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【追悼 – ジェフ・ベック】天才ギタリストを支えた名ベーシストたち

  • Text:Masayoshi Kondo

2023年1月10日、ロック界最高峰の天才ギタリスト、ジェフ・ベックが病に倒れ帰らぬ人となった。享年78歳だった。“世界3大ロック・ギタリスト”の一角として、革新的なギター・プレイでロックの可能性を飛躍させ、いくつもの伝説を生み落としたジェフの名演を振り返ると、そこには彼を支えた名ベーシストたちの存在があった。ここでは追悼の意を込め、ジェフの各活動時期から、7人の名ベーシストをピックアップして紹介するほか、天才的ギター・プレイとの絶妙な絡みが聴ける、色褪せることのない名盤を紹介することで、改めてジェフの功績を讃えたいと思う。

『Truth』第1期ジェフ・ベック・グループ(1968年)
【Bassist:ロン・ウッド】

せっかく掴んだヤードバーズのギタリストというポジションを放棄し、ジェフが脱退したのは1966年。過酷な米国ツアーの最中に脱走し、それっきり戻らなかったとのことだ。その後、ロンドンでは次なる活動のために酒場でメンバー探しをする時期が続き、“ダーリン・オブ・ディスコティック”というニックネームまで付けられてしまった。マネージャー/音楽プロデューサーのミッキー・モストは「Hi Ho Silver Lining」「Tally Man」「Love Is Blue」といったポップ・ソング路線でジェフを売り出そうとしたが、ブルース・テイストのハードロックをやりたかったジェフは、ロッド・スチュワート(vo)やロン・ウッド(b)と第1期ジェフ・ベック ・グループを結成。3人による演奏をポップなシングルのB面曲にカップリングすることでスタートを切った。初のアルバムとなる本作の録音現場にミッキー・モストがほとんど不在だったこともあり、バンドは自由に録音。それがブルース・ロックの名盤である本作の誕生秘話である。

この時代の旬だったベース・スタイルは、クリームで注目されたジャック・ブルースやザ・フーのジョン・エントウィッスルのような、歪んだ音色でギターさながら自由に弾きまくるスタイル。ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのノエル・レディングのように、もともとギタリストだったプレイヤーがベーシストとして活躍するケースもあった。ロン・ウッドもギタリストとしてのキャリアを持ちながらベースを担当している。ロンの場合は比較的リフを強調した弾き方ではあるが、タイム感がギタリストのそれであるためワイルドな印象だ。ミック・ウォーラーのドラムとともに、迫力のあるブルース・ロックのリズム・セクションを形成している。以降の70年代におけるハードロックのベース・スタイルはここから始まったと言えよう。

『The Jeff Beck Group』第2期ジェフ・ベック・グループ(1972年)
Bassist:クライヴ・チェアマン

第1期ジェフ・ベック ・グループは、ウッドストック・フェスティバルへの出演をキャンセルしたあたりで空中分解となる。その後ジェフはヴァニラ・ファッジのティム・ボガート(b)、カーマイン・アピス(d)とバンドを組むはずだったが、ジェフの交通事故による入院でティムとカーマインはカクタスを結成し、この計画は頓挫。そのタイミングでジェフが新たに集めたメンバーが、第2期ジェフ・ベック ・グループだ。このバンドでジェフが狙ったのはヘヴィなハードロックではなく、当時のニュー・ソウルの路線を大胆に取り入れたロック・サウンド。16ビートやエレクトリック・ピアノを採り入れたダニー・ハサウェイやスティーヴィー・ワンダーのようなサウンドは、当時のシーンにおいてもっとも新しく革新的だったのだ。

ギターも過激に歪ませるのではなく、シャープで伸びやかなクリーン~クランチな音色。情緒豊かなリード・ギターだけではなく、フィルインやカッティングというジェフの渋いバッキングを聴くことができるという点で、特別な時期だったと言えるだろう。『Rough And Ready』(1971年)と本作の2枚のアルバムをリリースしたこの第2期ジェフ・ベック ・グループは、今もファンの間で人気が高い。特に、スティーヴ・クロッパーをプロデューサーに迎えた本作は、ニュー・ソウルだけでなく、のちのレイドバックまでを先取りした歴史的名盤だ。 

