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    【ニッポンの低音名人extra】 – 六川正彦

    • Text:Koichi Sakaue
    • Photo:Eiji Kikuchi

    日本の音楽シーンを支えてきた手練れたちを紹介しているベース・マガジン本誌連載の『ニッポンの低音名人』。発売中のベース・マガジン2021年8月号では、ドラマーからベーシストへと転向したという出自とバラエティに富んだキャリアを持つ、筋金入りの“ビートマン”である六川正彦を取り上げている。

    ここでは、本誌では紹介しきれなかったエピソードや関係者の証言、六川のルーツや参加作を見ていこう。

    感動すると、まず行動

     興味を持ったのちに、実際に行動を起こすどうかで、その後の人生は大きく変わる。行動を開始すると、そこには必ず予期せぬハプニングや、未知なる人間との出会いがあるからだ。ちょっとした興味の追求であっても、行動がともなうことによって、自動的に新たな発見がプラスされ、もとからの興味との相乗効果で、さらなる興味がかき立てられる。いわゆる“正のスパイラル”だ。

     と、陳腐な自己啓発本のような書き出しになったが、それは六川の人生が、その典型的なサンプルのように見えて仕方ないからだ。
      
     テレビのなかで歌い踊るザ・ピーナッツに憧れたからといって、日劇公演を調べ上げ、観に行かせてくれと親を説得する小学生など、あまり想像できない。そして行動に移したからこそ、ザ・ピーナッツによる生のパフォーマンスを目にできただけでなく、生演奏の迫力を全身で体感するという余録にあずかれた。バックを務めたのがクレイジーキャッツという、コミック・バンドとはいえ一流のジャズ・ミュージシャン集団だったことは、行動を起こしたことへのご褒美だったかもしれない。
      
     1960年代前半、大音量で聴ける音楽といったら、学校の運動会で使われる、拡声器のようなスピーカーから発される歪みきった轟音くらいのもの。もはや音楽というより騒音だ。それに比べて日劇で聴いた音は、ハイファイ的にもダイナミクス的にも、それまで聴いたことがなかった“本物の音楽”だった。クレイジーキャッツは、音楽にさして興味のなかった小学生の耳をもこじ開けた。
      
     そんな、本物の味を肌で知ってしまった六川だから、中学時代、偶然レコードを聴きショックを受けたベンチャーズにしても、来日時には当然のごとく公演会場に足を運ぶ。確かめずにはおられない性分は、小学生時代のザ・ピーナッツのときと同じだ。そこでホールの隅々にまで行き渡る、ノーキー・エドワーズ(g)による、あの印象的なギター・サウンドを全身に浴びる。

     “生の音を聴いて「何だ、これは!」って。それまで以上に熱狂的になった”。  

     しばらく観ていると、なぜか耳と目が自然とメル・テイラー(d)のドラム・プレイに引き寄せられる。看板は、モズライトを真空管アンプに直結しリヴァーブをたっぷり効かせたギター・サウンドにあることはもちろん承知している。が、そのバンド・サウンドをグイグイ推進するエンジンは、メル・テイラーが繰り出すビートだった。六川の体は、メロディより先にビートに反応していた。
      
     すると、もうドラムを叩かずにいられなくなってしまう。同級生である商店街の息子たちとバンドを組んだのはご承知のとおり(本誌2021年8月号参照)。
      
     “中学2年の頃、自宅に家具調のステレオが設置されたんだけど、親に内緒でレコード・プレイヤーのアームを分解して、エレキ・ギターが鳴るように改造しちゃった。それでエレキ・ギター好きの友達を呼んで、勉強そっちのけでベンチャーズとか、エレキ・サウンドの曲を練習してましたね。ちなみに僕はドラムだったけど、勉強椅子の縁がシンバル代わりでした(笑)。  1964年はすごかった。ベンチャーズ、ビートルズ。音楽だけじゃなくて東京オリンピック、新幹線、首都高速とか。中学2年はとんでもない年でしたよ”。
      
     そう、1964年、ビートルズは『ハード・デイズ・ナイト』や『ビートルズ・フォー・セール』をリリースし、世界的な人気を不動にしていた。
      
     “中学校の頃は、ビートルズ、ベンチャーズ、加山雄三が流行ってたんだけど、思春期だったせいか軟派と硬派に分かれてて、ビートルズは軟派でベンチャーズは硬派って言われてたの。僕は硬派を気取って「俺は女がキャーキャーいうビートルズなんか好きじゃねえよ。俺はベンチャーズ派だよ」とか言ってた記憶がある。でも実はビートルズのレコードをこっそり買って、家で聴くという姑息なやつでした(笑)。「ロール・オーバー・ベートーヴェン」とか「デイ・トリッパー」とか、いろんなヒット曲があったじゃないですか。やっぱりビートルズはズバ抜けてました”。
      
     加山雄三も、若大将というキャッチフレーズで女性ファンからキャーキャー騒がれていたが、六川のなかでは、加山雄三はなぜか硬派に分類された。ベンチャーズ・サウンドの色が濃かったからだろうか。
      
     “男女問わず、当時のスーパースターでしたね! 『加山雄三のすべて』っていうレコードにハマってた。加山さん自身も好きだったけど、僕はバックのザ・ランチャーズが好きでね。加山さんのレコードは、ランチャーズとやってる曲もあれば違うものもある。僕はランチャーズとやってるバージョンが好きだった。だってビートが違うじゃないですか”。
      
     と、中学からビート感にこだわっていた六川は、のちに加山雄三のバックを務めるという幸運にも恵まれ、ステージでは思う存分ベンチャーズ・ビートを再現してみせることになる。
      
     “Dr. K Projectでもベンチャーズはやったけど、加山さんのバックもやりました。あのときは、加山さんからDr. K Projectに、エレキ・サウンドでサポートしてほしいっていう依頼がきて、神宮球場の花火大会など数ヵ所で演奏しましたね。同じ時期、ベンチャーズと加山雄三、Dr. K Projectで共演することもありました。光栄でした”。

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