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    本村拓磨が語る、宅録的アプローチで極めるHedigan’sの低音と30代のバンド論【前篇】

    • Interview:Shutaro Tsujimoto(Bass Magazine Web)

    ゆうらん船のベーシストとして知られ、カネコアヤノのバンド・セット(2023年3月まで活動)やNOT WONK、SADFRANKなどでサポートを務めてきた本村拓磨。彼が新たに参加したのが、SuchmosのYONCEこと河西”YONCE”洋介を擁する5人組バンド、Hedigan’sだ。

    The Street Slidersのトリビュート・アルバムでのセッションをきっかけにメンバーが集結し、2024年2月にデビューEP『2000JPY』を発表。そして昨年11月、待望の1stアルバム『Chance』をリリースした(CDは今年1月に発売された)

    本インタビューでは、Hedigan’s結成の経緯から、“宅録マインドの延長”だと語るアルバム制作の舞台裏、本村自身のベース観やサウンドメイクの変化について語ってもらった。30代で組んだバンドだからこそ生まれた新たな視点、そして「休むことも活動の一部」という気づき——。さまざまな経験を経たからこそたどり着いた、ベーシストとしての現在地とは。

    前篇・後篇にわたるロング・インタビュー。前篇ではアルバムに至るまでのストーリーを中心に、後篇ではアルバムの全曲解説に加え、ベースやエフェクター・ボードをはじめ使用機材を解説してもらった。


    Hedigan’sは宅録のマインドのままやれているバンド。

     取材を受けるたびにバンドが変わってますね(笑)。前回はインタビューを受けたあとに結局カネコさんのバンドを辞めちゃったじゃないですか? なのに書店に行くとカネコさんと一緒に写ってる写真が雑誌に載っていて、不思議というか、申し訳なかったな……みたいな気持ちでした。今は仲直りして、関係は良好なんですけど。

     そのとおりです。

     関係性の歴史が一番長いのは岳ですね。それこそ、自分がカネコさんのバンドでライヴハウスに出始めた2013年頃からです。岳もいろんなバンドやサポートをやっていたから、対バンで顔を合わせる機会が多くて。その頃から彼に対して自分は、もう“明らかにこの人はすごい”というか、輝いている感じがしていました。今の彼の、あのすごくフィジカルなプレイスタイルはずっと変わっていないので。“何か一緒にやりたいな”とはずっと思っていました。

     そういう人から声がかかったので、すごく嬉しかったです。一方でYONCEは、The Street Slidersのトリビュートが初対面でした。ギターの栗田将治(Glider、Merchant)と、鍵盤の栗田祐輔の栗田兄弟は、彼らがやっているGliderというバンドと10年くらい前によく対バンをしていて、好きな音楽も近かったから軽く話したりもしていました。

     そこからブランクはあったんですけど、少し前に「みのミュージック」ことみの君のアルバムの録音で久々に再会したんです。だから栗田兄弟とも、作品を1枚一緒に作ってからのHedigan’sだったので、自分としては気心知れた仲間と新しいバンドが始まったという感じでした。

    Hedigan’s名義での初ライヴでの「LOVE (XL)」

     厳密に言うと、29歳の終わり頃にThe Street Slidersの話があって。30代になる直前に“Hedigan’sをやるぞ”と決めて、ゆうらん船もカネコアヤノも全部頑張ろうと思っていたら、翌年カネコさんのバンドを抜けることになってしまった。いろんな話の流れがあるなかで、結果的にバンドがスイッチする形になったんです。

     あとHedigan’sについては、当時はセルフマネジメントでやるつもりだったんですよ。バンドの意思が活動により純度高く反映されたほうが良いなと思って。

     そうそう。まさしくです。

     常に変化しているので言葉にするのは難しいですが、バンドの内側はずっと変わってないつもりです。“友達が集まったバンド”というのが核にあって、逆に言うと、それ以上の関係にならないように気を付けてるって言うんですかね。バンドにありがちな、“長く続けていると関係性に名前が付けられなくなる”感じ、あるじゃないですか? 僕の場合は、友達なのか、仕事仲間なのかっていうのを考えたときに“友達である”っていうところを意識しながらやっています。