第2期ジェフ・ベック・グループはジェフとコージー・パウエル(d)が出会ったところから始まる。バンドのラインナップが固まる以前に、両者はデトロイトまで出向き、レコードでお馴染みのモータウンお抱えスタジオ・ミュージシャンたちとセッションまでしている。この方向性のもと、メンバーに選ばれたベーシストがクライヴ・チェアマンだった。本作からもわかるように、クライヴのモータウン・スタイルで弾くベース・プレイは、ルート音やリフをピックで8ビートに合わせて弾くというハードロック流ではなく、ランニング・フレーズの16ビートの指弾きというソウル/R&B流。ジョン・ポール・ジョーンズなどもその流派と言えるだろう。数年後、レインボー在籍時のコージーが、“うまいベーシストが欲しい”というリッチー・ブラックモア(g)のリクエストに対し、クライヴをオーディションに呼んだというエピソードも残っている。

『Beck, Bogert & Appice』ベック・ボガート&アピス(1973年)
Bassist:ティム・ボガート

第2期ジェフ・ベック・グループのメンバーから、リズム・セクションを“ボガート&アピス”にチェンジしたことから始まったこのバンドは、初期においてポール・ロジャース(vo)の獲得を画策したがうまくいかず、ヴォーカルを任せたキム・ミルフォード、ボブ・テンチも短期間で去り、ジェフが絶大なる信頼を寄せていたマックス・ミドルトン(k)までも脱退したために結果的にトリオとなった経緯がある。ジェフはキーボード不在の編成に最後まで反対していたらしいが、いつの間にかマネージメントは“最強のハードロック・トリオ”というキャッチフレーズで売り出し始める。

3人が最初にバンドを組もうとした1969年から4年近くが経過しており、時代はすでにクリームやジミ・ヘンドリックスのようなハードロック・トリオの時代ではなかった。しかもジェフは第2期ジェフ・ベック ・グループで時代を先取りしたソウル寄りのロックを展開していたばかり。この“あと戻り感”がジェフを戸惑わせていたことは知っておくべきだ。以後のキャリアのなかでジェフが当時のことをいっさい語ろうとしないことにも納得がいく。日本でも人気が高いB,B&Aは、世界的に見ればそういうスタンスのバンドだったのだ。また、本記事のメイン写真はB,B&Aのライヴ・カットだ。

“ギターのように弾きまくるベース”としてその筋では絶大な支持を集めているティム・ボガート。相棒のドラマー、カーマイン・アピスとともにヴァニラ・ファッジ、カクタスと歩んできた最強リズム体の最終形が、このベック・ボガート&アピスだった。さらに過激なサウンドでやりたい放題のベース・プレイを味わいたいならライヴ盤『Beck, Bogert & Appice Live』もあるが、ボガートの“必殺・弾きまくりベース”はスタジオ盤でも充分に味わえる。ラウドに歪んだトーンでギターやヴォーカルの隙間をぬってウネりまくる様は圧巻のひと言。しかも超絶ベースを弾きながらのリード・ヴォーカルやコーラスもこなすのには脱帽だ。そしてバラード曲「I’m So Proud」のイントロなどで聴かせるセンスの良い音づかいも必聴。

『Blow by Blow』ジェフ・ベック(1975年)
Bassist:フィル・チェン

B,B&A解散後、ジェフは弟分的バンドのUPPを従えてテレビ番組に出演し、まだレゲエ・バージョンになっていないファンク・バージョンの「She’s a Woman」を披露。そして次なるインスト・アルバムのアイディアを形にするためカーマイン・アピス(d)、マックス・ミドルトン(k)、フィル・チェン(b)の4人で本作の初期セッションを開始。カーマインの離脱後、マックスが連れて来たリチャード・ベイリーをドラムに迎え、レコーディング・セッションは仕切り直された。実質的なアレンジャーと言えるマックスのジャジィなキーボードが展開をリードし、曲はジャム的に次々と仕上がっていったそうだ。4人は1日のジャム・セッション後、ほとんどの曲を4人同時のライヴ形式で一週間もかけずにレコーディングしたというから驚きである。おもしろいことに「She’s a Woman」のレゲエ・アレンジにプロデューサーのジョージ・マーティンは反対したそうだが、ジェフが採用を決断している。また多忙なジョージが仕事をこなせるよう、ジェフが多数のダビング用ギター・パートの録音を用意していた。ジョージがそれらを使って最終的なダビング、ミックス、そして「Scatterbrain」や「Diamond Dust」のオーケストラ・アレンジを行ない、曲順を決定して本作を完成させている。 

本作は1975年にリリースされ、インストにもかかわらずビルボード・アルバム・チャート4位という好セールスを記録。本作はジェフのフュージョン期の幕開けを宣言したアルバムというだけでなく、ロック・サイドからのフュージョンへのアプローチとしてこの時代に偉大な足跡を残した。それは同時にジェフ・ベックというジャンルの確立を意味している。

