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今年はもうひとつ重要なプロジェクトも始めるつもりだよ。
──あなたは長年にわたってウォルのベースを愛用していますが、アルバム『PAKT』で使用したのもそれですか?
そう。ウォルの5弦だよ。それから私のバンドMJ12、それにブランドXではアイバニーズの5弦も使っている。
──ピックアップはどこのものですか?
ウォルのほうは同製のマグネット・タイプ。アイバニーズのほうは、各弦が独立して拾えるブリッジに内蔵されたピエゾ・タイプで、メーカーは確かフィッシュマンだと思う。
──ちなみに、現在ベースは何本持っているんですか?
ほかにウォルの4弦があるね。だから全部で3本、すべてフレットレスだ。
──あなたがベースを選ぶ際に最も重要視している点は?
なんと言ってもトーンとダイナミック・レンジだね。それからボディとネックの形状……それもエルゴダイナミック(ErgoDynamic=衝撃吸収システム)に基づいた設計が望ましい。
──ウォルの5弦はどこの弦を使っていますか?
アーニー・ボールのスリンキー・フラットワウンド(Slinky Flatwound)で、.045から.130のセットだ。
──アルバムで使用したベース・アンプは?
ユーフォニック・オーディオ製で、クラスDのパワー・アンプと12インチのスピーカーのコンボ・タイプ。レコーディングでは、さらに12インチのスピーカー・キャビネットをもうひとつ追加して、つまり12インチを2発で鳴らした。
──エフェクターは使用しましたか?
ふたつだけ。イーブンタイドのH9(空間系マルチ・エフェクター)とデジテックのサンプラーJamMan SOLOだよ。
──最近注目しているベーシストはいますか?
先日、マンハッタンのクラブにヒップスター・アサシンズを観に行ったんだ。ケニー・グロホフスキーがドラムを叩いているんでね。あのバンドはツイン・ベースで、フェリックス・パストリアスとマイク・ベンディのプレイにはえらく感銘を受けたね。バンド自体も素晴らしかった(編注:ほかのメンバーはサックスのクリス・ワード、ギターのジョン・ベンディの5人編成)。
──あなた自身は最近はどういった音楽を聴いていますか?
女性ラッパーのMCライトやフラメンコ・ギタリストのパコ・デ・ルシアからクラシックのストラヴィンスキーまで、ジャンルは多岐にわたるね。そのとき聴きたいものを聴いているよ。
──ちなみに、今日はなにか聴きましたか?
今朝は、エクトル・ラボー(NYで活躍したプエルトリコ人のサルサ・シンガー)、それからエディ・パルミエリ(NYで活躍するラテン・ジャズ系ピアニスト)を聴いたね。
──今日はラテンやサルサの気分だったんですね(笑)。
ああ、言われてみればそうだね、確かに(笑)。
──パンデミックも一旦落ち着く兆しでしたが、ここに来てオミクロン株が猛威を振るっていますね。
コロナ禍になってから1年半、まったくライヴができなかったけど、昨年の10月頃、MJ12で3回のライヴを行った。やっとという思いだったよ。そうそう、ニュージャージー州ラーウェイでのプログレ・フェスティバルでは、アレックス・スコルニックにスペシャル・ゲストで参加してもらったんだ。
──最後に、今後の予定を教えてください。
PAKTでもう1枚アルバムを制作する予定なんだけど、どうかな。早くコロナ禍が終息してくれないとね。それから、まだ発表できる段階ではないんだけど、今年はもうひとつ重要なプロジェクトも始めるつもりなんで、そちらもぜひ楽しみにしていてくれ!
◎Profile
ぱーしー・じょーんず●1947年12月3日、イングランドのウェールズ出身。1966年にリバプール大学に進学して電子工学を学び、一方で学生バンドを組んで演奏した。大学在学中にリヴァプール・シーンから声がかかって参加。グループは次第に忙しくなり、ベーシスト活動に専念する決意を固めた。2本目に入手したグレッチ製ホロウ・ボディを、高音弦側だけフレットを削ってハイブリッド型にするなど、早くからフレットレスに傾倒。1975年に結成された長寿バンドのブランドXの創設メンバーになり、1976~77年までソフトマシーンにも参加。希少なフレットレス・ベーシストとして名を上げていった。1990年には個人名義の1st作『Cape Catastrophe』をリリースすると、自身が結成したバンド名を冠した『Tunnels』を1993年に発表。2006年まで同バンドで約5作品を残す。その間の2000年にスコット・マッギル(g)とリッチー・デ・カルロ(d)との3人名義作『Percy Jones, Scott McGill, Ritchie DeCarlo』を機に、2014年までに同トリオで3作品も発表。2010年代後半にはブランドXでのライヴ盤も立て続けにリリースされたが、2020年に脱退を表明して話題をまいた。昨年12月に74歳を迎えても活動意欲は衰え知らずで、フレットレスのパイオニアとして躍進を続けている。