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SPECIAL TALK SESSION – ミッキー吉野×亀田誠治×ハマ・オカモト(OKAMOTO’S)
- Interview:Yuichi Gamou
- Photo:Tetsuya Yamakawa
ゴダイゴで一番大事にしたかったのは、
ミュージシャンシップを持つということ。━━ミッキー吉野
ハマ カップスで、デイブさんとはどのくらいの年齢差があったんですか?
吉野 7つ上だったね。十代で7つ上っていうと、かなり上の人っていう印象だよね。よく覚えているのは、彼と一緒にカップスの仕事で現場に行くときに、彼は駅でスポーツ新聞と栄養ドリンクを買うんですよ。まだ十代だった自分は、それに嫌悪感を感じたんだよね。あまりにカルチャーが違うなって。
亀田 ミッキーさんはキング・オブ・感受性なんですよ(笑)。
吉野 学校に行くのもイヤだったんだよ。京浜東北線に乗っていたんだけど、学校に行かないで、浦和まで映画を観に行ったり。不良と言えば不良なんだけど、悪いことをするわけでもないし。社会や体制に対しての反発じゃないけど、それが力になってビートになって。それで、できない演奏もできるようになって。今回やって改めてわかったんだ。歌謡曲に対しての反発、レコード会社の作曲家たちへの反発とか。カップスも「銀色のグラス」や「長い髪の少女」など一流の作家を使っているんですよ(共に作詞:橋本淳、作曲:鈴木邦彦)。そういう想いから「銀色のグラス」を選んだんですよね。そういう反発の想いからマー坊(加部正義)もああいう演奏になったんだろうね。
━━「銀色のグラス feat. Char」ではエンディングが追加されていますね。
吉野 エンディングは、あれはカップスの当時の演奏スタイルなんだよね。誰かがフリー・ジャムに行けばほかのプレイヤーも行っちゃう。
ハマ ZENのライヴ(『スーパー・ライヴ・セッション』/1969年)もそうですね。
吉野 何しろ、カップスに入ってからリハーサルなしでステージに立ったからね。“明日から来い”って言われて、次の日にリハーサルもなくて、そのままステージに立って。でも、彼らから学んだことはいっぱいあります。
亀田 グループ・サウンズの流行って3年くらいですよね。そのなかでもカップスは本物の匂いがあって。“ちょっとエレキが弾けたんでプロになります”みたいな人もいるなかで、カップスは本物のミュージシャンという感じ。ゴダイゴはまたカップスとは違うことをやっているわけですけど、日本の音楽史を振り返るときに、ミッキーさんの軌跡を振り返るのが一番わかりやすいですよね。日本におけるミュージシャンの功績のわかりやすいお手本というか。
吉野 僕自身は、カップスがあったからゴダイゴができたというか。これはやっちゃいけないってこととかが、全部カップスのおかげでわかったみたいな。カップスでの反省やそこで学んだことを生かしたのがゴダイゴなんですよ。だから正反対のようなバンドができた。ゴダイゴで一番大事にしたかったのは、ミュージシャンシップを持つということ。進歩している音楽でかつポップであること。アドバンス&ポップと呼んでいたんだけど、要するに売れなきゃバンドじゃないっていう。売れないバンドをやっていてもしょうがないじゃない。ただ、目的は売れることではあるけど、魂を売ることはなかったね。
亀田 ミュージシャンンシップありきだけど、ちゃんと多くの人に届くということも考えられていますね。
吉野 例えば、「モンキー・マジック」は幼稚園児が自然に身体を動かすように作ったり、発想は自由だったね。レコード会社にも要望をたくさん出した。「ガンダーラ」が10月に出てまだ売れているなか、次の「モンキー・マジック」はその勢いのまま年内に出したかったら、12月に出してくれって言ったりね。だから「モンキー・マジック」は12月25日のクリスマスに発売されているんです。そういったマーケティングなんかにも興味を持っていた。レコード会社を選ぶのも、当時地方の支社が多いところにしようということで、日本コロムビアにしたんです。支社が多ければより多くの人に届くんじゃないかと思ってね。
ハマ でも、もしカップスが続いていたとしても、ゴダイゴみたいにはならなかっただろうし。「ガンダーラ」の頃はおいくつでした?
