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    【亀田誠治の60枚】自身が語る、ベーシスト/プロデューサーとしてのスタイルを形成した“心の名盤”たち【後篇:1979〜2024年】

    J-POP、J-ROCKに興味がある人間であれば、この名は一度は耳にしたことがあるだろう—亀田誠治。縦横無尽かつ変幻自在、それでありながら曲を最大限に生かす唯一無二のベース・プレイは、日本の音楽シーンに多大な影響を与え、ベース・アプローチのひとつの雛形を作ったと言える。また日本を代表するプロデューサー/アレンジャー/作詞作曲家としての活躍は、誰もが知るところだろう。

    ここではそんな日本のポピュラー・ミュージック史に名を刻む亀田誠治を60枚のアルバムや楽曲からひも解いていく。ベーシスト、そしてプロデューサーとしての彼の歩みを支えた名盤や、心に深く刻まれた音楽の数々……亀田がどのようにして独自の音楽スタイルを確立していったのか。その歩みを振り返りながら、厳選された60枚とのエピソードを通して自身の音楽遍歴を明かしてもらった。

    ※本記事は『ベース・マガジン2024年8月号』のコンテンツをWEB用に再構成したものです。

    ▼前篇はこちら▼

    厳選された60枚とともに語られる、
    亀田誠治の音楽遍歴【後篇】

    PROFILE

    亀田誠治
    Photo by Yoshika Horita

    かめだ・せいじ●1964年⽣まれ。音楽プロデューサー・ベーシスト。これまでに椎名林檎、平井堅、スピッツ、GLAY、いきものがかり、JUJU、石川さゆり、ミッキー吉野、Creepy Nuts、アイナ・ジ・エンド、[Alexandros]、FANTASTICS from EXILE TRIBEなど、数多くのアーティストのプロデュース、アレンジを手がける。2004年に椎名林檎らと東京事変を結成。2007年と2015年の日本レコード大賞にて編曲賞を受賞。2013年、J-POPの魅力を説く音楽教養番組『亀田音楽専門学校(Eテレ)』シリーズが大きな話題を呼んだ。2021年には映画『糸』にて日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。同年、森雪之丞氏が手がけたロック・オペラ『ザ・パンデモニアム・ロック・ショー』では舞台音楽を、2022年夏には、ブロードウェイミュージカル『ジャニス』の総合プロデューサーを担当した。2019年より開催している、親子孫3世代がジャンルを超えて音楽体験ができるフリー・イベント“日比谷音楽祭”の実行委員長を務めるなど、さまざまな形で音楽の素晴らしさを伝えている。また、2019年より、親子孫3世代がジャンルを超えて音楽体験を楽しめるフリー・イベント「日比谷音楽祭」の実行委員長を務めている。2025年は5月31日(土)・6月1日(日)の2日間にわたり開催され、来場者数は合計14.5万人を記録。現在、クラウドファンディングによる支援が6月25日(水)まで受け付けられている。次回「日比谷音楽祭2026」は、2026年5月30日(土)・31日(日)に開催予定。

    ◎Information
    HP 日比谷音楽祭

    ◎日比谷音楽祭2025クラウドファンディングは2025年6月25日(水)まで
    亀田誠治に直接ベースのよろず相談もできる「亀田誠治とのオンラインMEET&GREET」コースもあり!
    日比谷音楽祭2025クラウドファンディングの詳細はこちらから👇
    日比谷音楽祭2025クラウドファンディング
    「亀田誠治とのオンラインMEET&GREET」コース

    31:TOTO
    『Hydra』(1979年)

    この流れに本当にびっくりしました

     『Hydra』はすべてのミュージシャンの呼吸がクリエイティブに混ざり合っていて、TOTOはこの作品で完成したと思っています。「99」はデヴィッド・ハンゲイト(b)のスラップからスティーヴ・ルカサーのゆったり歌うギター・ソロになり、そこから熱くなっていくと思ったら、ハンゲイトのメロディアスなソロで終わるという……この流れに本当にびっくりしました。目指すべき“音楽の流れ”を見た作品です。

    32:ピンク・フロイド
    『The Wall』(1979年)

