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    【ニッポンの低音名人extra】 – 六川正彦

    • Text:Koichi Sakaue
    • Photo:Eiji Kikuchi

    ROOTS of 六川正彦

    六川正彦が影響を受けた作品を紹介。

    『ベンチャーズ・コンプリート・ライヴ・イン・ジャパン ’65』
    ザ・ベンチャーズ
     (1966年)


    六川が中学時代に起こったエレキ・ブーム。ブームのもととなったのがこのグループだ。六川は、レコードに収録された司会のフィリピン人、ビン・コンセプションのセリフまで覚えてしまうほど、死ぬほど聴きまくったという。
    『フリー・ライヴ!』
    フリー
    (1971年


    1971年初頭の英国ツアーの模様を収録したフリー唯一のライヴ・アルバム。全英4位、全米89位にチャート・インし、ライヴ・バンドとしての実力を知らしめた。六川は、アンディ・フレイザー(b)の独特なベース・ラインにやられたという。
    『スマックウォーター・ジャック』
    クインシー・ジョーンズ
    (1971年)


    ヤマハ合歓の郷で仕事をしていた時期(1975年頃)に知る。ジャズ・ファンク・ビートにアレンジされたマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」が収録されており、六川はこの曲に魅了された。ベースはチャック・レイニーとレイ・ブラウンが参加。
    『ライヴ』
    ダニー・ハサウェイ
    (1972年)


    歴史に残る名盤との呼び声も高く、六川も御多分にもれず夢中になった。本アルバムで聴けるウィリー・ウイークスの野太いベースは、当時のベース小僧のお手本となった。
    『フード・フォー・ソート』
    JBズ
    (1972年)


    ジェームス・ブラウンのバック・バンドとして知られたJBズのデビュー・アルバム。六川にとってグルーヴの原点となった。この頃のブーツィー・コリンズ(b)のプレイも、ホーン・セクションとの絡みも素晴らしいのひと言。
    『THE SECTION』
    ザ・セクション
    (1972年)


    ジェームス・テイラーのバック・バンドとして来日した西海岸の腕利きミュージシャンにより結成されたバンド。1972年の来日公演は、もちろん六川はしっかりチェック。ジェームスの前に30分ほどセクションのみのステージが行なわれたが、バック・バンドではなく、ジェームス・テイラー・バンドそのものだった。
    『ルート・ダウン』
    ジミー・スミス
    (1972年)


    ベースはクルセイダースでサックスを吹くウィルトン・フェルダー。グラント・グリーンのライヴや、ジャクソン5のレコーディングなどでベースを弾くマルチ・プレイヤーとして知られる。本作では歌いまくるベース・プレイが圧巻!
    『フレッシュ』
    スライ&ザ・ファミリー・ストーン
    (1973年)


    スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベースが、ラリー・グラハムからラスティ・アレンに交替。前任者がチョッパー・ベースの創始者と言われているだけにプレッシャーもあったと思われるが、ラスティ・アレン独特のファンキーなベース・プレイも素晴らしい。
    『グラハム・セントラル・ステーション』
    グラハム・セントラル・ステーション
    (1974年)


    スライ&ザ・ファミリー・ストーン脱退後にリリースされた、チョッパー・ベースの創始者ラリー・グラハムのリーダー・バンドとしてのデビュー作。六川は、その力強さに圧倒された。
    『ベスト・ライヴ』
    タワー・オブ・パワー
    (1976年)


    ベイエリア出身の大型バンドによる、初のライヴ・アルバム。鉄壁のホーン・セクションが有名だが、フランシス“ロッコ”プレスティア(b)とデヴィッド・ガリバルディ(d)という、ふたりのリズムとグルーヴこそ、このバンドの個性という意見も多い。

    SELECTED DISCOGRAPHY

    六川正彦の参加作品から注目盤をピックアップ。

    『多羅尾伴内楽團Vol.1』
    多羅尾伴内楽團
    (1977年)

     
    大瀧詠一の変名である多羅尾伴内の名義を使って制作された。スティール・ギターの駒沢裕城を中心に据え、哀愁あふれる北欧サウンドを奏でたインスト・アルバム。
    『沙浪夢SHALOM』
    大橋純子 & 美乃家セントラルステーション
    (1978年)


