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    【ニッポンの低音名人extra】 – 六川正彦

    • Text:Koichi Sakaue
    • Photo:Eiji Kikuchi

    関係者が語る六川正彦 – 01

    大橋純子の証言

    私たちにとっては、
    単なるベーシストってだけじゃない。

     私、歌を歌うとき、実はベースを聴いて歌ってるんですよ。歌の人ってたいがい、ピアノとかギターを聴きながら歌うっていうんですけど、あるとき気づいたんです。私って、ずっとベース聴いて歌ってたかも、って。だからベースは昔から好きでした。ベースとドラムが気になるタイプ。もちろんギターもピアノも、大事な和音楽器ですから必要なんですけど、歌を歌うときはベースを聴いて歌ってたと思います。いまだにそうです。だから私ね、ベースがしっかりしてないと嫌なんです。ステージでも、ちゃんとベースは聴こえますよ。立ち位置的に、私の近くにいることも多いし。ときどき音が大きすぎて“うるさい”ってこともあるけど(笑)。
      
     あと人によっては、リズムの取り方が違うっていうか、テンポ感が違うから、そこが似てる人じゃないと歌いにくかったりします。マー坊さんはその点まったく問題なし。マー坊さんのいいところって、いろんな音楽を聴いてて、いろんなこと知ってるってこと。だから“あの感じ”って言うと、“ああ、そうか、そうか”って、すぐわかってくれるんです。
      
     シンガーってね、お客さんとバンドの間に立ってるから、ちょっとした孤独感があるんですよ。で、ときどき心細くなってうしろを振り返ったりするんですけど、そういうとき、必ずこっちを見てくれてるのがマー坊さん。ステージ上でも本当に頼りになる。ムード・メーカーなんですよね。メンバーを、バンドを盛り上げる人。だからマー坊さんって、私たちにとっては単なるベーシストってだけじゃないんです。彼がいると、私は安心だけど、そう思ってるのは私だけじゃないと思いますよ。

    • 大橋純子&美乃家セントラルステーションのステージで、大橋純子のヴォーカルに、フェルナンデスBCリッチ・タイプのベースの六川が絡む(?)の図。
    おおはし・じゅんこ○1974年ソロ・デビューを果たし、1977年『RAINBOW』を、大橋純子&美乃家セントラルステーション名義でリリース。同アルバム収録のシングル「シンプル・ラブ」のヒットで、一躍メジャー・シーンに躍り出る。その後「たそがれマイ・ラブ」(1978年)や「ビューティフル・ミー」(1979年)でさらに評価を上げ、「シルエット・ロマンス」(1981年)がCF起用されるなど、人気・実力を兼ね備えたシンガーとしての評価を定着させる。以降もコンスタントに活動を続け、カバー・アルバム『TERRA2』(2009年)はロング・セラーに。現在も、気心の知れたメンバーとともに活発に活動中。
    Official HP

     マー坊さんとは一時期会わなくなって、久々に会ったのが私のカバー・アルバム『J’selection』(1994年)のとき。お互いに“あー、頑張ってるんだな”って感じたと思う。そのあと何年かして、マー坊さんにトラで来てもらったとき“あー、やっぱりこの感じだよね”って思ったんです。それ以来、トラの回数が増えていって、結局正式に入ってもらったという(笑)。そうなってから、もう20数年になってしまいました。
      
     やっぱり、やりやすいですね。昔から知ってるから。ギターの土屋潔さんを紹介してくれたのもマー坊さんだったし、サックスの後藤輝夫さんもそう。この3人が学生時代にバンドやってて、その3人が美乃家で一緒にやり出して、そこからまた間が空くんですけど、結局また美乃家の人たちが集まってくれた。私にとって、家族みたいなメンバーですから、今後もみんなで頑張ってやれたらいいなって思ってます。

    関係者が語る六川正彦 – 02

    野沢秀行の証言

    ライヴでは、こっちが入れてほしいと思ったタイミングで、
    フィルを入れてくれる。

     J.E.F.はね、ロフト時代から桜井鉄太郎と仲が良くて、マー坊も入れて“3人でなんかやりたいねー”って話してたんです。1986年にリリースして残念ながら1枚で終わっちゃったんですけど、最初はラテンとかハード・ロックとかファンクとか、出すたびに変わっていくっていう構想を考えてた。で、最初は、王道のポップスを打ち込みを使ってやるとどうなるんだろう?っていうテーマで。ほとんど実験ですよ。
      
     マー坊のベースってね、まず一発目のツカミがすごい。どんな感じでやろうかな?って思いながら、とりあえずやってみると、ほとんど一発目から“ドーン!”ってくる。その世界観がすごい。最初からきちゃう。でもそのあと僕がしつこく“ここは、こんな風になりますか?”とかいうと、苦笑いしながら、結局は何回もやってくれる。音符やコードとかじゃなくて、例えばUFOが飛ぶ感じとか、そういう言い方しても、なんとか工夫してやってくれる。引き出しがメチャクチャいっぱいあるんだと思います。
      
     あの音って、両手のバランスがいいんだと思う。ボンって弾くときマー坊は“ドン!”なんですよ。芯がすごくある。フェンダー・ジャズ・ベースの音でも“ドン!”って鳴るし、ほかのベースを弾いても“ドン!”って出る。だからちょっとやってると全部マー坊の音になっちゃう(笑)。でも、それが一番好きなところ。あとは人間性が最高なんで、それがベースに出てます。

     ライヴで何回もやらせてもらってるんですけど、ライヴだとマー坊強力でね。譜面があっても、書かれてないいろんなパターンを入れてきたりして。そういうの誰でも多少はやってるんだけど、入ってくるタイミングが、こっちが入れてほしいところにくるんですよ。“毛ガニ、わかってるよ。ここだろ?”って感じで。来てほしいときに来てくれる人。感覚が似てると僕は思ってます。
      
     だからね、こう来たらこうしようとかって、打ち合わせしたことなんてほとんどない。始まったら顔を見て、放っておいてもコール&レスポンスできてる。阿吽の呼吸っていうのかな。一緒にやってると楽しいです。本当に必要不可欠。マー坊がいなかったら、ライヴやりたくないって思うくらいですから。

    のざわ・ひでゆき○ サザンオールスターズのパーカッショニストとして、1978年に「勝手にシンドバッド」でデビュー。“毛ガニ”の愛称で親しまれる。1986年にはソロ・プロジェクトJapanese Electric Foundation(J.E.F.)を結成し、アルバム 『Japanese Electric Foundation』を発売。2016年には自らの経験をもとにした初の著書となる『毛ガニの腰伝説 〜腰痛に負けない体を無理せずつくる!!〜』(KADOKAWA)を出版。2020年にはサザンオールスターズとして2度の無観客配信ライブに参加、2021年6月に、デビュー43周年を迎えた。

     毛ガニ・バンドって呼ばせてもらってるバンドがあるんですけど、そのライヴでは1回を除いて必ずマー坊がいました。だからマー坊がいないとやらない。J.E.F.が野音でやったときもマー坊に、先にスケジュール聞いてましたから。こっちのスケジュールより、まずマー坊のスケジュールを押さえるんです。いないとやりたくない。だからぜひ、これからも一緒にやっていただきたいですね。

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