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    追悼 – フィル・レッシュ(グレイトフル・デッド)

    • Text:Daisuke Ito
    • Photo:Ed Perlstein(Redferns/Getty Images)

    デッドの魂を低音で導いたフィル・レッシュ。
    その革新と個性に満ちた軌跡を追う。

     2015年に50年間の活動を終えた、アメリカが生んだ巨大なロック・アイコン、グレイトフル・デッド。1960年代に起こったサイケデリック・ムーヴメントの中心的存在であり、フリーフォームな即興演奏のライヴを主体にした活動する姿は、世界中の音楽ファンやミュージシャンに大きな影響を与えた。デッドのベーシストとしての天命を全うしたフィル・レッシュは、低音楽器という枠に囚われず、常に革新的な視点を持ちエレキ・ベースの可能性を追求した偉大なプレイヤーだ。つい先日、2024年10月25日に84歳でこの世を旅立ったこのレジェンドの軌跡を振り返っていきたい。

     1940年に米国カリフォルニア州バークレーで生まれたフィル・レッシュは、幼少期よりクラシック音楽に慣れ親しみ、学校のマーチング・バンドではヴァイオリンを演奏した。高校生でトランペットに転向し、現代音楽やジョン・コルトレーンの影響を受け、大学では作曲を学んでいる。ベースを手にしたのは、ジェリー・ガルシア(g,vo)が率いたグレイトフル・デッドの前身バンド(ワーロックス)に参加したときだった。ちなみにフィルは学生時代にラジオのエンジニアをしていて、ガルシアと出会っている。

     グレイトフル・デッドは1965年にサンフランシスコにて結成。創立メンバーはジェリー・ガルシア、フィル、ボブ・ウィアー(g)、ロン”ビッグペン”マッカーナン(k,harm)、ビル・クラウツマン(ds)。“アシッド・テスト”と呼ばれるイベントで演奏を重ね、ジェファーソン・エアプレインとともに同地のサイケデリック・サウンドを担うバンドとなる。2nd作『Anthem Of The Sun』(68年)はライヴ収録の素材にオーバー・ダビングを施した実験的な作品を発表。翌年にはロック史に残るライブ名盤『Live/Dead』をリリース。開放的で自由な即興演奏を展開する本作のハイライトは「Dark Star」で、フィルの旋律的な名演を聴くことができる。

    グレイトフル・デッド

     フィルはベースを手にしてから、個人で楽器演奏の練習をすることはなく、バンドで演奏しながらエレキ・ベースを習得している。大学で音楽理論を習得していたフィルは、ジャズのテンション・ノートやクラシックの対位法などを生かしてユニークなフレーズを紡いだ。これが先述した初期デッドの個性である実験的要素へとつながった。ベース奏者としてどうあるべきか、のちにフィルはこう語っていた。“ジェームス・ジェマーソンやポール・マッカートニーは当時のプレイヤーにとって大きな影響源だったが、私はああいうスタイルの演奏には取り組まなかった。ジャック・キャサディ(ジェファーソン・エアプレインのベーシスト)が唯一あの頃、私と同じ方向を向いていたと思う。ベースでリードをとる演奏だね”。

     1960年代末にはサイケデリック・ムーヴメントが沈静化。バンドも1970年にリリースした『Workingman’s Dead』と『American Beauty』ではカントリー‏/フォーク路線へ方向転換する。この2作がヒットとなり、全米を代表するバンドへと成長した。前者では温かみのあるベース・トーンに加えて、フィルが参加する美しいヴォーカルのハーモニーも聴きどころ。後者では名曲「Sugar Magolia」などでメロディックに歌いあげるベースが聴ける。73年にはニューヨークで彼らとザ・バンド、オールマン・ブラザーズ・バンドとともに”サマー・ジャム”を開催し、60万人を動員した。

     ヒット作となった『Blues For Allah』(75年)収録の「Help On the Way/Slipknot!」ではヴォーカルと絡み合う心地よいリード・ベースが聴ける。スケール感の増した『Terrapin Station』(77年)はフィルのお気に入りの作品であり、タイトル曲は16分強の組曲で、オープンな雰囲気から耳を惹くメロディ、独特の緩急など、彼らがライヴ演奏で培った要素を巧みに取り入れている。

