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【BM Web版】SLAP THE WORLD――葛城京太郎

  • Interview:Zine Hagihara

理屈じゃなくて、
衝撃を与える表現方法としてのスラップ。

 ベース・マガジン2021年5月号(SPRING)の表紙巻頭特集として展開している企画『SLAP THE WORLD』。ベースの花形と言える奏法である“スラップ”を、鳴瀬喜博&フクダヒロム(Suspended 4th)、日野“JINO”賢二&KenKen、かわいしのぶ&上ちゃん(マキシマム ザ ホルモン)といったスラッパー同士による豪華対談や、海外ベーシストの奏法分析、国内ベーシストによるセミナーやアンケートなどを通して徹底検証している。今回は、そのBass Magazine Web版として、新世代スラッパーのなかでも際立った演奏技術とカリスマ性を持つ葛城京太郎のインタビューをお届けしよう。

 度重なる路上ライヴでスラップを武器に通りすがりの聴衆を魅了してきた彼は、金子ノブアキ(d)が率いるバンドRED ORCAでの活動やソロ・アルバム『縁魂』のリリースなど、表現者としてのボーダーラインを拡張し続けるなかで、スラップという奏法とどのように対峙しているのだろうか。

スラップのあとには無音があって。
その“間”のためにパフォーマンスがある。

━━葛城さんは、あるときにいきなり閃いて楽器を始めたそうですね。

 はい。もともとアコギが家にあって、2010年の8月1日に急に始めようと思って始めました。そこからエレキ・ギターにも手を出してベースも増えていって、最近はドラムや歌もやってソロ作品を出すようになっていますね。

━━楽器全体に興味があった?

 曲を作ろうとなったときにベースが必要になって、自分で弾いてみようと思ったんですよ。まあ、楽器そのものに興味があったというよりは、音楽そのものをやろうと思いまして。中学1年生のときに急に、“今日からやろう!”と。

━━音楽はどんなものが好きだったんですか?

 音楽をやる前はビートルズが好きで、いろいろ始めてからはレッド・ツェッペリンやレッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)とかのロックを聴くようになった感じです。ビートルズは小さい頃から親の影響で聴いていました。

━━アコギ、エレキ・ギター、ベースという流れのなかで、自然とベースに絞っていった感じでしょうか?

 結局今でも全部やってるし、絞っているという感覚はないです。人と関わるようになったときにベースをプレイしてたので、自分はベースという感覚ですね。高校が音楽の専門学校なんですけど、出願する前日に夢でベースを弾いていたので、入学してから“ベーシストです”と言い始めました(笑)。今でもベースに執着はないですけど、体の一部という感じですね。

━━そうなんですね。

 機材とかも自分は詳しくなくて、むぅちゃん(フクダヒロム/Suspended 4th)やIKUOさんなどとお話ししたときも、皆さんの知識が深くて感心します。僕は1万円のベースでもまったく問題なく弾けるし、楽器自体に対する興味はそこまで深くありません。あくまでも表現の媒体としてのベースという感覚。自分は人と喋るのが好きで、それと同じようにベースを弾くことでコミュニケーションして互いを知るのが好きなんですよ。もちろん、機材に対する知識を持つことを否定するわけじゃないですけどね。もともと、ベースをプレイすることってスピリチュアルな行為だと思っていて、ストリートに出たのもSNS中心の時代にも関わらず、“生”にこだわっていたからです。動画を介して伝えるということよりも、本質的なことはやっぱり生だと思いますし、街で感動した人がそのぶんだけ投げ銭で入れてくれるというのは“サムライ・スタイル”ですよね。心意気で飯を食うみたいな。それをやっていたらいつの間にかバズっていって、気づいたことは“みんな動画に収まりきらないものを見たいんだな”ということ。

━━聴衆によって撮影された動画がSNSでバズったのが印象的ですが、まさにインパクト大のプレイで、生でこそ存分に楽しめるパフォーマンスですよね。

 大事なのは“沸点”だと思うんです。音が消える“0”の瞬間を作るためには沸点が必要で、Kyoto&Rikuoの動画を観るとスラップのあとに無音があって、“ありがとうございました!”で終わるんですが、あの無音の“間”を表現するための1分数秒だと思うととても辻褄が合う。圧倒されたときって人は声も出ないと思うんですよ。目って閉じれば情報を遮断できるんですけど、鼻と耳は閉じることができない。そう思うと僕達は拒否できないことを表現しているわけで、耳という動物の設計上休めないものに届けていると思うんです。スラップという沸点としてのピークがあったうえで、無音という“0”の状態があり、この幅のなかでいろいろな表現ができるというのがスラップの魅力ですよね。

Kyotaro & Rikuo @ Shibuya Japan

━━“0”とスラップによるピークの間で表現されるものとは、音量や激しさなど、どういうものだと思いますか?

 多様なニュアンスを含む話になるんですが、縦軸は激しさを取り、横軸にはコードやメロディ、そして奥行きになる音質やニュアンスがあると思っています。それを敷き詰めているもののなかに“波動や空気感”……ヴァイブスみたいなものがあるというイメージ。立体的でもあり、5次元というイメージで、この時代に入って次元が増えている気がします。そうなると今までのやり方だと合わないところが出てくると思いますね。

━━精神性の部分の話ですか?

 そうですね。これからは魂の時代なので、魂に届くものを作らなくちゃいけないというのがわかりやすい言い方でしょうかね。それをどう届けるのかっていったら波動ですよね。いわゆるヴァイブス。僕らが扱っているものって実は見えるものじゃないんですよね。

━━初めてスラップを知ったときのことを覚えていますか?

 覚えてないんですよね。みんなが“スラップ”って呼んでいたものって野暮ったいと思っていて、たまたま自分が高い沸点に持って行くものに“スラップ”という名前が付いていただけなんじゃないかと思っています。もちろん練習はしたんですけど、そこに重きを置いた時代は実は短い。でも、理屈じゃなくて、衝撃を与える表現方法としてのスラップってありますよね。僕も自分の音が届いて初めて“やっぱりスラップってすごいんだな”と気づくことがありました。でも、あくまでも表現のひとつなんですよ、スラップって。

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