吉野 1978年頃だから27歳くらいかな。昔から“貫禄ありますね”ってよく言われていたから。僕はあとからカップスに入っているけど、一番デカいツラをしていたそうなんだよね。物怖じしないで、“それはこうやったほうがいいんじゃないか”ってみんなに言ってしまうし。単純に自分が音楽を気持ちよくやりたかっただけなんだけどね。そういうのはカップスでトレーニングされた。だって16歳のときに、アマチュアのコンテストがあって審査員をやることになったんだけど、“お前が一番若いんだから行ってこい”って言われて審査員をやっていたから。普通は一番上の人がやるよね(笑)。
ハマ 実は以前、斎藤有太(k)さんにバンドを手伝ってもらったことがあるんです。
吉野 有太はPANスクールオブミュージックの最初の生徒。「銀河鉄道999」(1979年)をエレクトーンでやっていたって言っていて、優秀だったよ。
ハマ そうなんです。そのときミッキーさんの教え子って初めて知って。それで、ミッキーさんに初めてお会いしたも“有太から聞いているよ”って、僕の名前を知ってくださっていて。これまで自分がやってきたり好きだったりしたものが、ミッキーさんを主軸にいろいろつながっていた。でも、まさか一緒に「銀色のグラス」をレコーディングすることになるとは、夢にも思わなかったですね。
亀田 人もキャリアも違うのに、こんなに交わっているものなんだね。
━━最後に、本作の聴きどころを教えてください。
吉野 それぞれ曲に一番合うミュージシャンが参加してくれたので、バンドのような音になっている。一曲ずつがバンドで、昔の音楽のようにそれぞれに専属歌手が来て歌っているような、そういうイメージもあるよね。
亀田 最初に曲ありきで参加メンバーを選んでいるので、それぞれの曲がバンドの音になるんですよね。
吉野 それが正しいやり方だよね。自分のピアノ・ソロの曲もバンドのような雰囲気に感じるんだよ。今回は亀田さんのプロデュースに尽きる。直してほしいと言ったところも1ヵ所だけだったし。
亀田 「DEAD END 〜 LOVE FLOWERS PROPHECY feat. STUTS & Campanella」ですね。
吉野 コーダに入って4小節間だけなんだけど、弾き直してもらうのも申し訳ないなと思ってね。
亀田 最初、その部分をミッキーさんが望んでいないアプローチにしてしまって、ミッキーさんから“こういうイメージじゃないんだよね”って言われたのに、“えっ、これダメですか?”みたいに返してしまって(笑)。
吉野 でも、ピアノに寄り添ったアプローチにしてもらったおかげで、そのコーダの部分はBメロよりもよくなったと思うね。
ハマ お互いの会話が遠慮していない、こだわっている感じがよかったですね。
吉野 お互いの理想に近づけるためにいろいろ要求されるでしょう。それには応えなきゃって気持ちになる。それが気持ちいいんだよね。88年に『ロングウェイ・フロム・ホーム』を自分のサントラのように作って、ソロ・アルバムはそれで終わりでいいなと思っていたんだけど、今回『Keep On Kickin’ It』を作って本当によかったと思う。
ハマ 一曲ずつの人選が絶妙でした。曲それぞれが生き生きしているし、音もカッコいい。
吉野 打ち込みを使った曲でも、生きた音のアルバムになっている。そして、一番重要なベースを、曲を一番理解している人に弾いてもらっている。最高のアルバムです。
2022年1月19日発売のベース・マガジン2022年2月号にも3人の鼎談を掲載。本稿とは別内容でお届けするので、そちらも合わせてチェックしていただきたい。
◎作品情報
『Keep On Kickin’ It』
ミッキー吉野
・CDアルバム発売日:2022年2月2日
・配信開始日:2021年12月22日(水)午前0時〜
・iTunes Storeプレオーダーリンク:https://linkco.re/5DPmT8fU
・GODIEGO OFFICIAL WEB SHOP:https://tagcmusic.thebase.in/
・各配信サービス:アーティストへのリンク: https://linktr.ee/MickieYoshino
・Spotifyプレイリスト: https://spoti.fi/3v4ghXP
<収録楽曲>
01.「The birth of the odyssey ~ Monkey Magic feat. JUJU」
02.「君は薔薇より美しい feat. EXILE SHOKICHI」
03.「DEAD END ~ LOVE FLOWERS PROPHECY feat. STUTS & Campanella」
04.「Take a train ride ~ from Swing girls (Piano Piece)」
05.「銀河鉄道999 feat. MIYAVI」
06.「銀色のグラス feat. Char」
07.「ガンダーラ feat. タケカワユキヒデ」
08.「歓びの歌 feat. Mummy-D」
09.「Beautiful Name (Piano Piece)」
10.「NEVER GONE feat. 岡村靖幸」