     最初はセルフマネジメントでやるつもりだったけど、今はありがたいことにマネジメントにSPACE SHOWER MUSIC、レーベルにF.C.L.S.というメジャー・レーベルが付いてくれていて……だからやっぱりバンドの“内側”と、ちょっと言葉は冷たいかもですけど“外側”っていう表現にあえてすると、その距離間は常々取り続けている感覚です。もちろん“排他的にしたい”っていう意味ではなく、バンドの中心核を大事にしながら、いかにピュアなものを保ったままやれるか、みたいなところですね。30歳を過ぎてから始められたバンドだからこそ、そういうことに意識的なのかもしれないけど。

    河西”YONCE”洋介

     制作中も、レーベルの人とかはほとんどスタジオに来ていなくて、バンドとエンジニアだけで9割9分を作ったんです。Hedigan’sのレコーディング・エンジニアは、栗田兄弟の高校の先輩で、テリーっていうあだ名の伊藤広起くんっていう人なんですけど、由来は“伊藤だからテリーだろう”って小学生のときに付いたあだ名で(笑)。栗田兄弟とテリーくんは中学生くらいから“MTRで宅録をする”っていう関係から始まっているんです。

     今は紆余曲折あって、栗田兄弟が埼玉県の本庄にある“スタジオディグ”のオーナー権を引き継いで、そこでテリーくんもエンジニアとして変わらず一緒にやっているんです。何が言いたいかと言うと、“Hedigan’sは宅録のマインドのままやれているバンドだ”ということですね。その宅録で作ったようなものをメジャー・レーベルで流通に乗せて世に放つっていうのはすごく不思議な感覚です。だから、“バンドのシナジーが封じ込めている”っていう感想はすごく嬉しいし、自分でもそういうことができて良かったなって思っています。

    栗田将治
    栗田祐輔

    “ライヴを休むか”っていう話になったときに、Hedigan’sのメンバーが言ってくれたのが、“調子が悪いときは、休むっていうことも活動なんじゃないかな”っていうことだったんです。

     そこは意識していましたね。振り返ると、EPはあまり合奏をしてなくて、バラバラに録った曲が多かったんです。もちろん一緒に録った曲もあるんですけど、スタジオワーク中心で作り上げた感覚が強い。実際、鍵盤の祐輔はこの時期にThe fin.の中国ツアーがあってレコーディングにほとんど参加できなかったんですよ。ダビングだけちょっとやるみたいな感じで。

     それと対照的に、今回のアルバムでは“もっとみんなで同じ空間にいる感じ”にしたいな、とメンバー全員が思っていた気がします。よりフィジカルなサウンドというか。EPはかなり内的な世界観だったんですけど、アルバムはジャケットの雰囲気のとおり、外に開かれた感じがある。

     個人的には、EPは考えすぎていたなとも思っていて。頭のなかで構築したものを形にする作業だったんですけど、アルバムではもっと自然の流れに任せて作りたかった。子供が砂場で遊ぶみたいに、一歩先を考えずに好奇心のまま作るというか。

     そうですね。スタジオディグはめちゃくちゃ自由な場所で、テリーくんもメンバーの幼なじみなので、思いついたアイディアは何でも試せる環境なんです。それはEPを1枚作ってハッキリ気づいたことでもあって。普通の商業スタジオだと、例えば“コンプレッサーのスレッショルドをどこまで追い込むか”みたいな細かい実験をやるのは難しいんですけど、それをやらせてもらえた。ベースのリアンプにしても、キャビネットだけ変えたり、アンプ・ヘッドだけ変えたり、そういう細かい追い込みもできる。もちろん予算の制限はあるんですけど、限りなく自由に試せる環境ですね。

     EPのときは、まだ自分のなかで“こういうことをやってもいいのかな?”とか、“作業が徒労に終わったら申し訳ないな”みたいな気持ちがあったんです。でも、アルバムでは本当に“子供が砂場で遊びながら作って、それをすぐに壊してもいい”みたいな感覚で作ることができて、そのプロセスがすごく楽しかったですね。