     もうひとつ、彼らを語るうえで欠かせないのがライヴ・サウンドの革新だ。1960年代末より先鋭的なサウンド・システムを構築していく。最も代表的なのが1974年に完成した大規模なスピーカー・システム(ウォール・オブ・サウンド)であり、彼らが考え出した手法は現在のライヴ・サウンドに欠かせないSR(サウンド・レインフォースメント)システムの先駆けとなった。彼らは楽器の音声信号をロー・インピーダンスでとりまとめることでクリアなサウンドを得ていて、ベースもそれに当てはまる。

     フィルはロン・ウィッカーシャムが開発したロー・インピーダンスのピックアップと専用のプリアンプ回路を、当時愛用していたギルド製スターファイアに取り付けた。のちにウィッカーシャムはアレンビックから世界初のアクティヴ・ベースを発表する。フィルの改造ベースはその最初期型といえるものだった。彼はアレンビックを愛用したが、その後は幅広いプレイを求めて6弦ベースを導入し、ハイ・トーンや和音などの演奏も取り入れる。ちなみに6弦はモジュラスのモデルを使用し、近年では名手イェンス・リッターがフィルのために設計したモデルを手にしていた。

    1974〜79年に使用されたアレンビック製ベース。写真は1979年4月22日にカリフォルニア州サンノゼのスパルタン・スタジアムで撮影。

     話をバンドに戻すと、80年代以降もデッドは勢力的なライヴ活動に加えてスタジオ・アルバムもリリースし続ける。87年リリースの『In The Dark』は大ヒットとなるが、89年の『Built To Last』が最後のスタジオ盤となった。彼らの音源はロック・チャートで1位を獲ることはなかったがライヴの動員数はすさまじく、1990年代のコンサートの興行収入はローリング・ストーンズに続く第2位となる。

     その根幹となったのがデッドのライヴ・ツアーに付いて回る“デッドヘッズと呼ばれるファンたちだった。デッドは自らの運営会社でコンサート・チケットを管理したのに加えて、ファンが自由にライヴを録音することを許可していた。このような他とは一線を画したスタンスでファンと密なつながりを作っていったのだった。だが、95年にフロントマンのガルシアが心臓発作で亡くなると、グレイトフル・デッドは活動を終えた。

     その後もフィルは自身のバンド、フィル・レッシュ&フレンズとして活動を続ける。また、2003~04年と2008~09年には、フィルを含めたデッドのメンバーが集まりThe Deadとしてツアーを行なった。結成から50周年となる2015年にはグレイトフル・デッドのリユニオンを発表し、“Fare Thee Well”と題したラスト・ライヴを開催。ラスヴェガスとシカゴのスタジアムで計5日間に行なわれ、即完売となったライヴは全世界で生中継された。また、2011年より2021年までフィルはサン・ラファエルにてライヴ・スペース”Terrapin Crossroads”を運営しながら音楽活動を行なった。彼は2006年と2015年に癌の闘病を経験したがいずれも全快し、2023年にはフィル・レッシュ&フレンズ名義でGreat South Bay Music Festivalに出演し、2セットで2時間半のショウを行ない、元気な姿をファンに見せていた。

     ロックの創生期より自身の個性を追求してきたフィル・レッシュ。デッドの作品で聴ける歌や楽器と呼応する自由なカウンター・メロディ、独特のリズムとフレージング、そのどれもがフィルらしさに溢れていて、オリジナリティの純度が桁違いに高い。例えるならジョン・エントウィッスルやジャック・ブルースのように常に先進的な視点を持ち、ベースと向き合ってきたプレイヤーのみが持つ、純度の高い個性をフィルは持ち合わせている。この記事を読んで気になった人は一度、彼のベース・ラインを弾いてみてほしい。そうすればその演奏にどれほどの独自性があるかを理解できるはずだ。グレイトフル・デッドの音楽とともに彼が残したベース・プレイは、私たちに真の個性とはどういうものなのか、その道筋を示す貴重な財産なのだ。


    ◎フィル・レッシュ関連記事◎

    ベース・マガジン2005年9月号』では“低音偉人伝”でフィルの功績を取り上げた。

    ベース・マガジン2022年5月号』ではリード・ベースの名手として、フィルのプレイを分析。