    六川が大橋純子&美乃家セントラルステーションに参加したときの作品。洗練されたシティ・ポップスを主軸に、ファンクやラテンなどバラエティ豊かな楽曲構成で楽しませてくれる。
    セクシー・ナイト』
    三原順子
    (1980年)


    今や国会議員として著名になった三原じゅん子のデビュー・アルバム。レコーディング時に、セーラー服を着た本人がスタジオにいたことが印象的だったそうだ。
    『EMOTION』
    H2O
    (1983年)


    六川BANDで、アレンジ&レコーディングに全面参加。ヒット曲「想い出がいっぱい」を含むアルバム。 
    『Japanese Electric Foundation』
    Japanese Electric Foundation
    (1986年)


    サザンオールスターズの野沢“毛ガニ”秀行(perc)のソロ・プロジェクトが、桜井鉄太郎と六川を加えた、3人ユニットJ E F名義でリリースされた。曲ごとにゲストを迎え、ヒネリのきいた選曲で楽しませてくれる。ライナーを桑田佳祐が書いている。 
    『TRAUMA』
    TRAUMA
    (1988年)


    レベッカの各メンバーによるソロ・プロジェクトの一環として、小田原豊(d)がソロ・アルバムを作る際、本人がバンド形態を志望したために生まれたトリオ・バンド。ギター&ヴォーカルの横内健亨が六川とともに参加。
    『Listen to my Heart』
    杉山清貴
    (1989年)


    アーティストとして初のクリスマス&ミニ・アルバム。小島良喜(k)がプロデュースし、今は亡きウエスト・ロード・ブルース・バンドの塩次伸二(g)とも共演を果たした。
    『NO EXIT』
    姫の乱心
    (1992年)


    宮城純子(k)がリーダーを務めるバンドで、リズム・セクションを土方隆行(g)と渡嘉敷祐一(d)と六川で固め、ホーン・セクションを擁したハイパワー・フュージョン・バンド。
    『Dr. K Project』
    Dr. K Project
    (1999年)


    ベンチャーズをこよなく愛し、ベンチャーズ・メンバーたちからも高い評価を受けている徳武弘文(g)率いるDr. K Project。ベンチャーズ・マナーに乗っ取って演奏されるオリジナル作品の数々を聴くと、ポップ音楽がこうして継承されることがわかる。ノスタルジーでもレトロでもない、脱帽の素晴らしさ。
    『レッツ・スワンプ・ツアー/ライヴ・イン・ジャパン』
    徳武弘文withジェリー・マギー、マーク・べノ
    (2012年)


    徳武弘文の還暦記念ツアーに、ベンチャーズのジェリー・マギー(g)とLAスワンプ・ロックを代表するアーティスト、マーク・ベノ(g)が参加。ツアー最終日における白熱のプレイを収録したライヴ盤。
    『クレイジー・ランニング・キャット』
    星川薫とザ・メロンホーカーズ
    (2018年)


    Dr. K Projectの星川薫(g)によるソロ・アルバム4枚目が、バンド名義(星川薫、金子隆博、吉岡優三、六川正彦)でリリース。このジャズ・ファンク・アルバムからは2曲を抜粋して7インチ・シングル(アナログ盤)もリリース。その前の3枚のソロ・アルバムも含めて六川はプロデュースも行なっている。

    【お知らせ】
    発売中のベース・マガジン2021年8月号の『ニッポンの低音名人』では、六川正彦のこれまでの軌跡を追ったロング・インタビューを掲載!

    PROFILE
    ろくかわ・まさひこ○1951年、東京都中野区生まれ。中学でベンチャーズに衝撃を受け、ドラムを始める。大学時代にドラマーとして仕事を始めるが、ルイズルイス加部に憧れ、細野晴臣の演奏を聴いてベースに転向。卒業後はあがた森魚のアルバム『日本少年(ジパングボーイ)』でレコーディング・デビュー。その後、南佳孝や吉田美奈子のバッキングを経て、大橋純子&美乃家セントラルステーションに参加。脱退後はスタジオ(松原みき、沢田知可子、大瀧詠一など)にライヴ(宮本典子、ジョニー吉長、森園勝敏)に、と多忙な日々を過ごす。1996年より徳武弘文(g)のDr. K Projectに参加。現在も活動範囲を広げ、ライヴにレコーディングにと活躍中。