    あらゆる分野のクリエイターが彼らの影響下にある

     彼らの音楽の革新性を楽曲のみならず、映像やジャケット、ライヴ演出といった視覚的要素でも取り入れることに成功した作品です。音楽がほかのカルチャーと融合していくウネりを見せた時代のことを知るうえで、僕にとってこのアルバムは辞書のような存在と言えるでしょう。音楽に限らない、あらゆる分野のクリエイターが、何かしらの形でピンク・フロイドの影響下にあると考えます。

    33:ウェザー・リポート
    『8:30』(1979年)

    歌心があり、献身的でもあるジャコのプレイ

     1979年頃から、ジャズ・フュージョン・ブームのなかでインストゥルメンタルの作品を聴きまくるようになります。ウェザー・リポートは全員が素晴らしいミュージシャンの集合体ですが、ひと際輝いて見えたのがやっぱりジャコ・パストリアスの存在ですよね。歌心があり、献身的でもある本作でのプレイは、彼のソロ作品とはまた違った印象を与えてくれます。今でも自分のプレイに迷ったときに聴くアルバムですね。

    https://open.spotify.com/intl-ja/album/28wOtMFI6i3HEbY6C2JAFy?si=ihlorf6-T-O9quSw8tJXhw

    34:ゴダイゴ
    『銀河鉄道999』(1979年)

    16ビートを日本でいち早く取り入れた存在

     ゴダイゴは16ビートやダンス・ミュージックをいち早くヒューマンな形で取り入れていて、日本にないものを生んだと思います。タケカワユキヒデ(vo)さんの作る英語を取り入れたメロディ・ラインと、ミッキー吉野(k)さんの卓越したキーボード・センスも素晴らしい。アイドルがたくさん出ていた当時の歌番組でこの曲をお茶の間に届けた、そこにも彼らの存在意義があると思いますね。リスペクトしかないです。

    35:バグルス
    『The Age of Plastic』(1980年)

    悲しい出来事もポジティブに届ける

     「Video Killed The Radio Star」は“ラジオスターがMTVに消されてしまう”と歌った曲ですが、明るく爽やかに作られているのが素晴らしい。悲しい出来事もポジティブな曲調で届けるのは、ポップスの本質だなって。その後バグルスが生んだ音は80年代を切り拓いていきますが、そのミュージシャン・スピリットに惚れています。この曲のコーラスがかかったベース・ラインだけで、ごはん何杯も食べられます(笑)。

    36:矢野顕子
    『ごはんができたよ』(1980年)

    「ひとつだけ」は、生涯の10曲を挙げるなら必ず入る

     シンガー・ソングライターの時代を作ったのがユーミンなら、シンガー・ソング“プレイヤー”の時代を作ったのは矢野顕子さんだと思います。演奏しているYMOや、現代音楽、クラシック、ジャズなど、矢野さんがさまざまな音楽と混じっているのは、彼女自身が卓越したピアノ・プレイヤーなのが大きいのかなと。「ひとつだけ」は“一生のうち好きな音楽を10曲挙げるなら”と言われたら必ず入る曲ですね。

    37:ダリル・ホール&ジョン・オーツ
    『Voices』(1980年)

    80年代に最先端のポップスを鳴らしていた

     ホール&オーツは、80年代のブルー・アイド・ソウルの響きのなかで最先端のポップスを鳴らしていたと思います。特に「Kiss on My List」はTR-808のリズムを取り入れていたり、ヤマハCPのピアノの刻みが入っていたりするんですけど、このサウンドが80年代初頭のシグネチャー・サウンドになったんじゃないかなって。とにかく街鳴りしていた曲で、高校1年生の僕は夢中になって聴いていましたね。

    38:デヴィッド・サンボーン
    『Voyeur』(1981年)

    マーカス・ミラーと出会ったきっかけ

     「Run For Cover」は僕がマーカス・ミラー(b)と出会うきっかけになった曲です。サンボーンとマーカスのお互いに高め合う関係があったからこそ、のちにマーカスは彼の『As We Speak』などをプロデュースしています。素晴らしいベース・サウンドと、誰が聴いてもサンボーンだとわかるサックスのサウンドが、この時代に生まれたんですよね。『Voyeur』は当時レコードが擦り切れるくらい夢中になって聴きました。

    39:グローヴァー・ワシントンJr.
    『Winelight』(1980年)