本作のサウンドを支えた若きリズム・セクションがリチャード・ベイリー(d)とフィル・チェン(b)。ふたりは、プロデューサーのジョージ・マーティンがリズム面にあまり口を挟まなかったこともあり、カーマイン在籍時のデモすら参考にすることなく、自由にグルーヴを作り出したという。このリズム体によるファンク度の高さはジェフの数あるアルバム中でも間違いなくナンバーワンだろう。フィルのベースはR&Bを基盤とした16ビートのファンク・ベースと、ストレートな8ビートのロック・ベースを兼ね備えており、強力な縦ノリだけでなくニュアンスに富んだ横ノリのグルーヴを加えることができた。ロックとファンクをクロスオーバーさせた、本作における影の立役者である。

『Emotion & Commotion』ジェフ・ベック(2010年)
Bassist:タル・ウィルケンフェルド

『Who Else!』(1999年)、『You Had It Coming』(2000年)、『Jeff』(2003年)とデジタル3部作をリリースしたジェフ・ベックは、精力的にツアーをこなし、2005年からはヴィニー・カリウタ(d)、ピノ・パラディーノ(b)、ジェイソン・リベロ(k)というバンド・メンバーに落ち着いていた。その後、多忙なピノが抜け、後任者としてジェイソンやヴィニーはまだ二十歳そこそこの新人女性ベーシスト、タル・ウィルケンフェルドをジェフに推薦。すぐさまメンバーとなったタルは、2007年7月のクロスロード・ギター・フェスティバル(DVDでリリース)のステージに登場し、その若さと可憐なルックスからは想像し難いハイ・テクニックと強力なグルーヴ感で注目を集めた。そのままロニー・スコッツ・クラブにおける5日間のライヴにも参加し、こちらも『Performing This Week…Live At Ronnie Scott’s』としてCDとDVDがリリースされており、彼女のベース・プレイがしっかりと記録されている。

2009年2月にはジェフのジャパン・ツアーにメンバーとして同行し、彼女はその勇姿を日本のファンに示した。ツアーの最終公演である埼玉スーパーアリーナでの2日間は、エリック・クラプトン(g)とのジョイントという歴史的なコンサートとなった。タルは2007年半ばでジェフのバンドに加入し、2009年のツアーをもってバンドから離脱。2008年はジェフはほとんどライヴをやっていないので、2007年と2009年がジェフのベーシストとして活躍した時期である。在籍期間としては短かったものの、強烈なインパクトを持つ彼女の存在は、彼女にとってもジェフにとっても、シーンにおけるお互いのキャリアをアップさせた良い関係だったと言えるだろう。

2010年にリリースされた、ジェフにとって7年ぶりのスタジオ作となる本作。タルは4曲に参加している。21世紀になってからはスタジオ・アルバムが少ないうえ、全曲を同じバンド・メンバーで録音することはなくなっていたので、スタジオ・アルバムにおける彼女の参加はこれのみである。ジェフのライヴにおける彼女の演奏力は、来日公演やライヴCD/DVDですでに体験していただけに、新曲のスタジオ録音で彼女がどんなプレイをするのか、そこに注目したファンは多かった。そして本作での堂々とした仕事ぶりは見事だった。ジェフのバンドに加わる前に、自身のデビュー・アルバム『Transformation』(2007年)でレコーディングを経験済みだったこともプラスに作用したはず。彼女が師匠と仰ぐマーカス・ミラーのセッション参加時に近いニュアンス、堅実さ、そういった手応えが感じられるのはさすがだ。

『Live at the Hollywood Bowl』ジェフ・ベック(2017年)
Bassist:ロンダ・スミス

ロンダが初めてジェフと出会ったのは2009年のモントルー。プリンスのバンド・メンバーとして同行していた彼女は、ホテルのエレベーターでジェフと乗り合わせたそうだ。ジェフもヨーロッパ・ツアーの一環として、7月17日に本フェスティバルに出演。この際にジェフがプリンスのステージを観たのかどうかは定かではないが、出会ったからには何かひらめくものがあったのだろう。おそらくこのツアー中にヴィニーとタルの離脱はジェフに知らされているはずで、ロンダに白羽の矢が立ったと考えられる。そして翌2010年、早々に始まったジェフのツアー・ステージに彼女の姿があった。以後、13年間にわたり彼女はジェフ・ベック・バンドのベーシストを務めることに。ドラムはナラダ・マイケル・ウォルデン、ジョナサン・ジョセフ、ヴェロニカ・ベリーノなど入れ替わりがあったが、ステージにおけるベース・プレイヤーは彼女のみである。

