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INTERVIEW – 内田雄一郎[筋肉少女帯]

  • Interview:Shutaro Tsujimoto

60、70年代の専門家でいいのかなという感じで、年代で聴き込んでいるかな。

━━2曲目の「無意識下で逢いましょう」のベースですが、かなり攻めた音作りになっていますよね。これはどのように音を作りましたか?

 これはフェイザーをかけているんですけど、プラグイン・エフェクトでやっていますね。実際に足踏みエフェクターでやろうとすると、僕のアンプでは歪みすぎていて、全然フェイズが変化してるのがわからなかったんです。僕はエフェクターが好きなので使いたいんですけど、このバンドでなかなか生かせる場所がなくてね(笑)。ちなみにアタマの4小節にだけフェイザーはかかっていて、ほかの同じフレーズにはかかってないですね。

━━橘高さんや本城さんが作曲した曲のベース・ラインは、デモの時点でけっこう決まっているのでしょうか?

 基本的なリフとかはそのとおりやりますよ。でも、そこの縛りからいかに違う風に持っていこうかというのも企んではいて。特に橘高くんの曲はD/F♯とかディミニッシュとかが出てくるので、そういうところをちょっと説明的に弾いたりしますかね。

━━橘高さんの曲で言うと、「ボーダーライン」のベース・ラインがすごくおもしろかったです。歌詞が“こっからそっちは〜”の箇所で、ベースが5度に行きそうなところを6度に行っているのが印象的で。

 ここはね、“橘高コード”の強調みたいなとこはありますね。これ、おもしろいよね(笑)。あと、この曲はアタマに“パン、ポン、ピーン”ってのがあるんですけど、僕が“こんなのどう?”って入れてみたら、それをトップの音にしてくれって言われまして。

━━ハーモニクスのところですよね?

 あれ実音なんですよ(笑)。こんな高い音を出したのは初めてでしたね。1弦の23フレットで弦が20cmくらいしか鳴っていないという。これは楽器的におもしろかったです。

━━アルバムの最後を飾る「お手柄サンシャイン」はムスタングで弾いたとのことですが、ブリブリしていて良いですよね。音作りには、どういうイメージがあったのでしょう?

 なんとなく乾いた音のほうが軽快かなって感じですね。あとムスタングはトーンでかなり感じが変わるので、けっこういじりました。あとアンプは直ですね、これが僕のクリーンなんで(笑)。

━━先ほど“まだまだ試したいものがある”というお話もありましたが、次の作品や活動について構想などがあれば聞かせてください。

 どうでしょうね〜(笑)。パンデミック前だったら、来年のスケジュールを考えるときに“できないかもしれない”みたいなことは考えなかったので。やり方自体も考えていかなきゃというのは思いますね。でも生きている限り、この4人でまだ違うものが、新しいものが作れるんじゃないか、というのは感じましたね。

━━内田さんによる、変化球な曲も楽しみにしています。

 90年代に音頭をやりましたからね。まぁなんでもできるなって思いますね。

━━ちなみに最後に、今作の制作中に内田さんがどのような音楽を聴いていたかを教えてもらってもいいですか。内田さんの幅広い音楽性が、どういったリスナー経験から出てくるのかが気になります。

 制作中はあまり聴かないですね。もちろん資料としては聴きますけど。普段は、“歌謡曲を聴こうじゃないか“というタイトルで歌謡曲のトーク・イベントとかもやってるんですけど、最近僕は60、70年代の歌謡曲のオーソリティだなと自覚し始めました(笑)。そういうものや、GSとかもわりと深く聴き込んだりしますね。まぁ洋楽も、今さら新しいものを聴き込むってことはなかなかできないなと30代頃には思っていて。60、70年代の専門家でいいのかなという感じで、年代で聴き込んでいるかな。クラウト・ロックとかミニマル・ミュージックとかも聴きますしね、でもサザン・ロックとかも好きだったりするんですよ。

◎Profile
うちだ・ゆういちろう●1966年2月8日生まれ、東京都出身。中学時代に同級生だった大槻ケンヂ(vo)とともに、1982年に筋肉少女帯を結成。同時にキーボードからベースへとパート・チェンジする。1988年に『仏陀L』でデビュー。1990年には武道館公演を成功させる。1998年には活動凍結を宣言するも、2006年に活動を再開。内田は、ポストロック・バンド、NESSでも活動するほか、ラウンジ系テクノで筋肉少女帯をカバーしたソロ・アルバムも発表している。

◎Information
筋肉少女帯
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内田雄一郎
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