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INTERVIEW – MIYA[ZAZEN BOYS]

  • Interview:Shutaro Tsujimoto

ZAZEN BOYS加入からの5年間と、
アルバム『らんど』に込めた鉄壁のグルーヴ

前作から約12年ぶりとなるアルバム『らんど』を1月24日にリリースした、向井秀徳率いるZAZEN BOYS。本作でベーシストを務めるのは、2018年に吉田一郎の後任として加入したMIYAだ。ここでは彼女に、バンド加入後初のオリジナル・アルバムとなった本作を中心にZAZEN BOYSでの制作やライヴについて語ってもらった。1998年に結成したハードコア・バンドBLEACHで国外でも高い評価を集め、解散後は地元沖縄で385のベース・ヴォーカルとして活躍していた彼女が、どのような経緯でZAZEN BOYSに加入することになったのか?……まずはそこから話を聞いた。バンド加入時の逡巡から、ステージ哲学、使用機材、奏法(実演動画も!)まで、たっぷりと明かしてくれた本インタビューをお楽しみいただきたい。

ちょうど“ベースを辞めよう”と思っていたときに、
向井さんから電話がかかってきて。

━━ZAZEN BOYS加入後の本誌インタビューは初となります。まずは2018年の加入当時のことから聞かせてもらえますか?

 当時、私は沖縄で介護職をやっていたんですけど、ちょうど“ベースを辞めよう”と思っていたときに、向井(秀徳/vo,g)さんから突然電話がかかってきたんです。

━━どうしてベースを辞めようと?

 父親が亡くなったり、自分の子どもに病気が見つかったり、いろいろあった時期だったんです。私は、旦那さん(TENGAN/d,cho)と385というバンドをやっているんですけど、385のライヴ中に息子が高熱になってしまったことがあって。“私か夫のどちらかはバンドを辞めないといけないな”と思っていた頃でした。

『らんど』
 MATSURI STUDIO
PECF-3287

━━電話がかかってきた日のことは覚えてますか?

 沖縄には独特の先祖崇拝の文化があって、“あの世の正月”みたいな行事があるんですけど、ちょうどその日でした。父親が亡くなってすぐだったので、手を合わせて “もうベースは辞めるから、息子を見守ってあげてください”って父にお祈りしたんですけど、その直後くらいに向井さんから電話がかかってきて。“何の要件だろう?”ってすごく驚きました。

━━向井さんとはいつから知り合いだったんですか?

 私が最初にやっていたBLEACHというバンドが東芝EMIに所属で、ナンバーガールと一緒だったんです。なのでバンドを始めた初期から知り合いではありました。でも私は当時、沖縄人なので情報がなさすぎてバンドマンのことを全員怖い人だと思っていたので、ほとんど誰とも喋らなかったんです。だから向井さんとも、会ったらご挨拶するくらいの関係性で。だから、“どうしたものか”と思って電話を取ったんですけど、すると“MIYAさんは今、沖縄に住んでますよね。お子さんもいらっしゃって、そちらで仕事もなさってると思うんだけど、今度ZAZEN BOYSでベース弾いてみませんか?”って言われて。恵比寿リキッドルームでのライヴでとりあえず一回だけ弾いてみないか、というお話でした。

━━まずはお試しで一回で、と。

 はい。でもそのときは“あんな難しいベース弾けません”って咄嗟に言いました。だって普通に考えて、あんなにすごいベーシストの皆さんがやってきたZAZEN BOYSの曲を私が弾けるわけないと思って。でも向井さんは“あなたの弾き方、あなたのやり方でいいから”と言ってくれて。とりあえず“一度考えさせてください”って電話を切って考えてみたんですけど……やっぱりZAZEN BOYSでベースを弾くっていう想像はつかなかったですね。そもそも、その頃はフルタイムで介護の仕事もやっていました。でも、ふと生前の父親に“介護の仕事は辞めなさい”と言われていたことを思い出したんです。

━━バンドではなく、“介護の仕事を”ですか?