    EP収録の「論理はロンリー」

     いや、それは半々くらいでしたね。例えばスタジオで盛り上がって、“こういうシーケンスの打ち込みがあったらいいな”と思ったら、家に持ち帰ってシーケンスを組んで、スタジオで試す、みたいなプロセスもありました。そういう意味では、スタジオと家での作業がハイブリッドな形になったと思います。でも、何より大事だったのは、作業がずっと“楽しい”と思えたことですね(笑)。

     本当にそう思います。結局、“自分が聴きたい音楽”を作れているというのが前提にあるからだと思います。じゃあ“聴きたい音楽って何だろう?”と考えると、既存のジャンル云々というよりは、制作の楽しさや、その時間が閉じ込められている作品が好きなんですよね。

     “下手な演奏でも何か伝わるものがあればいい”というのが自分の基本的なスタンスで。僕自身が批評的な耳や頭をあまり持っていないので、純粋に“ウヒョー、楽しい!”って思えればいいかなって。

     トランペットは完全にインチキですけど(笑)。2、3年前にメルカリで3,000円で買って、“ひょっとしたら自分にもトランペッターとしての才能が1%くらいあるかも?”と思ったんですが、全然吹けなくて(笑)。レコーディングでもピッチを直しまくってます。でも、そういう“必死に吹こうとしている音”みたいなものを入れたかったんですよね。

     14歳からベースを弾いていると、もうドレミファソラシドは簡単に弾けるようになっちゃう。でも、知らない楽器を持つと、ドレミファソラシドすらできない。その感覚がすごく新鮮で、楽しいんですよね。だから、いろんな楽器を試すのが好きだし、そういう音楽を聴くのも好きです。

     それはもう、本当に運というか……メンバーの趣向と性格のマッチしている部分と“していない部分”のバランスが、すごくいいんです。例えば、YONCEや岳は、あまり自分のプレイを振り返らないタイプというか、2テイクくらいでバシッと録ったら“あとはよろしく!”みたいなスタイルなんですよ。

     でも自分は、演奏したあとの編集を細かく緻密にやるのが好きなタイプ。鍵盤の祐輔も同じですね。で、将治はその間にいるというか、どちらの感覚も持っている。ギター・プレイに関しては数テイクでOKを出すんですけど、スタジオワークが好きなところもあるから、そのあとの編集部分にも積極的に関わってくれるんです。だから、みんなの興味がある部分と、そうでもない部分が絶妙に交差していて、それがうまく噛み合っているんですよね。たまたま全員が不快にならずに進められる座組になっているというか。これがすごく大きいなと思います。

     出会った時期や年齢は関係してると思います。もっと若くて血気盛んな頃だったら、全然違うものになっていたかもしれない。だからと言って、今のバンドが最高だから過去のバンドが違った、みたいなニュアンスにはしたくないんですけど……。

     でも、Hedigan’sはやっぱり運がいいなって思います。“自分のやりたい音楽が作れる”というのも、そもそも自分のなかでやりたい音楽が固まってきたのが30代に入ってからだから。

    大内岳

     はい。ちょうど1年くらい前にライヴをお休みしていました。理由としては、心身の不調が大きかったんですけど、“ライヴを休むか”っていう話になったときに、Hedigan’sのメンバーが言ってくれたのが、“調子が悪いときは、休むっていうことも活動なんじゃないかな”っていうことだったんです。“何も止まってるわけじゃないし、停滞してるわけでもない。ただ前に進むための決断というか、選択だから、全然休んでいいよ”って。

     もちろん、今までやっていたバンドが休ませてくれなかったわけじゃないんですけど、でも、その言葉がすごく嬉しくて。考えてみると、音楽をやっていない時期って、14歳以降の人生でほとんどなかったから、ライヴをしない1ヵ月があるっていうのが“本当に何年ぶりなんだろう?” みたいな感覚でした。

     その期間に、“バンドをやるってどういうことなんだろう?”って、改めて考え直しました。音楽との関係か、そもそもなぜ生きるのかとか、みたいな哲学的なことまで深掘りしている時期でした。そういう時間を経て、アルバム制作に向かっていく流れは、すごく良かったなと思いますね。

