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    新井和輝(King Gnu)が語るベース・キャリアの全貌【インタビュー後篇】

    • Interview:Shutaro Tsujimoto(Bass Magazine)
    • Photo:Kosuke Ito

    本記事では新井和輝(King Gnu)のインタビュー後篇をお送りする。

    ンタビューの前篇はこちらから。

    ※本記事は『ベース・マガジン2024年5月号』のコンテンツをWEB用に再構成したものです。


    CHAPTER 4
    ビッグ・バンドを通した出会いと
    先輩ベーシストたちとの交流

     国音のビッグ・バンドの先輩で、俺にとって最初の“ヤバい”ベーシストの先輩でしたね。連くんの世代の、2〜3個上の国音のビッグ・バンドは当時無双してたので、俺からすると黄金期の先輩みたいな感じです。

     今は劇伴とかをやってる兼松衆さんとか、ドラマーの小田桐和寛さんとか、ちょっと上だと挾間美帆さんとか。それで、その黄金期の国音の対抗馬として明治大学にいた先輩がモノンクルの角田(隆太)さんで、ジャズ・ドラマーの木村紘さんもいて……みたいな感じで、そのあたりがひしめいていましたね。

     セッションまわりのすごく狭い話だと、門馬由哉くんっていうギタリストがクリス・ハートさんのサポートをし始めたタイミングかな? でもバンドでいうとやっぱりSuchmosじゃないかと思います。

     もちろん俺ら的にはすごい意識していましたよ。で、King Gnuのなかではたぶん俺が一番古くから関係があって。キーボードのTAIHEIとのLINEをさかのぼったら、“俺がやってるSuchmosっていうバンドのライヴがあるから遊びに来て”みたいなやりとりも残っていると思いますけど、彼は洗足(学園音楽大学)に出入りしてた同い年なんですよ。当時、シンガーのNao Kawamuraのサポートを、俺とSoyくんとTAIHEIでやっていて、21歳くらいで仲良くなったんです。だから、Suchmosはベースの(小杉)隼太さんとも交流があったし。

     ドラマーの伊吹文裕くんがやってるO.P.P.A.I.(ORDINARY PURPOSE PLUG AND INVITATION)で隼太さんが弾いてたんですけど、Suchmosが忙しいときには俺が代わりにやっていて。隼太さんとは2021年のフジロックで最後に会って“今度飯行こうね”みたいな話をしてたんですけど、結局できずじまいでした。それこそ、隼太くんと山本連くんも超仲良かったし、俺らの世代はいろんなつながりがありますね。

     ゴスペル音楽のことはJINOさんとかに教えてもらって興味を持ったんですけど、ちょうどその時期に洗足で知り合った人からの誘いで上智大学のゴスペル・サークルのライヴに出ることになって。そこにいたのが今Bialystocksとかで弾いている朝田拓馬さん(g)で。朝田さんが教会を紹介してくれて、もう10年くらいベースを弾いてますね。忙しいときは行けていないんですけど、この前も行ってきましたよ。

    CHAPTER 5
    King Gnuでの怒涛の大躍進
    君島大空 合奏形態の始動

     2015年にSrv.Vinciに加入して、そこからは週1くらいでライヴをやっていて、いわゆる下積みの時期を過ごしてました。とにかくライヴをやって、事故りまくって、ファックって言いまくってたみたいな。そんななか渋谷WWWで自主企画(『Tokyo Chaotic Festival』/2016年9月)をやることになって、そこにソニーが来てくれて契約することになり、SXSWのオーディションにねじ込んでくれて……という流れだったと思います。

     うわ、そういう時系列だったんですね。

     確かに。この頃から始まってますよね。

     いやーよくやってましたよね(笑)。

     もう怒涛すぎて覚えてないんだけど……どうだったかなぁ。「Prayer X」はタイアップ先の意見が介入してくる楽曲制作をやって、いろいろ揉めつつも……みたいなところを初めて経験した場所でしたね。

     そうですね。今思うとけっこうスピーディーだったと思います。

     確かに。でも群れなかったっていうのは俺らの意図的な部分でもあって。“界隈”みたいな括りに懐疑的だったところがあるし、そもそも音楽的にも別にロキノン系ってわけでもないし、もともと何系ってわけでもなかったので。音楽性も相まって、仲良いバンドみたいなのはあんまりできなかったし、ある意味作らずにもいたというか。それこそ企画に呼ばれて出たのってTempalayぐらいじゃないかな。

     そうそう。やっぱり共通項があるから俺らも好きだし。だから、いわゆる同期みたいなバンドもいないし、あえてそうしていた節もやっぱりあったっていうか。

     その頃は君島がソロでいろいろやり始めた時期だったんですけど、君島のソロと石若のSongbook trio(石若駿/p、角銅真実/vo、西田修大/g)の2マンが横須賀であって。俺もそれを観に行ってたので、そこが合奏メンバーの出会いの場でしたね。君島的にはバンドとして続ける気は毛頭なかったらしかったんですけど、最初のライヴがすごく良くて、その衝動のまま今まで続いてるっていう感じです。そのままフジロックのROOKIE A GO-GOで2回目のライヴをやらせてもらって……そう考えると、君島のほうの動きもけっこう怒涛ですね。

     本当にそうですね。まぁ遊も本来そっちタイプのドラマーだけど、やっぱり音楽が違うのでボラリティ(変動性)が全然違ってくるし、リズム体としての交わり方もやっぱり石若と遊では変わってきますよね。

     こういうバンドって意外とないですよね。まぁある意味King Gnuもお互いのバックボーンで絡んでいくみたいな側面がありますけど。King Gnuも“合奏”も、こういう自分のバックボーンありきでやらせてもらえる場に居続けられてるってのは本当にありがたいことだと思っています。

    新井が本誌に初登場した2017年11月号

    本誌で初の表紙を飾った2020年2月号

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    ▼次ページに続く▼
    CHAPTER 6:NewJeansとの共演と
    プレイヤーとしての揺るぎない信念