    マーカスとスティーヴ・ガッドが奏でるリズム

     「Just the Two of Us」は、“丸ノ内サディスティック進行”とも呼ばれる、あのコード進行の楽曲ですね。グローヴァー・ワシントンJr.のサックスも、ヴィル・ウィザースの歌も素晴らしいし、マーカス・ミラーとスティーヴ・ガッド(d)が奏でるリズムは、ゆったりしたなかにもファンキーで隙間があり、歌心もあって、全部の楽器が聴こえてきます。この前久々に聴いたら全曲のベース・ラインを思い出すことができて、泣けました。

    40:シカゴ
    『Chicago 16』(1982年)

    デヴィッド・フォスターがバンドにもたらした革新

     僕が大好きなプロデューサーのデヴィッド・フォスターが手がけ、それまでブラスロック・バンドだったシカゴに打ち込みのドラムとキーボードを加え、生まれ変わらせてしまったアルバム。ピーター・セテラの素晴らしいベース・ラインもシンベに置き換わって、楽曲のクオリティはさらなる高みに到達しています。時代を変えたヒット・サウンド「Hard to Say I’m Sorry」が収録されたこのアルバムを挙げたいと思います。

    41:マイケル・ジャクソン
    『Thriller』(1982年)

    「Human Nature」でのスティーヴ・ルカサーのギター

     言わずと知れた名盤ですが、なかでも特に「Human Nature」はマイケルの歌声やスティーヴ・ルカサーのアルペジオが本当に美しくて、大好きな曲です。この曲でルカサーはコンソール卓に直接ギターをつなぎ、ディレイをかけて一発で弾いたそうで、本当にすごいなと。2013年のクインシー・ジョーンズの来日公演でトリビュート・バンドに参加したときにはこの曲をクインシーの目の前で演奏させてもらい、感無量でした。

    42:エヴリシング・バット・ザ・ガール
    『Eden』(1984年)

    アコースティック・サウンドの教科書

     大学生の頃、ネオアコにハマっておりまして。僕にはアコギを弾いて曲を作り、女の子のヴォーカルと一緒にライヴしていた時代があります。ベン・ワットの奏でるギター・サウンドとトレイシー・ソーンの歌声が大好きでした。『Eden』というアルバムは、ネオアコの時代のサウンドを象徴していると思う。僕がプロデューサーとしてアコースティック楽器を導入する際の基準も、ここから確立されたような気がします。

    43:大沢誉志幸
    『CONFUSION』(1984年)

    大学2年生、アレンジへの興味を掻き立てた一曲

     「そして僕は途方に暮れる」を初めて聴いたのは大学2年生のとき。それまで聴いたことのないようなサウンドが流れてきて、“誰の洋楽かな?”と思ったら、日本語の歌詞が流れてきて驚きました。大村雅朗さんがアレンジを担当しているのですが、僕はこの曲がきっかけで、アレンジやサウンド・デザインに興味を持ち始めました。ちなみに、ベースはトニー・レヴィン。NYの腕利きミュージシャンたちの演奏も素晴らしいです。

    44:ヒューマン・リーグ
    『Crash』(1986年)

    黒人プロデューサーが生んだ名曲「Human」

     「Human」という曲はジャム&ルイスのプロデュース楽曲ですが、黒人である彼らが白人グループをプロデュースすることによりジャネット・ジャクソンにも通ずるようなコード進行やビート感が楽曲に溢れているのが素晴らしい。80’sの豊かなサウンドが感じられる曲で、当時“プロデューサーが変わると音楽がこんなにも変わるんだ!”と実感しました。プロデューサーの存在を徐々に意識し始めたのもこの頃からです。

    45:U2
    『The Joshua Tree』(1987年)

    ディレイで構成されたギター・サウンドの衝撃

     リアルタイムでこの名盤に出会って、勇気と力をもらいました。大学5年生(笑)のときだったと思います。「With or Without You」の、ディレイで構成されているエッジのギター・サウンドに衝撃を受けました。当時はどの楽器が何をやっているのか想像もできませんでしたが、とにかくカッコよかった。ボノの歌うメッセージ性も素晴らしい。アルバムの作品性の高さ、そしてサウンドの革新性のインパクトをよく覚えています。

    46:エンニオ・モリコーネ
    『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988年)

    情感豊かなオーケストラの“手触り”

