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シンサカイノが明かす渡米からの15年間と、東京で描くベーシストとしての新章【インタビュー後篇】
- Interview:Hikaru Hanaki
- Photo:Chika Suzuki
- Logo Design:Tako Yamamoto
本記事ではシンサカイノのインタビュー後半をお送りする。
インタビューの前半はこちらから。
ここにグルーヴがあって、ここにポケットがあって、ここに重心があって、みたいな感覚が絵として見えているんです。
——Shinさんの好きな音楽の共通点を挙げるとしたらどんな音楽ですか?
実は渡米を決めたときも、マイルス・デイヴィスすらろくに聴いてなかったんです。どちらかというと、カッコいいなと思ったのはディアンジェロとかで。結局、自分が音楽を聴くときって、楽器のパーツとかメロディとか歌詞よりは、全体のサウンドとそのバランスに耳がいっていて。
これは不確かなんですけど、ちょっと“色が見える”というか。ここにグルーヴがあって、ここにポケットがあって、ここに重心があって、みたいな感覚が絵として見えているんですよね。そのうえでおもしろいと感じるものには、アフリカン・ミュージックにルーツがある音楽が多かったんです。
——トラックメイクもされていますよね。
それはコロナ禍で始めたんです。毎日呼ばれた仕事を全部やっていて、1日3本とかライヴをする毎日だったところから、ある日コロナ禍になったら“自分って他人がいないと何もできないじゃん”と思って。もともとサウンド・デザインを考えることも好きだったので、そこでAbleton Liveを勉強し始めました。アメリカに行く前から作曲は好きだったので。
——2022年に日本に戻ってきたきっかけは何だったんでしょう?
戻ってくる気はまったくなかったんです。ニューヨークは2020年の後半にはライヴ・シーンが戻ってきて演奏の仕事も増えていましたし。きっかけは、海外ツアーなどで忙しくなる前にビザを更新しようと思ったときでした。そこで、“最近はビザの更新が大変で半年以上かかるらしい”と聞き……それで一度ニューヨークの家を引き払って、荷物は友達の家に置いて、半年くらいだけ戻るつもりでベース3本とスーツケースひとつだけで日本に帰ってきたんです。
そうしたら目的だったビザは1ヵ月で取れてしまって、“せっかくだし日本でゆっくりしようかな”と思っていたとき、日本で一番最初の仕事をもらいました。それが『アイドルマスター』で声優をしている大橋彩香さんのビルボードでのライヴのバンマスでした。
——そこから日本での活動が広がっていったんですね。
その滞在期間に、いろんなライヴやセッションにも遊びに行き、最近一緒にやっているHIMI(vo)くんとか、ermhoi(vo)さん、NAGAN SERVER(rap,ba)、Cö shu Nieの中村未来(vo) さんとかと出会っていくうちに自分の表現したい音が東京にあると感じ、それで段々“どうして自分はニューヨークに帰るんだろう?”って思い始めたんですよね。
それまで世界最高峰のジャズ・ミュージシャンたちとセッションしてきたけど、それがコロナ禍で止まったときに、“楽しいけど、これは自分の生活から生まれる音ではないな”と思ったんですよ。素晴らしい音楽の表現方法で、ジャズを通して人生を学びましたが、今はそれを通して自分の作品を作りたいなと感じました。
——なるほど。
僕が日本にいるときにニューヨークから誘われたライヴがあって。参加できなくて悔しかったんですが、蓋を開けてみたら、そのライヴではバスター・ウィリアムスがベースを弾いていました。“シンが空いていない。じゃあ誰を呼ぶ?”“バスターを呼ぼう。ニューヨークにいるから”くらいの距離感で呼ばれるから、僕がエディー・ゴメスや、下手したらジョン・パティトゥッチの代わりであってもおかしくない、そういう世界線なんです。そのなかで自分が第一線では無理だっていうのは、すごく当然なことで。また、ニューヨークでできる音楽的な経験だけのためにそこに住み続けるのは少し違うかもと思えたんですね。セッション・ミュージシャンとしての経験は充実しているけど、いろんなものが保障されていないし、物価も上がり続けているアメリカにいると、音楽以外の人生経験としては減ってしまうと思ったんです。音楽を作るには、むしろその人生経験が大切な気がしていて。
——自分の作品を作るには、音楽以外のインプットも大事だと。
演奏経験のインプットはあるけど、自分の音楽をアウトプットすることができていなかった。しかも当時のアウトプットのうち半分以上は、雇い主のミュージシャンがいなくなったらなくなってしまうものなんです。自分の音楽的なアウトプットを増やそうと思ったときに、自分のやりたい音楽とか、仲間とか、生活習慣とかは全部、日本に揃ってることに気付いて。世の中とつながるためには、まず自分の経験でその音を確立したいと思い、それから日本でちゃんと家を借りて、今年(2024年)で3年目になります。
——現在の日本でのお仕事を見ると、バンマスが多いように思います。
これは日本に帰ってから気付いたんですけど、音楽に対して“全員が自分と同じ風には見てないんだな”と思うようになって。さっきも話した、音のバランスとかグルーヴの場所とかのことですね。自分は音を聴いて、抽象的ですけど絵に描ける形でそれが見えるし、海外で感じてきた経験や空気感を言語化しながらサウンドを作っていくのも得意なので、これってバンマスに向いてるのかなって思い始めたんです。
——それは演奏中もそうなんですか?
そうですね、起こっていることが全部俯瞰で見える感覚というか。ドラムやピアノが何をやっていて、ということはもちろん、メンバーの立ち位置の間隔や、巻かれていないケーブル、空調のノイズの音程、みたいなことが一気に情報として入ってくる感覚。自分の演奏に入り込むことはあまりなくて、絵のなかの色や形のバランスを変えているような感じです。
——2024年はCharaさんのバンド・マスターも務めるなど、活躍の幅を広げました。今後、日本ではどのような音楽をやっていきたいと考えていますか?
ジャンルに限らず、サウンドとか文化的なことが好きなんです。今生きているのは2024年なんだから、アニメも観ますし、アイドルも聴きますし、ファションも好きです。アニソンは音楽として成立しつつ、そこにはアニメの本編への想いが詰まっている。アイドルは、グループでのストーリーやメンバー個人の魅力が音楽の一部でもある。アニメもアイドルも、楽曲とその物語の要素のどちらか片方だけでは成立しない、切っても切れない関係にありますよね。僕が作る音楽もそうでありたくて。今生きてる時代で自分が感じているもの、まわりにあるもの、まわりにいる人、そのストーリーと切っても切れない音楽を作りたいと思っています。
▼ 機材篇(会員限定記事)に続く ▼
7本のベースとペダル・ボード
※機材篇は後日公開!
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