時代的にスタジオ・アルバムを作るという機会が少なくなっただけに、彼女が加入してからのジェフのアルバムにもライヴ・アルバムが多い。映像では2014年の来日公演を収めた『Live In Tokyo 2014』、CDでは『LIVE +』(2015年)、そして2枚組の本作(2018年)にて彼女のプレイを存分に聴くことができる。スタジオ録音では、ミニ・アルバム『YOSOGAI』(2014年)収録の「Loaded」「Why Give It Away(feat. Sophie Delila)」のほか、『LIVE +』に新曲としてボーナス的に収録された「Tribal」「My Tiled White Floor」、そして最新作『18』収録の「Caroline, No」「Isolation」などが残されている。

彼女のベース・プレイの特徴は、ファンク度が高いこと。プリンスやキャンディ・ダルファー(sax)、チャカ・カーン(vo)などと共演したキャリアを持ち、プレイに定評のある彼女はまさにジェフの望むベーシストだった。コンテンポラリーなロック・サウンドを取り入れることを好むジェフにとって、彼女のファンク・ベースは相性が良かったのである。2枚組CDとしてリリースされた本作は、2016年8月に開催された、ジェフ・ベックのデビュー50周年を記念したコンサートの模様が収録されている。新旧織り交ぜたセットリストは、新しいところでは『Loud Hailer』(2016年)までを網羅しておりゲストも多数。まさにジェフのキャリアの集大成に相応しいコンサートだ。本作を全曲通して聴けば、ロンダのプレイにより、どの時代の曲にもファンクなテイストが加わっていることがわかる。ジェフは曲に躍動感を与えることを彼女に求めていたのだろう。そして、亡くなったプリンスの曲「Purple Rain」がセットリストに加えられたことは、ジェフからプリンスへの敬意である以上に、彼女への敬意だったのだと思われる。

番外篇
スタンリー・クラークとの関係と共演作

B,B&Aの末期、ジェフにクロスオーバーの世界を教えたのはカーマイン・アピス(d)だった。マイルス・デイヴィス(tp)、ジョン・マクラフリン(g)、ビリー・コブハム(d)などへ関心を持つなか、ベーシストのスタンリー・クラークにも興味を寄せていく。1975年の『Blow by Blow』のツアーでは、スタンリーの曲「Power」をセットリストに加えており、まずはこれがジェフからのラブコールだったのではないかと思われる。マハヴィシュヌ・オーケストラやリターン・トゥ・フォーエヴァーといった、ジャズからアプローチをかけてきたクロスオーバー・バンドは、当時のジェフがもっとも興味を持つサウンドだった。それだけに、その後ジェフは両バンドのメンバーであるジョン・マクラフリン、ヤン・ハマー(p)、ナラダ・マイケル・ウォルデン(d)、レニー・ホワイト(d)、そしてスタンリーらと演奏するようになる。

なお、スタンリーとのコラボレーションは“ジェフ・ベック・ウィズ・スタンリー・クラーク”名義のツアーにまで発展し、1978年には来日公演、1979年にはヨーロッパ・ツアーを行なっている。まだ謎の新曲だった「Star Cycle」や「Too Much To Lose」、1982年にコージー・パウエル(d)がソロ・アルバム『TILT』でジェフと共演した「Cat Moves」や「Hot Rock」を演奏していたのだから、今思えば鳥肌が立つ。ふたりがフル・アルバムを制作しなかったのは残念だが、スタンリーのアルバム『Journey To Love』(1975年)収録の「Journey To Love」「Hello Jeff」、『Modern Man』(1978年)収録の「Rock’n Roll Jelly」、『I Wanna Play For You』(1979年)収録の「Jamaican Boy」、『Time Exposure』(1984年)収録の「Are You Ready(For The Future)」「I Know Just How You Feel」「Time Exposure」にて両者は共演している。どの曲もふたりの味がよく出た好演である。合計7曲が存在するので、まとめて1枚のアルバムのようにプレイリストを作成して聴くのもおもしろいのではないだろうか?

【お知らせ】
2023年1月19日発売予定のベース・マガジン2月号【WINTER】では、特集『革新された低音解釈 70年代クロスオーバー』を70ページで展開しています。

特集内では、本記事でも紹介したスタンリー・クラークやフィル・チェンのほか、ジャコ・パストリアスやアンソニー・ジャクソンといった1970年代に既成ジャンルを横断する新しい音楽ムーブメントとなった、“クロスオーバー・シーン”で活躍したベーシストたちの功績を再検証しています。

そのほか、フェンダー・アメリカン・ヴィンテージIIや小型コンボ/ヘッドフォン・アンプといった機材企画、来日公演が来月に迫ったレッド・ホット・チリ・ペッパーズの最新作『Return of the Dream Canteen』でのフリーの奏法分析など、さまざまな記事を掲載しています。ぜひチェックしてみてください。