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    INTERVIEW – 原昌和 [the band apart]

    • Photo:Kanade Nishikata
    • Interview:Tomoya Zama

    とにかく自分の作った音楽っていうのを、
    自分で聴いて、町を闊歩したいですね。

    ――これまでの話を聞いていて思うのが、それぞれのメンバーにいろいろなインプットがあって曲ができているので、そこに沿うことを大事にしているということですね。

     例えば、一聴しただけではわからない世界観とか良さを持った曲があったとして、それがわからない僕よりもそれを作った人間のほうがその世界観を知ってるわけで、そんなところで自分の意見を出すのは浅はかじゃないですか。作曲者がどういうことをやりたいのかをつかんで、そこで自分がいい仕事ができるかっていうのは、自分の曲を作ってるときとはまた別の感覚ですね。

    ――それがライヴで曲をやってるうちにだんだん自分に染み込んでいくと。

     “なるほど。こういうことだったのか”って気づく曲だってあるわけで。ただ“この曲は良くねぇ”っていうだけだとバンドは続かないんじゃないですかね。だってそのほうがお互い自分の納得できるものができるじゃないですか。“知恵を貸して”とか“こういう風にしたいんだけどどうしたらいいのかわからない”っていうときに初めて“こうだといいんじゃない?”という提案ができる。ぶつかり合って、いいものを作るっていう発想は僕にはないですね。そういう時期もあったと思うんですけど、そんなのうまくいくはずないし、各々がその曲のスペシャリストなんだから。

    ――今作で使用したベースについて聞きたいのですが、原さんのメイン・ベースはESPのAMAZEですよね。これはどの点を気に入って使用しているのでしょうか?

     昔ESPの人に僕のベースを作りたいって言われて、とりあえず“AMAZE使ってみて”って渡されたんで、それをずっと使ってるって感じですね。僕は前にフェンダーのジャズベを使ってたんですけど、その時期ジャズべに一番近かったESPのベースがAMAZEだった。

    ――レコーディングや曲によっては違うベースを使ってみることもありますか?

     ないですね。まぁ、もちろん音が違うのはわかるんですけど、基本的に楽器ってスケボーみたいなもんだと思っていて、カスタムして楽しんでいいものだと思ってるんです。ESPのAMAZEのいいところっていうのは、例えばネック・エンドにトラスロッド調整をするホイールがついているところですね。あのベース、ライヴで照明が焚かれると、途中で木の状態が変わって全然音が変わっちゃうんです。僕の場合はいじりまくっているんで、もうグラグラで安定してないんですよね。朝弾いたら弦がフレットにベッチベチにくっついていたことがあって、それを普通の感覚で状態を戻したら照明を焚かれたときにとんでもなく弦が硬くなっちゃうことがあったりするくらい。ネックの寿命が近づいてるっていうこともあるんでしょうけどね。ライヴ中に肌感覚で今変わったって思ったら、ブレイクがある曲でネックの反りを速攻で直してます。そうやって使うもんじゃないって思うんですけどね(笑)。でも、別にそうやって使ったっていいじゃんっていうぐらい気楽に思ってる。

    ――なるほど。では、原さんのプレイ・スタイルについても聞きたいのですが、ピック弾きで16分を刻みながら弾くスタイルにはどうやって行き着いたのでしょうか?

     バンドを始めた当初、ボスのDR-5っていうリズム・マシンで曲を作っていたんですけど、それで打ち込むときに当時からフィンガー・ドラムみたいなことをやってたんです。基本的にドラムでは叩けないんですけど、リズムは体のなかに入ってるので、それが手に反映されてるって感じですかね。だからパーカッション要素があるというか。

    ――ベースははじめからずっとピックで弾いていたんですか?

     音楽を始めたときに指弾きっていうのを最初知らなくて。というか最初は、別にベースって楽器に興味があったわけではなくて、ギターを弾いていたんです。しかも、そもそもはギターを弾きたいっていうのも特になく、楽曲を作りたいっていうほうが強かったです。バンドでは最初荒井がベースを弾いていたこともありますね。まだバンドを名乗る前の一緒に楽器で遊んでた時代ですが。まぁだからそのパートをたまたま担当をしているっていうだけで、最初からベースっていうものに憧れて始めたわけじゃないということですかね。

    ――最後に、来年バンドは結成25周年を迎えますが、来年に向けてバンドとしての展望はありますか?

     もともと20周年のときにやろうとしていたフェスがあったんです。僕もそうだし、メンバーにも板橋区出身が多いので、板橋の河川敷でやろうっていう話がずっとあったけどこの5年間で流れていて、どこかで決着つけなきゃなって。コロナ禍も重なって開催がずっとできてないので、ひとつやるって言った以上やっとかなきゃなって思ってます。あとは世間がそういうのを許してくれるかどうか。

    ――では、原さんいち個人としてはいかがでしょう?

     マジでないんですよね。野心とかも(笑)。とにかく自分の作った音楽を、自分で聴きながら町を闊歩したいです。自分なんてカッコいい顔してるわけでもねぇし、どんどん年老いいくだけですけど、ひとつぐらい自惚れていたいじゃないですか。そのためにバンドを続けているんです。“自分が誇れるもの”というか、誰かに評価されなくても自分が自分で自惚れられるものがひとつないと、生きていても意味ないですからね。

    ◎Profile
    はら・まさかず●東京都出身。1998年にthe band apartのベーシストして活動を始め、2003年に1stアルバム『K.AND HIS BIKE』をリリースする。『Ninja of Four』を含め9枚のフル・アルバムを発表し、アコースティック編成名義、the band apart (naked)でも3枚のアルバムをリリース。バンドでは作詞・作曲も手がける。そのほかアイドル・グループのサポートや坂本真綾らへの楽曲提供、怪談イベントへの出演など、幅広い活動を展開している。

    ◎Information
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    原昌和 Twitter