     言葉にするのは難しいけど……でも、“自分はこれを「選んで」やっているんだ”っていうのを、何のてらいもなく言えるようになった気がします。“バンドって何だろう?”について言うと、メンバーから“休んでもいいよ”って言ってもらえたことを受けて思ったのは、大げさに聞こえるかもしれないけど、バンドってすごく小さな社会の単位なんだな、ということでした。人と人がいれば、そこには必ず関係性が生まれて社会ができるわけだけど、性格が違ったり、趣向が違ったり、考え方が違ったり……そんななかで、“こういう社会があったらいいんじゃないか”みたいな理想を、バンドを通じて体現できるんだっていうのを、休んでいるときにハッと気づいて。

     結局、“音楽を通して何がやりたいか”っていうのは、そのときどきで変わっていいと思うんですけど、今の自分が考えているのは、“こういう社会、こういう価値観、こういう人間関係があってほしい”っていうものを、できるだけバンドで叶えたいということ。だから、“休むときは休んでいい。それも前に進むことだ”っていうのは、社会にもそのまま投げかけてもいい考え方だなと思うんです。働き続けなきゃ存在価値がないわけでは絶対にないし、“休む”ということも選択肢として当たり前にあるべきだと。

     それはバンドのアンサンブルの単位でも言えることで、例えばコードをロストしたり演奏をミスしたりしても、それは“間違い”として終わるわけじゃなくて、アンサンブルの流れのなかで回収できたり、むしろそれが結果的に正解になることもある。そう考えると、“何か間違いがあっても、やり直せるし、解釈の仕様はいくらでもある”っていう世界観を、バンドという場で、音楽という形で表現できるんだっていうのを、休んでいるときに自覚しました。本当に、30歳を超えたから考えられるようになったことかもしれないです。“自分ができることを何に使うか”っていうのを、ずっと考えていた気がしますね。

     そうなんですよね。真也くんに弾いてもらったのも、ちゃんと前提があって。自分が休んでいた期間に、真也くんがサポートでHedigan’sのライヴを3、4本弾いてくれて、そのときのセットリストに入っていたのが、この「Mission Sofa」という曲だったんです。

     自分が復帰したからといって、“もっちゃん(本村)が復帰したから、ありがとうね”ってそこで終わってしまうのも、何だかもどかしくて。Hedigan’sの歴史のなかで、“この人はすごく深く関わってくれた”という事実をちゃんと残したかった、という気持ちがあったんです。それに、音楽的にも、インタープレイが光るようなフレージングを思いついたんですけど、“これは自分が弾く感じじゃないな”とも思って。いろんな理由が合致してお願いさせてもらいました。

    サンレコは創刊号から全部読みました(笑)。

     これはもう、ノリですね(笑)。最初にガット・ギターと歌だけでベーシックを録って、そこから“どうしよう?”っていう感じで進めていったので。じゃあとりあえずパーカッションを入れるか、とりあえず水をパシャパシャやってるアンビエント的な音を足すか、みたいな流れでやっていって。で、“ここからどうしよう?”ってなったときに、思いつきで“じゃあベース入れるか”っていう感じで試してみたんです。

     フレットレスを使ったのも、たまたまテリーくんがフレットレスのフェンダー・ジャズ・ベースを持っていたからで。しかも、自分のacoustic製ベース・アンプがスタジオにあったから、“お、この組み合わせはジャコやんけ”と思って(笑)。ヴィンテージの楽器ではないんですけど、すごく良い音がするジャズベだったので。

    「説教くさいおっさんのルンバ」

     そうですね(笑)。ここでは、めちゃくちゃ“ベースっぽい”ことをしてみようと。

     嬉しいです。でも、こういうプレイは、それこそ自分の専門外だと思っていて。だからこそ、アルバムの「Mission Sofa」では真也くんに参加してもらったんです。こういうプレイは自分にとっては“モグリ”みたいなもので、“本物の人が弾いたほうがいい”っていう感覚があったので。

     「ルンバ」は、自分で言うのもアレですけど、半分ギャグというか、オモシロというか。“こんなコテコテな音で、フレットレスでやる”って、ちょっとダサくないですか?(笑)。でも、そこが自分の“オモシロ”につながっていたので、それは良かったのかなと思いますね。

