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35年間飛び続けた鋼音色の空
名古屋が世界に誇るヘヴィメタル・バンド、OUTRAGE。今年デビュー35周年を迎えた彼らが、記念プロジェクトを敢行中だ。OUTRAGEを題材にした映画『鋼音色の空の彼方へ』が5月から劇場公開され、その映画の書き下ろしテーマ・ソングや劇中使用曲などをまとめた35周年記念アルバム『SQUARE, TRIANGLE, CIRCLE & FUTURE』を4月20日にリリース。さらに、4月24日にはオーケストラとの共演ライヴも行なう。中学時代に始めたバンドがデビューし35年続くというのは稀有なことではあるが、当の安井義博本人は、そんな感慨とは無縁のようで、“衣食住”と同じ感覚でただひたすらに自身の好きな道を歩んでいるという。
小学校の卒業のときに
“ビートルズみたいに音楽をやりたい!”って答えたんです。
━━今年、デビュー35周年ということでその記念企画を展開していますが、まず、映画『鋼音色の空の彼方へ』について。映画の製作は伊藤政則(音楽評論家で、OUTRAGEのデビュー時の所属事務所社長)さんからの提案だったそうですが、“映画を作る”という話が出たときには、率直にどう思いましたか?
想定もしていなかったことだったので、正直、“えっ? えっ?”っていう感じでした(笑)。2010年にドキュメンタリー映画(『シャイン・オン -トラベローグ・オブ・アウトレイジ-』)も出しているんですが、それと同じことはしないだろうなと思ったので、なおさら“どういう風に撮るんだろう?”という疑問がありましたね。
━━僕も最初に話を聞いたときには、役者さんがOUTRAGEの歴史を再現する映画だと思っていたんですが、“OUTRAGEのドキュメンタリー映画を撮る人たちにまつわるドラマを描いた映画”ということで、劇中劇のような形になっていますね。
そうなんです。だから、映画のことを人に説明するのが難しいんですよね(笑)。いずれにしても、自分たちがメインで出演するのではなく、全部俳優さんが演じるということがありきでスタートしたんです。最初は3パターンくらい脚本の方向性があって、最終的に今の形になったんです。
━━映画には、OUTRAGEの実際のエピソードを出演者が再現するドキュメンタリー的な要素も入っています。当時のエピソードは監督とのインタビューのなかで出てきたものだそうですね。
そうですね。結成前後からこれまでの話をしましたね。映画にできる話やできない話もありましたけど……(笑)。
━━ライヴハウスのステージに爆竹を投げ込む話は衝撃的でした(笑)。
あれは俺が話したんですけど、まぁ、昔からメンバーで一緒につるんで遊んでいたので、みんな話すことは大体一緒だったんじゃないかなぁ。“そういえばこのときにこんな人がいたな~”って、ほかのメンバーが話しているのを聞いて思い出したりすることもありましたね。
━━映画の内容は、OUTRAGEを演じる役者である主人公たちが、映画のなかでの自身の現状とOUTRAGEの歴史を重ねることで成長していくという、いわゆる青春群像劇となっていますが、安井さんの青春時代はどのような感じだったんですか?
そうですね……20歳のときにアルバム『BLACK CLOUDS』でポリドール・ミュージックからメジャー・デビューしましたけど、それ以前は、ヴォーカルの橋本(直樹)以外のメンバーとは小学校から一緒で。中学に入ってからずっと一緒にバンドをやっているので、青春時代といえば、もうずっとバンドのことばかりですね。
━━安井さんはベース自体は12歳くらいで始めたそうですが、それは阿部(洋介/g)さんや丹下(眞也/d)さんとは関係なく手にしたんですか?
そうですね。小学校6年生、12歳の秋頃にベースを買ったんですけど、そのときは別の人とやっていました。その小学校がちょっと変わっていて。年代と地域的に子供が少なくて、学年に2クラスしかなかったのに、なぜかバンドが3つくらいあって。阿部や丹下と一緒にバンドをやり始めたのは中学生になってからです。
━━ベースを手にした小学校6年生の時点で“プロ”は意識していたんですか?
