PLAYER
クサいがうえにベースに耳がいって、
聴く人が曲に集中できなくなったらよくない。
――リハビリ中、久しぶりにメンバーと音を鳴らした瞬間は覚えていますか?
覚えてます。人と演奏することがずっとできなかったので、まず、すごく楽しかったですね。中学生の頃に、初めて楽器を持ってみんなでスタジオに入ったときの感覚を思い出したんですよ。でも、みんなの不安も感じたので“楽しんでいいのかな?”とも思いました。そのときはまだリハビリ中だったし、(事故)前のほうがもっと弾けていたところも感じさせたかもしれない。ピッキングの仕方が変わっていたりとか、みんな口にはしないけど、そのマインドを感じたんですよね。これじゃまだダメなんだって。楽しかったんですけど、挫折に近いものを感じて焦りました。
――そのなかで、どのようにモチベーションを維持していきましたか?
真船さんですね(笑)。スタジオに入ったときにみんな不安になってると思ったので、すぐに真船さんに相談しました。4人で入る前にセイヤとふたりでスタジオに入ったんですけど、そのときに“ちょっとピッキングが弱くなってるね”って言われて、それも真船さんに相談しました。まだ右手のボルトが入っている状態だったから、“やりすぎても体によくない”と言われて、練習の前とあとの体のケアも習いました。心ではガンガン弾きたいんだけど、当時は弾くとめちゃめちゃ痛くなってたんですよね。だからそこのジレンマはありました。セイヤとスタジオに入ったときも、2~3曲やったら超痛くて。
――プレイの指導だけでなく、メンタル面でも真船さんが支えてくれたんですね。
本当に、ひとりだったらこういった形で復帰はできなかったと思います。
――『PANDORA』の制作はいつ頃から始まったのでしょうか?
最初に録ったのが「アメイジングレース」なので、2020年1月からですね。まだコロナ禍になる前だったんですけど、(コロナの影響は関係なく)制作方法はちょっと変わりました。スタジオでみんなでセッションして作り込むというよりは、牧(達弥/vo,g)の家に集まって、牧と一緒にベース・ラインを決めたりドラムを考える、みたいな感じでした。コロナ禍になってからも、牧と一緒にベースを考えることはありましたけど、全体として制作はセッションではなくデータでのやり取りになりましたね。牧から曲の概要が送られてきて、それに対してベースをどうするかって考えていく感じです。
――アルバムや曲のテーマについて、どのように向き合いましたか?
牧や進太郎が作った曲を聴いて、今はどういうモードなのか、感覚を掴む感じでした。曲によって、牧が考えていることだったり、世の中をどう見てるのかっていうのをすごく感じましたね。たとえば「パンドラ」を聴いたときは、牧は人と何かしらつながりたいんだなっていうのを感じました。それは曲というよりは、歌詞から感じたことですけど。
――曲や歌詞から感じたことに対して、どのようにベース・フレーズをつけていきましたか?
曲によっても違うんですけど、以前のアルバム制作とちょっと変わったなと思うのは、作曲者の意図を自分ひとりで考えるというよりは、牧や進太郎とまず話すようになりましたね。ざっくり自分で考えて弾いたのを送って、それは手数が多いとか、そういうレスポンスがありながら“じゃあ、これはどう?”って話しながら作っていきました。
――「アメイジングレース」は、2020年6月(配信は4月)にシングルとして発表された曲で、新しいバニラズの始まりという印象もあります。
「アメイジングレース」はコロナ禍前に作ったというのもあり、僕としては新しいバニラズの一歩というより、「アメイジングレース」前と、その後という感じに考えています。「アメイジングレース」は僕がちゃんと生きて戻ってきたということに対しての楔というか、復帰したことに対して牧が出してくれた1曲なんです。だからベースにフォーカスされている箇所もあるし、いい意味で動きも強い印象ですね。
――確かに、緩急のあるベース・ラインであったり、曲に寄り添いながらもベースの存在感がしっかりあります。
この曲では自分のベース・ラインに対しての恥ずかしさがなくなりましたね。今までは“このベース・ラインは良すぎて逆に恥ずかしい”みたいな、そういう考えがあったんですけど、それを取っ払いました。自分がクサいって思うハードルが変わったのかなと思います。
――ベタなフレーズのほうが映えるときもありますからね。
どこまで曲のことを考えるかによるとは思うんですけど、クサいがゆえにベースにめっちゃ耳がいって集中できなくなったらダメだと思うし、それがその曲にとっていい作用を起こせばいいと思う。「アメイジングレース」はまさに、ベース・ラインがみんなを引っ張る場面もあるので、その考えが根底にあって良かったと思いますね。
▼ 続きは次ページへ ▼