     大好きな作曲家です。映画音楽が持つ、総合芸術としての素晴らしさを教えてくれたのがモリコーネでした。今聴くと、イタリアのオーケストラが演奏しているからか、情感は豊かですが、ピッチや演奏は大まかで(笑)。でも、それがかえって感動を与えてくれる。今の時代の音楽制作ではいくらでもエディットで整えられますが、本当の意味での音楽はモリコーネにあるのではないか? そんな気づきを与えてくれます。

    47:サザンオールスターズ
    『真夏の果実』(1990年)

    プロデュースの意義を学んだ決定的瞬間

     初めてこの曲を街中で聴いたときに、どう聴いてもサザンの音ではないと感じたんです。でも、途中から桑田さんの歌声が聴こえてきて。サザンオールスターズ&小林武史の編曲だと知ったときから、僕は“プロデューサー”という職業の存在をより強く意識し始めました。そのアーティストが持っていなかったものを作り上げて、それが大ヒットして愛される。そのときに感じたプロデュースの3段階を今でも目指しています。

    48:カーペンターズ
    『Best of Best+Original Master Karaoke』(1992年)

    “亀田誠治サウンド”の大いなる基準

     リチャード監修のもとカレンのトラックだけをミュートしたアルバムです。ときおりほかのトラックに歌がこぼれて、うっすらとカレンの声が聴こえてきて切ないんですよね。ジョー・オズボーンのピック弾きや歌物に対するアプローチはもちろん、ストリングスはじめ僕にとってすべてのアレンジのお手本になっているのが本作。亀田誠治サウンドの基準はここで大いに高まったと言っても差し支えないですね。

    49:マライア・キャリー
    『Music Box』(1993年)

    打ち込みのお手本にしていたアルバム

     マライアは当時からスーパースターでしたが、この作品ではアーティストとして成長した彼女の歌声が聴けます。また、ウォルター・アファナシェフというキーボーディスト兼アレンジャーの打ち込みが本当に素晴らしい。僕がアレンジャーとして仕事を始めた頃、レコーディングのお手本にしていました。素晴らしい作品というものは、時間とお金と愛情をもって作られるのだということを教えてくれた一枚です。

    50:エリック・クラプトン
    『Change The World』(1996年)

    ベテラン再ブレイクの裏に名プロデュースあり

     これはクラプトンの何度目かのブレイクだと思うんです。クラプトンのさまざまな歴史のなかで、このときほどポップなブレイクはなかったんじゃないかな。また、R&B畑のベイビーフェイスがジャンルを超えてクラプトンをプロデュースしたという点も、亀田誠治が推す理由があると思います。アーティストが何度も不死鳥のように立ち上がる瞬間を僕は手助けしたいと思っていますが、この曲は僕にとってそういう存在です。

    51:ビョーク
    『Homogenic』(1997年)

    椎名林檎デビューへとつながる異形の音像

     ビョークの作品は、椎名林檎さんのデビューにつながるような、新しいサウンドを模索するうえでバイブルになりました。それ以前のビョークもさまざまなジャンルの作品を出していましたが、『Homogenic』あたりからデジタルと歪みが入り混じった、もはや和音もビートも分からないような自由なサウンドになっていって。“この音はどうやって作るのだろう?”と、当時は一生懸命調べていたのを覚えています。

    52:レディオヘッド
    『OK Computer』(1997年)

    なんでこんな斬新な音像が作れるのだろう

     ビョーク、レディオヘッド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ。この3組が90年代の僕を新しいサウンドに導いてくれました。当時の日本ではミリオンヒットがたくさん出ていたけれど、似たようなサウンドに溢れるなか、なんでこんなに斬新な音像が作れるのだろうと夢中で聴きました。全曲、身体のなかに入っています。音楽家としての自分を次の高みに導いてくれたのが、『OK Computer』です。

    53:レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
    『Californication』(1999年)

    一期一会の瞬間を封じ込めた名録音

     彼らがそれまでやってきたサウンドのすべてが本作でひとつになったように思います。指と弦が擦れる音や、ミスタッチのような音までも聴こえてくる生々しさがあり、それも含めてセンターから“ドーン!”と鳴る、録音とミックスが本当にカッコいい。レディオヘッドやビョークの作り込んだ音の良さとはまた違う、音楽の一期一会の瞬間を作品に封じ込める録音のマジックに出会えたことに感謝しています。

