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    【ニッポンの低音名人extra】 – 長岡“ミッチー”道夫

    • Text:Koichi Sakaue
    • Photo:Eiji Kikuchi

    テレビでベースは聴こえない?

     ところで、テレビの歌番組にバンドが出演しても、ベースの音はヴォーカルやギターに比べ、ほとんど聴こえてこない。西城秀樹でもSHŌGUNでもヒットを飛ばしていたから、長岡はテレビにもよく出ていたが、長岡の存在に注目していた視聴者はほとんどいなかった。

    “ベースの音はテレビじゃ聴こえないからね。それでいいんだよ。ベースは下支えだから”。

     しかしテレビを観ていた全国の老若男女が口ずさんだ、長岡によるベース・ラインが1曲だけある。志村けんと加藤茶による、ヒゲダンス(1979年〜:ドリフターズ主演のバラエティ番組『8時だョ!全員集合』後半のコント・コーナー)でかかる曲、「「ヒゲ」のテーマ」(1980年)がそれだ。ソウル・ミュージック好きだった志村の意向を反映し、テディ・ペンダーグラスの「Do Me」(1979年)のベース・ラインを抜き出してアレンジされた曲として、ソウル好きの間でも注目を集めた曲だ。この曲でも途中から長岡のチョッパーが聴ける。

    “あれはねえ、「これってなんの仕事だ?」って思いながら弾いた曲。ギターは藤丸で、大谷さんも参加してるよ。あの曲でも「チョッパー入れてくれ」とか言われて「え、この曲でどこにチョッパー入れるんだよ?」って思いながらも何とか入れたよ(笑)。スタジオでは「そんなのできるわけないだろ!」っていうようなリクエストがくるから、逆におもしろいんだけど”。

     ちなみに2020年に志村けんが亡くなった際、布袋寅泰(g)、そしてハマ・オカモト(b)が、それぞれオマージュとしてこのフレーズを弾いた映像を公開していた。

    スタジオ悲喜こもごも

     スタジオ・ミュージシャンは腕利きが当たり前。だから、どんな組み合わせでも、基本的には合わないということはない。ただそのなかで何度か相性を感じることはあったという。

    “例えばの話さ、「まわりの音、ちゃんと聴いてる?」って思うようなタイプはたいていギタリスト。ギターって良くも悪くも目立つからさ。こっちもその音が気になっちゃってうまくできなくなるというか。最近はほとんどいなくなったけど、たま〜にいるんだよ(笑)。その点(芳野)藤丸なんかはそういう、曲を邪魔するところが全然ない。特にカッティングがいいしさ。まあ、あいつはそれで歌もウマいし、作る曲も良くて、しかも華がある。北海道が生んだ偉大なミュージシャンだね”。

     ギター以外のパートでも、曲にハマらず、うまくいかなかったことがあったようだ。

    “曲の邪魔になるって意味ではドラムでもあるよ。めちゃくちゃ大物歌手のレコーディングやってて、ドラムを聴きすぎて失敗したことがあったな。なんかドラマーがだんだん余計なことをやるようになっていって。自分がもっと先回りして、リードしてれば解決できたなって、あとから思った。ただスタジオって、だいたい1時間に1曲くらいのペースで進んでいっちゃうから、仕切り直している時間なんてないんだよ”。

    ベースで大事なのは

     長岡はナイトクラブのハコバン時代に、ベースがバンド・サウンドを支えていることに気づいた。19歳だった。当たり前だがベースはバンドにひとりだけ。つまり、ひとりで全体を支えなければならないという自覚が芽生えたのもこの時期だ。自分が間違えると曲が壊れてしまうという経験を経て、たどり着いた結論だった。だから芳野藤丸も言っていたが、長岡は滅多に間違えない。つまらないミスが少ないというのは、時間で仕事をするスタジオ・ミュージシャンにとっては生命線となる。もちろん、このときはそんなことなど意識していない長岡だったが。

