど、そのあと間が空いて、もう一回(西城)ヒデキに頼まれてバンドを作ったときも、ベースはミッチーを誘ったよ。いちばん信頼できるから。

     ヒデキのレコーディングも、後半はミッチー。初期の頃はレコーディングまではやってなくてライヴだけだったけど、僕たちがスタジオで売れてきてからレコーディングにも使ってくれるようになった。ヒデキが言ってくれたのかどうかは知らないけど、事務所も僕らがバックやってたのを知ってたから、レコーディングでもいけるって思われたんだろうね。

     ミッチーはスタジオでもあんまり間違えないけど、ライヴでも間違えない。人間だから間違えないはずないんだけど、たぶん間違えてもすぐに元に戻せるというか、一瞬で切り返せるんだよ。一回間違えたらボロボロになっちゃうやつもいるからね。“お前、どこいくの?”みたいなやつ(笑)。でもミッチーはそうじゃない。ミッチーはスタジオで、差し替えとかしないからね。譜面も初見でバリバリに弾いてたから、最初すげえなって思った。

     うまいベーシストはたくさんいるけど、ミッチーがいちばん安定してる。不安定なやつも多いよ。よく間違えるとかさ。ミッチーは間違えないもの。本当に間違えない。だから安定してるんだろうね。

     僕から見るとベースは土台。二等辺三角形というか円錐型の下の部分。そこがドーンといてくれれば、上は少しは間違えようがふらつこうが安定するんで。その安定感を感じさせるやつってのは、いそうでいない。数少ないひとりじゃない? どんな音楽でもミッチーだったら安定してるから僕は安心。これからもドーンとしてて欲しい。体つきじゃないよ(笑)。

     ミッチーがうしろにいると安心するのは、ノリが合うからっていうのもある。だから気持ちいいんだよ。うまい人はいても、ノリが合わない人っているからね。

     まあ結局は人間ですよ。人柄ね。ミッチーだったら、いろいろあってもぜんぜん許せちゃうから。僕はスタジオでいろんな人とやってきたから、ある程度どんな人とでも合わせられるけど、ミッチーとの関係は、それとは違うレベルなんだよ。だってすごく人がいいから。ミッチーとケンカしようなんてやつはいないよ。ミッチーって絶対に人の批判とかしないから。あればすごいと思った。いつもひょうひょうとしてる。

     長くやってるとおもしろいことばっかじゃなくて、イライラすることもあると思うんだよね。スタジオだからさ。やってる音楽がつまんなかったりなんてしょっちゅうだし、いつもノリノリでいい感じでできるわけないしさ。そんなときミッチーは“疲れたねー”とかはたまに言うけど“こんなのやりたくねえ!”とか言ったことないもんね。怒ったの見たことない。

     これからも一緒にやりたいね。ミッチーとは“いつかまたSHŌGUNやらなきゃね”って話してるんだよ。

    よしの・ふじまる○1951年生まれ、函館市出身。大学の仲間とバンドを結成し活動後、つのだひろとスペース・バンドにギタリストとして加入。1973年に西城秀樹のバック・バンドとして藤丸バンドを編成し、1978年ONE LINE BANDでレコード・デビュー。のちにSHŌGUNと名前を変え、テレビ番組『俺たちは天使だ』『探偵物語』などの音楽も担当する。1982年にソロ・デビューし、そのレコーディングに集まったメンバーを中心にAB’Sを結成。その後ソロ・ワークを続けながら2019年にはAB’Sを再結成した。
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