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    【祝!レッチリ新作リリース】GuruConnect(skillkills)× 井澤惇(LITE)が語るフリー愛と『Unlimited Love』

    • Interview:Shutaro Tsujimoto
    • Photo:Kohe

    2019年にギタリストのジョン・フルシアンテが電撃復活を果たしたレッド・ホット・チリ・ペッパーズが、2022年4月1日に通算12作目となるオリジナル・アルバム『Unlimited Love』をリリースした。『Blood Sugar Sex Magik』(1991年)や『Californication』(1999年)を生んだ黄金期のメンバーによる新作としては約16年ぶりとなる今作。しかも、プロデューサーには盟友リック・ルービンがカムバックを果たしており、まさに“最強の布陣”がここに揃ったと言えるだろう。そんな世界中のレッチリ・ファンが待望した新作を、第一線で活躍するプロ・ベーシストたちはどう聴いたのか。ここでは、“『Californication』が出たのが高校生の頃”という、ジョン・フルシアンテ1度目のバンド復帰の衝撃を多感な時期に体感した、1983〜4年生まれのふたりに登場してもらう。ビート・ミュージックを生演奏で鳴らすアヴァン・ヒップホップ・バンドskillkillsのブレインとしての活動のみならず、プロデューサー/アレンジャーとしてASIAN KUNG-FU GENERATION やDaokoの楽曲にも参加するGuruConnectと、インストゥルメンタル・ロック・バンドとして国際的にも高い評価を受けるLITEのベーシストとして活躍し、バンドで映画の劇伴なども手がける井澤惇。25年以上にわたりバンドの歴史を見つめてきた同世代のふたりに、『Unlimited Love』を大音量でかけながら、その魅力を存分に語ってもらった。

    『Californication』が出たのが高校時代で、
    “ジョン・フルシアンテが帰ってきた!”
    みたいな盛り上がりを見ていた。
    ━━井澤惇

    ――おふたりの付き合いはけっこう長いんですか?

    井澤:無茶苦茶長いですよ(笑)。同級生です。アマチュアの頃からよく対バンとかしてたよね。

    GuruConnect:なんならLITEの一番最初の初期メンバーの頃からライヴとか一緒にやってたんで(笑)。20年くらいの付き合いだよね。

    ――レッチリの話をする機会ってこれまでありましたか?

    井澤:ないですけど、俺らの世代は全員レッチリ好きでしょって感じだよね?(笑) この1983、84年生まれの人たちって『Californication』(1999年)が出たのが高校時代で、中学の頃に『One Hot Minute』(1995年)が出ていて、という感じで。“ジョン・フルシアンテが帰ってきた!”みたいな盛り上がりを現場で見ていた世代というか。あれが出たときの衝撃ってあったじゃん? みんなどうやったって影響を受けてたよね。

    GuruConnect:影響を受けてないヤツはほとんどおらんよね。ベーシストで。俺、ちょうど中学のときに“サタデー・ナイト・ライヴ”っていうアメリカのライヴ番組がBSでたまたま流れてるのを観たのよ。そこに出てたニルヴァーナとレッチリがめっちゃカッコよくてさ。それで音楽やろうと思ってベース始めたんだよね。レッチリは「Stone Cold Bush」をやってて。

    井澤惇

    ――まさにレッチリに人生を変えられたと。アルバムで言うと、最初にちゃんと意識したのはどの作品になるんですか?

    GuruConnect:そのBSの衝撃の前に、オカンの職場のメタラーのお兄ちゃんから『One Hot Minute』を、パンテラの『激鉄(原題:Reinventing the Steel)』と一緒にもらっていて(笑)。

    井澤:名盤じゃん。

    GuruConnect:でも当時は全然意味もわからんくて、GLAYばっかり聴いてた。で、そのBSで衝撃を受けて、“レッド・ホットなんとかみたいなCDあったな〜”って思い出して。そこからめっちゃ聴き出したな。

    井澤:俺はTSUTAYAで借りて聴いてたんだけど、最初に本当の意味でハマったのは『Californication』だったの。その前からベースの教材として『Blood Sugar Sex Magik』(1991年)とか『One Hot Minute』は聴いてたけど、このアルバムで“俺、本当にこのバンド好きだな”って思った。そこから戻っていろいろ聴くようになったんだよね。今は『Blood Sugar Sex Magik』が一番好きだけど。

    ――当時の『Californication』の衝撃ってどういうものだったんですか?

    井澤:“ミクスチャー”が流行ってる時代に、彼らはそれを通り越えてきた感じがあって。今思えば、レッチリは“そもそもミクスチャー・バンドではなかったんだな“って感じなんですけど。

    GuruConnect:そうなんよ(笑)。

    井澤:その頃はやっぱ全部一緒くたにされてたじゃん。『One Hot Minute』も、当時の流行りの音響感覚でマスタリングされていたりして。でも『Mother’s Milk』(1989年)より前まで戻ると、彼らはもともとはUSインディとかポスト・パンクの流れにいたわけで。その頃ってパンクやファンクにラップが乗っているだけで“ミクスチャー”って言われやすいところがあったのかもしれないけど。

    GuruConnect:言ったらレッチリはラップでもないからね(笑)。立ち位置的にはサブライムとかがレッチリと近かったんじゃないかな。やっぱり西海岸の音楽なんだよ。

    ――なるほど。この時代のフリーのプレイ・スタイルについては、どういう印象を持っていますか?

    井澤:さっき“練習教材としてちょうどよかった”って言いましたけど、シンプルだけどカッコいいフレーズが多いし、ある程度筋肉がないと弾けないパターンが多いんですよ。だから、初期段階の筋トレにもなるというか。とっつきやすいフレーズでありながら弾きやすくてインパクトがあるようなものが多かったから、キッズたちに“弾きたい!”って思わせたのかなと。「Stone Cold Bush」はみんなやってたんじゃない?

    GuruConnect:「Stone Cold Bush」はやったね。俺は『One Hot Minute』がめっちゃ好きだからコピーしたかったけど、めっちゃ田舎でバンド・スコアとかも売ってなかったし、あのアルバムはベース難しくて全然できんかったわ(笑)。

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