     全然ルンバじゃない(笑)。

     ハハハ(笑)。ありがとうございます。

    「敗北の作法」

     「敗北の作法」は、まさしくそうです。EPの制作では、ベーシックを録ってから持ち帰って、“さて、どうしよう?”と悩む時間がすごく多かったんです。「敗北の作法」は本当に悩みすぎて、最終的には僕が家でいろんな素材をコラージュしながら詰めていったんですが、最終的にはトラック数が100トラックくらいになってしまって、“これをミックスしてください!”ってテリーくんに丸投げするという、なかなか無茶な投げかけをしてしまって(笑)。よくやったな、やってくれたなって感じがしていますね。

     コロナ禍の頃から2022年くらいにかけてだったかな? サンレコは創刊号から全号読みました(笑)。

     そうですね。それは今でも続いていて、表立って活動していなくても、裏ではけっこう研究を続けています。“電子音楽が好きな自分”みたいなものが、ずっと熟成されていってる感じですね。

     レコーディングでは、かなりいろいろ使いました。1曲1曲説明したほうがいいですか?

     「地球(仮)」では、フェンダーの68年製プレベを使用しています。最近は全音下げチューニングで弾いていますね。まずラインで録音し、それをリアンプしています。今回のレコーディングでよく使ったリアンプのセッティングは、アンプ・ヘッドがTecAmpのBONAFIDE、キャビネットがヤマハのJ-100Lという70年代製の15インチ1発のキャビネット。この組み合わせがすごく不思議で、TecAmpがクリアに増幅した信号をJ100Lキャビネットから出力すると、不思議とフル・チューブで鳴らしたような豊かな低音が得られる独特の感覚になるんです。

     ちょっと脱線しますけど、去年ピンク・フロイドの『狂気』が50周年で、プラネタリウムで『狂気』の上映イベントがありまして。そこで使われていたのが、5.1チャンネル・サラウンドの再ミックス版。そのベースがめちゃくちゃかっこよかったんです。プラネタリウムなので、椅子に腰掛けて星が流れるのを眺めながら聴くんですが、低音が体に響いて、お尻までブワーンと震える感覚でした。元の音源は70年代の録音ですが、そこに現代的なサブベースが加わったようなサウンドになっていて。今回のアルバムでは、その感動を少し追いかけていたかもしれません。

     今っぽいマッシヴなサブ・ベースじゃなくて、レトロフューチャーというか、“今の解像度で昔のものを眺めてる”視点みたいなものに興味があって。「地球(仮)」では、そういうイメージがありましたね。

    右が本村の所有するTecAmp製BONAFIDE。TecAmpがリチャード・ボナの声を取り入れ共同開発したアンプ・ヘッドだ。左は、ライヴで使用しているAkima & Neos製Tube D.I. Type – A。

     このときは、まだレギュラー・チューニングでした。

     エフェクター・ボードを組むときにも意識しているのですが、“ラインで極力完結したい”ということを今は考えていて。そのときに、“低次倍音をどうすれば綺麗に出せるか?”って考えると、やっぱり弦のテンション感や太さ、ピックアップの高さだったり、そのあたりを細かく追い続ける必要があるなと。

     きっかけは、近年のゴスペル系ベーシストに全音下げの人が多いと気づいたこと。さらに振り返ると、ディアンジェロの『Voodoo』でピノ・パラディーノも同じようなアプローチをしていたなと思い出して。深く沈んだような倍音が出るので、自分も取り入れてみようかなと。そこでゲージを少し太くして全音下げにし、ダルダルになりすぎず、それでいて低音がしっかり響くよう調整するのが最近ハマっているセッティングですね。5弦ベースも同じく全音下げにしています。

     それもありますね。チューニングを下げることで、ミュートのニュアンスもすごく出しやすくなって気に入っていてます。竿によってはレギュラー・チューニングにしているものもあるんですけど。“低音で沈み込む感覚”に今はすごくハマってます。

    Hedigan's 『Chance』
    Hedigan’s『Chance』
    F.C.L.S./KSCL-3566