     バンドを支えるためには何が必要か。ひとつは準備だ。長岡は譜面の束を持ち帰り、本番までの間、徹底的に曲をさらった。名ベーシストのひとりである岡沢茂(b:本誌2020年11月号で登場)は、複雑で緻密な譜面を書くアレンジャーの仕事があると、早めにスタジオに行き、ベース譜だけでなくキーボードの譜面を事前にチェックして予習をしていた。その話を長岡にした際、彼は言った。

    “わかる! 早めに行くシゲルはエラい! ベーシストはそれが大事なんだ。ベースは支えなきゃいけないから。間違ったら責任取れないから。ベースは、曲の基本的なことを、誰よりも理解して弾かないとダメなんだよ。それがわかってるベーシストは、みんなそういうことをやってる”。

     周到な準備は余裕を生む。その余裕を何に使うか。長岡はプロデューサーやアレンジャーの考えを洞察することに神経を使った。

    “自分をウマいとはぜんぜん思ってないけど、ベースは、人の気持ちを読むことが大事で、それができれば弾けると思ってる。楽器をやるってことは、それで自分を表現するってことだから。ギターでもなんでも、そこから始まると思うけど、ベースの場合は特にそう。だって下支えだからさ”。

     そんなベースを、長岡と同列で奏でている同業者に対して、長岡にはどう見えているのか。気にしていたベーシストはいたのだろうか。

    “岡沢章とかは年下だけど、僕より先にプロでやってたから知っていた。高校〜大学のときやってたフィーバーズ時代に、どこかの店で顔を合わせたりしてたから。当時のメンバーが、どこかでアキラのバンドを観てきて「ミッチー、エム(当時、岡沢章が在籍していたグループ)のベース、うまいよ」ってずっと言ってて、それがアキラのことだった。あのベースカッコいいいってね。同じ店での対バンだったか隣の店でやってたか覚えてないんだけどさ”。

     そしてベーシストに対しては、ほかのパートとは別次元の、特別な思い入れがあると長岡は言う。

    “アキラとは飲みたいけど、あまり会えないんだよね。アキラと僕はね、シゲル(岡沢茂)もそうだけど、めちゃくちゃ信頼関係がある。世の中いろんな人がいるけど、この世に生まれてきて、同じ地面で同じようなことをやって、みんなで価値観を作っていってるわけだから。そのなかで音楽の下支えをベースって楽器でやってるなんて、すごい確率だなって思うんだよ”。

     歌が好きだった少年がギターを始め、ギターに挫折しベースを始め、ベースに専念したら、たちまち売れっ子に。その背景にはいろいろあったことが、話を聞いてわかってきたが、その最も重要なことはひょっとして、自身のベースより、歌やメロディを大事にしていたからだったのではなかろうか。

    “今は歌わないで、ベースだけの仕事がほとんどだけど、そんなときでも歌やメロディを聴いてるんだよね。歌を聴いて刺激を受けるから弾いてても嬉しくなる。で、嬉しかったらベースからもそういう音が出せるという”。

     そして歌の本質は、ルーツである坂本九から感じ取っていた。つまり、ウマいとかヘタとか、そういうこととは無関係にある本質を見抜く感性を、長岡は持っていた。

    “声って、その人の人生っていうか、その人のすべてがが入ってるって僕は思うのね。九ちゃんってのは、それが最も伝わってくる人だったと思う。彼は別にウマいっていうタイプじゃない。感情表現がすごくいいんで、自分もそういう感じで歌ってたしね。結局、小学校の卒業文集に書いた「僕は坂本九ちゃんの二代目になる」っていうのは、音楽で身を立てるってことだったんだなって、今は思ってるよ(笑)”。

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     長岡に何度か話を聞く機会に恵まれ、同時に彼の弾くベースを改めて聴いて感じたことがある。まず、芳野藤丸があの音に全幅の信頼を寄せるのは、全面的に納得できた。そして、大野雄二が長岡を、ベースのなかのベースだというのも、そのとおりだと思った。しかしあの華奢な体格から、あれだけの野太い低音が出てくる理由は、いまだに謎のままだ。

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