PLAYER
人を集めたり惹きつけるのはスラップ。
━━以前には、阿波踊りといった日本の伝統文化や、ベーシストではなくドラマーのプレイからスラップの影響を受けたと答えていましたね。
阿波踊りなどの祭りのリズムに関しては、日本人が海外の人に立ち向かうには、大和民族の血を生かしていくしかないと思うんです。個人的には、まともに精神性を吸収していない外国人が握った寿司を食べたくないですしね(笑)。僕がいつもこういった格好(和服を取り入れたファッション)をしているのは、こういった格好をしていたほうが落ち着くからです。アーティストはどんなことも自分のアイデンティティに落とし込むことが重要だと思うんですよ。だからスラップも、日本人なりのリズムで弦を叩いて引っ張った感じっていうのは、海外のミュージシャンのスラップとは違う感じになると思う。多くの人が手が小さいからと諦めるんですけど、僕だって手が小さいけど弾いてるし、日本人だから体が小さいというコンプレックスって関係ないと思う。
━━リズムに弱いと言われがちな日本人ですが、そうではなく、日本人らしいリズムがある、と。
そうですね。“踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損々”というのにも“節”や“間”があって、この“間”っていうのは日本人のモノなんです。飲み会の最後とかに一本締めってやるじゃないですか。あれ、海外の人だとできなくてタイミングがバラバラになるんですよね(笑)。18歳のときに夜のストリートでプレイしていたらいろんな国の人たちが来て、渋谷のTSUTAYA前がダンス・フロアみたいになったんです。おまわりさんに退去を言われて渋々片付けて、とりあえず締めようということになったんですけど、一本締めをやったら完全にバラバラで(笑)。でも“……3、4、パチン!”ってやると合うんですよね。何度も身振り手振りで間や感覚を伝えてやっと成功した感じで、“あぁ、自分は日本人として音楽をやってきて何もコンプレックスに思うことはないな”と感じました。
━━葛城さんはストリートで2ピースで演奏していたこともあれば、現在はマニピュレーターも擁したフル・バンド・セットのRED ORCAにも参加しています。このふたつのアンサンブルってそれぞれが極端な例になっていますよね?
そうですね。極限まで削ったKyotaro&Rikuoと、ウワモノもあって楽器の重なり合いが厚いRED ORCAですから。
━━このふたつのバンドではそれぞれでスラップを積極的にアプローチしていますが、意図は違うのでは?
たしかにそうですね。Kyotaro&Rikuoはアンサンブルというよりもデュオなので、タイマンなんですよね。スラップって叩きつけているわけだからある意味でドラムじゃないですか。だから音階のあるドラムvs音階のないドラムなんですよ。チューニングの異なるドラムがふたつある感じ。
━━なるほど。
そうなんです。Kyotaro&Rikuoのほうがクリックもないので自由ですし。ベースのおもしろくて好きなところってそれ自身でやっていることが変わらなくても、まわりのアンサンブルで変化を付けるとプレイの意味も変わっていくというところ。例えばフレーズだけとれば、RED ORCAの「Beast Test」なんかはめちゃくちゃスラップしているので、Kyotaro&Rikuoの「Attention!」とかと音数で言えば同じですが、まわりが変わると彩りが変わっていくという美学みたいなものがあります。Kyotaro&Rikuoでは自分はフロントマンの要素が強いですし、インストという違いもありますしね。
━━まわりの環境でフレーズの意味が変わるというのはスラップでなくてもあり得る話だと思うんですが、スラップのほうが意外性や発見がありますよね。そのなかで言えば、RED ORCAみたいな重厚かつそれぞれが個性的なアンサンブルでルート音だけを淡々と刻むようなことをすると、そこに自分がいる意味があるのだろうかと考えてしまうのでは?
そうなんですよ。RED ORCAに80点から100点のベースって要らなくて、120、150、200点のベースじゃなくちゃ要らないと思うんです。それでいてベースを弾いていない曲もあるのですが、“弾かない”っていうのは全休符がずっと鳴っているということでもあるわけで。これは“弾かない”という自己表現でもあると思っています。Kyotaro&Rikuoのときもそうなんですけど、人を集めたり惹きつけるのってスラップなんです。CMのお仕事をいただくこともあって、画面を観ていなかった人たちに観てもらったり、“おやおや?”と思ってもらうためにやっていますね。RED ORCAでは観てもらえる環境があるなかでさらにプッシュするという意味合いがあります。