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    【BM Throwback】リンキン・パークのフェニックスが語る、『Meteora』でのバンド復帰(2003年4月号)

    新作アルバム『From Zero』を11月15日(金)にリリースし、2025年2月には12年ぶりとなる日本公演の開催が発表されるなど“新生リンキン・パーク”に注目が集まっている。

    ベース・マガジンの過去のアーカイブから、“いま改めて読みたい”記事を紹介する『BM Throwback』。今回は彼らの再始動にちなんで、2003年4月号に掲載された本誌の独占インタビューでのリンキン・パークのベーシスト、フェニックスの発言を紹介したい。

    本インタビューは彼らの2作目のアルバム『Meteora』リリース時のもの。2000年にリリースした『Hybrid Theory』でデビュー作にして全世界で1,500万枚以上のヒットを記録したリンキン・パークだが、デビュー作のタイミングではバンドに正式ベーシストはおらず、本作『Meteora』でオリジナル・ベーシストのフェニックスが復帰する形となった。その経緯について彼はインタビューで以下のように語っている。

    ━━あなたはリンキン・パークのオリジナル・ベーシストだそうですが、前作『ハイブリッド・セオリー』の時にはバンドを離れていました。今回バンドに復帰したわけですが、その経緯を教えてください。

     僕は大学時代を通してふたつのバンドでプレイしていたんだ。高校時代からずっと一緒にプレイしていたバンドがもうひとつあって、それと同時にリンキン・パークもやるようになっていたんだよ。で、学校を卒業した時に、ちょうど高校の時から一緒にやっていたバンドでツアーに出ていたんだ。そのバンドで1年半ほどツアーに出てしまっていたから、その期間はリンキン・パークと一緒に活動することができなかった。でも高校時代からやっていたバンドのメンバーの中には、ほかにやりたいことが出てきた人とかもいて、結局そのバンドは解散の道を辿ることになってしまったんだ。それで、僕はリンキン・パークに戻ることになったんだよ。で、僕がツアーに出ていた1年半の間に、リンキン・パークはレコード契約を取りつけることができて、アルバムのレコーディングをしたんだ。
     ライヴの時にはリンキン・パークは臨時のベーシストを雇ったりしていたんだけど、フルタイムで別のベーシストを雇ったりはしなかった。だから僕もこのバンドにしっくり戻ることができて、とても嬉しく思っているよね。実際、リンキン・パークのファースト・アルバムに収録されている曲の多くは僕がみんなと一緒に書いたりしたものだったりするからさ。そういう意味でも、バンドに戻ってファースト・アルバムの曲をプレイすることだって、僕にとっては大変ナチュラルなことなのさ。

    『Meteora』の制作背景や、フェニックスの低音哲学が語られている本インタビューの全文は、ベース・マガジン2003年4月号からチェックいただきたい。

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    ◎本記事が掲載されている号

    ベース・マガジン2003年4月号