意識していたんでしょうね。よく小学校を卒業するときに、将来の夢を書いたり録音したりするじゃないですか。今でも覚えているんですけど、小学校の卒業のときに“ビートルズみたいに音楽をやりたい!”って答えたんです。実は俺は洋楽はビートルズから入っているので。もちろん、すごく深く考えていたわけではないけど、そう答えていましたね。
━━OUTRAGEは中学生のときに始めたコピー・バンドが母体なんですよね?
はい。詳しい時期はちょっと覚えていないですけど、最初はヴァン・ヘイレンとかエアロスミスのコピーをやっていましたね。
━━結成の翌年にはすでにオリジナル曲を演奏していたそうですが、ということは、中学後半とか高校生にはもうオリジナル曲で活動していたことになりますよね。ずいぶん早熟なのかなと思うんですが。
年齢でいうと16〜17歳くらいの頃にはオリジナル曲を作り始めていましたね。形は変わっていますけど、その当時に作った曲を今も演奏していますよ。早熟かどうかはわからないですけど……確かに、同年代のバンドはそんなにいなかったですね。同級生のパンク・バンドがオリジナルをやってはいましたけど、大体が年上の人たちで。彼らはオリジナルをやっていたから、環境的に自分たちもオリジナルをやるのが当然っていう感じはありました。
━━歌詞は最初から英語詞だったんですか?
そうですね。2015年に出した『GENESIS I』で日本のバンドのカバーをやったんですけど、あれがOUTRAGE史上初の日本語歌詞です。
━━きっと当時の同年代の人たちの活動と比べて、すべてのことが意識的に早いですよね?
おそらくそうですね。音楽的にも、最初はヴァン・ヘイレンとかアメリカのメジャーなハードロックをやっていたんですけど、高校入学前後くらいにアイアン・メイデンとかのニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(NWOBHM)が出てきて、そこに飛びついて、どんどんマイナーなほうに行ったりして。それで“こういうのがやりたい”ってなって、オリジナルを作り始めていったんですけど、コンテストとかではあまり理解されなかったですね。当時はライヴハウスに出るような実力もないし、ライヴハウスっていうのは大人が出るもんだと思っていたので、コンテストによく出ていたんです。そこで“何をしたいのかよくわからない”みたいなことをよく言われました。
━━それは最先端すぎて、っていうことですか?
うーん、どうだろう……いわゆるスラッシュ・メタルの原型みたいなものだったんですけど、当時はそういうバンドがいなかったので……“なんか聴いたことのない音楽だな?”って思っていたんじゃないかな。だから“審査員特別賞”とかそういう感じでしたね。パフォーマンスに審査員がアドバイスとかをくれるんですけど、“うるせぇや!”って思っていました(笑)。“まぁ言ってることはわかるけど!”みたいな。
━━映画でも語られているようにOUTRAGEは地元の名古屋にこだわって活動していますが、OUTRAGE結成当時の名古屋の音楽シーンってどんなものだったんですか?
名古屋に老舗のElectric Lady Land (E.L.L)っていうライヴハウスがあるんですけど、それが自分たちの住んでいるところからわりと近いんですよ。そこでその当時よく観ていたのが、今も活動しているTHE STAR CLUBとか。彼らは定期的に出演していて、毎月観ていましたね。ハード系で言うとSNIPERとか。もちろん彼らは全然年上なので、半分プロを観るような目で観ていました。あと先輩にTILTっていうバンドがいるんですけど、知り合いのお姉さんの紹介でTILTのライヴに行って通うようになって、一瞬ですけどローディーもやったりしていました。一緒に東京について行ったりして、神楽坂エクスプロージョンでTILTやSABBRABELLSとかのステージを目の当たりにして。当時16歳でしたけど“自分もここに出たいな”って思ったのを覚えていますね。
━━名古屋のバンドって、特に地元愛が強いような気がします。
そうかもしれないですね。実際THE STAR CLUBとか、今で言うとlynch.とかもそうですけど、みんな東京に行かず名古屋に住んでいるじゃないですか。取材があると今はリモートでもできますけど、大体は東京とか大阪に行ったりするんです。でも、東京に行くのだって東名に乗れば数時間で行けますしね。それでみんな名古屋にいるんだと思うんですけど。例えば東京だとどこかから出てきて東京にいる人たちが多いと思うんですけど、名古屋や大阪って地元の人が多くて、そこで生まれ育ったって人が多いと思うので、そういうのもあるんじゃないかなと思いますね。