 “介護の仕事は大変だから、もっとラクな仕事をしろ”って。私はグッとのめり込むタイプだから、身体を壊して倒れるよってずっと言われてたんです。私自身、その当時は“バンドよりも介護のほうが向いてる”っていうモードになっていたんですけど、父の言葉を思い出して“あれ、やっぱりバンドをやってみるべきかな?”と思い始めました。それから、一番信頼しているベーシスト友達のKenKenに電話をかけて相談したら、“ZAZENで弾けるのは、もしかしたらMIYAちゃんしかいないかも”みたいなことを言ってくれたので、“じゃあ、やってみよう”という気持ちになってきて。そのほかにもURBANフェチっていうバンドをやってた仲間にもどう思うか確認したら“やったほうがいい”ってなりまして。それで次の日、向井さんに電話して“やらせてください”って言いました。そこからメンバー全員が沖縄に来てくださってリハをやり、今度は私が東京に行ってMatsuri Studioでリハをやり、何とかライヴにこぎつけたという感じでしたね。

左から、吉兼聡(g)、向井秀徳(vo,g,k)、MIYA、松下敦(d)。

━━準備期間はどのくらいあったんですか?

 その電話がライヴの2、3ヵ月前だったんですけど、そこからの期間はもう地獄みたいになってしまって。体重も一気に11キロぐらい落ちて、ご飯も食べられなくなって……自分の今までの弾き方ではZAZENの曲が全然弾けないもんだから、ずっと弱音を吐いてましたね。でも“ちゃんとやらないと尊敬している向井さんに恥をかかせてしまう”と思って、寝ないで必死に練習しました。その頃は子育ても大変な時期だったから、気がおかしくなりそうでしたけど、一生懸命やってギリギリ間に合ったという感じで。そのうちに“東京でのライヴの前に一度沖縄でライヴをやろう”という話になり、その沖縄でのライヴのあとに“MIYAと一緒にバンドやりたい”という話をメンバーの皆さんがしてくれて、“お願いします”ということで正式に加入することになりました。“こんなことって本当にあるんだな”という気持ちでした。

━━もともと、ナンバーガールやZAZEN BOYSのことをどういう存在として見ていたんですか?

 BLEACHのときに対バンで初めてナンバーガールを観たんですけど、 “すごい人がいるんだな”って衝撃を受けましたよ。唯一無二ですよね。圧倒的な人と出会えたことが嬉しかったし、ZAZEN BOYSになってからも私はファンで、沖縄に来たら必ずライヴに行っていました。そのときは、本当にひとこと挨拶を交わすだけだったんですけどね。でも思い返したら、BLEACHとナンバーガールが対バンして初めて向井さんに会ったとき、なぜかわからないけど私だけ打ち上げの移動中にナンバーガール・チームの車に乗っていたことがあって。そのときに、急に向井さんから“どんなベース・アンプを使ってるんだ?”って聞かれてビビったのを覚えてます。あとで向井さんに聞いてみたら、その頃から私のことを“すごい音を出す人だな”と認識はしてくれていたみたいですね。

━━ZAZEN BOYSの曲を覚えるうえで、どんなところに苦労しましたか?

 やっぱり、弾き方が全然違うので。スラップは得意でしたけど、指弾きはちゃんとやってこなかったし、今は完治したんですけど、当時は人差指を怪我していたこともあって。“MIYAのやり方でやってほしい”と言われていたのでフレーズを変えたものもありますけど、でもピック弾きと指弾きの質感は全然違うので指で弾ける曲はなるべく指で弾くようにはしています。

━━スラップのスタイルも前任ベーシストの日向秀和さんや吉田一郎さんとは異なりますよね。

 私はCOCOBATのTAKE-SHITさんに衝撃を受けてスラップを始めたので、親指が下向きのフォームなんですけど、ZAZENの曲は親指が上向きのスラップじゃないと弾けない曲が多くて。下向きのフォームはハードな高速スラップみたいなものには合ってるんですけど、タメがたっぷりあるようなファンキーなプレイには向いていないので、それをかなり練習しました。今でもそれがいい感じになっているのかはわからないですけど、メンバーの皆さんにすごく助けてもらって今が成り立っています。とにかく、皆さん本当に優しいんです。“ドラムのリズムはこんな感じだよ”とか、“ギター・フレーズこうなってるよ”とか、“じゃあ一緒にやってみようか”みたいな感じで、3人で協力して私を育ててくれている感じ(笑)。私が沖縄に住んで子育てをしながらバンド活動をやれているというのも、本当に皆さんの優しさのおかげで成立しているんです。

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