    54:コールドプレイ
    『Viva La Vida or Death And All His Friends』(2008年)

    エポックなサウンドが生まれる瞬間

     コールドプレイは「Yellow」だったり、それ以前もヒット曲はありましたが、この作品で世界中から認知されるようになりましたね。当時、みんなが「Viva La Vida」というアンセムに夢中になっていた。J-POPのなかにも影響を受けたアレンジの楽曲がたくさんありました(笑)。そういったエポックなサウンドが生まれる瞬間が大好きです。どの時代の彼らも素晴らしいですが、この曲は僕の人生の1曲ですね。

    55:テイラー・スウィフト
    『1989』(2014年)

    世界の“女子”代表、ポップへの大胆な変貌

     テイラーも“推し”なんです(笑)。特にこの時期にサウンドがガラッと変わり、マックス・マーティンとシェルバックのプロデュースでポップに生まれ変わる。それまで批判もされていたアーティストが、ヒット曲と知名度を得ることで唯一無二の無敵な存在になる瞬間が「Shake it Off」だったと思います。テイラーは世界の“女子”代表のような存在で、背負っているものは非常に大きい。世界の音楽シーンで今でも超重要な存在ですね。

    56:シーア
    『1000 Forms of Fear』(2014年)

    何千、何万曲聴いたなかでも“どツボ”の楽曲

     僕のツボにハマるメロディ・ラインというものがあって。今まで聴き込んできた何万曲というアーカイブのなかで「Chandelier」のコード進行や歌の動きが、全方位で僕のハートを射止めた感じがあります。プロデューサーはグレッグ・カースティンという人なんですが、彼の音が大好きです。当時はサム・スミスが出てきたり、アコースティックのサウンドへと還っていくような動きがアメリカの音楽シーンのなかにありましたね。

    57:アデル
    『25』(2015年)

    最高のヴォーカリストを音楽業界が信じている

     アデルはヴォーカリストとして最高の役者ですね。音楽業界が、アデルに対して素晴らしいプロデューサーや楽曲を提供したい、彼女が歌えば最高のものになると信じている感じがします。また、アルバムのなかでも「When We Were Young」は特に素晴らしい。ほかの曲はほとんどシンべですが、この曲には生のベースが入っています。このベース・ラインが本当に素晴らしいので、ぜひ聴いてみてください。

    58:ザ・キッド・ラロイ
    『Stay(with Justin Bieber)』(2021年)

    サブスク時代のヒット曲が持つ力

     3年前のヒット曲ですが、今でも1日に2~3回はラジオでかかっています。サブスク時代に世界中で長く愛され再生され続けているのは、それだけ楽曲の魅力が強いということ。カーオーディオで聴いても、最高級イヤホンで聴いても胸がときめく、ヒット曲の持つ力を改めて感じます。3分のなかで生まれる奇跡、誰かの人生を勇気づけ、暗かった一日も忘れさせるような、そういう力をヒット曲は与えてくれます。

    59:オリジナル・サウンドトラック
    『Barbie The Album』(2023年)

    新時代のアーティストたちが示す音楽の力

     『サタデーナイト・フィーバー』(1977年)を初めて観たときの感動と同じで、映画の内容もさることながら、とにかく音楽が素晴らしい。ラストの「What Was I Made For?」を歌うビリー・アイリッシュが大好きなんです。自分の部屋で、お兄ちゃんとパソコンひとつで作りあげた音楽が世界中の人の心に届いて、グラミーを獲得して……やっぱり音楽の力ってすごい。その素晴らしさを分かち合えるアルバムだと思います。

    60:ジョン・ウィリアムス
    『John Williams in Tokyo』(2024年)

    君の演奏も誰かの人生を変えるかもしれない

     昨年観たコンサートを最後の1枚に挙げます。彼の音楽を聴くと、どこまでも行けるような感じがするんです。この日、映画音楽のレジェンドのためにサイトウ・キネン・オーケストラが奏でた渾身の演奏は素晴らしく、鳥肌が立つほどのものでした。読者の皆さんにも、みんなが弾くベースが誰かの心を動かしたり、何十年後かに誰かの人生を変えたりするかもしれないよ、ということを伝えたいですね。

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