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    【追悼】️マニが残したベース名演10曲【前篇】

    • Text : hiwatt
    • Photo : Brian Rasic / Getty Images

    2025年11月20日、ゲイリー・“マニ”・マウンフィールドがこの世を去った。享年63。1980年代末、ザ・ストーン・ローゼズで頭角を現わし、ロックとダンスを融合させた“マッドチェスター”のグルーヴを決定づけた彼は、リッケンバッカー4005を低く構える姿で時代のアイコンとなった。その後はプライマル・スクリームでダブやインダストリアルへの適応も見せて表現を深化。愛すべき人柄でローゼズ再結成の立役者ともなった。ここでは、両バンドの名曲に加え、イアン・ブラウンのソロや客演、エイドリアン・シャーウッドによるダブ作まで、その歩みを象徴する10の名演を音楽ライターのhiwattが紹介する。

    ザ・ストーン・ローゼズ、英ケンブリッジ “コーン・エクスチェンジ” でのライヴ・ショット(1995年)
    ザ・ストーン・ローゼズ、英ケンブリッジ “コーン・エクスチェンジ” でのライヴ・ショット(1995年)

    1. ザ・ストーン・ローゼズ
    「Waterfall」
    (Live from Other Side of Midnight/1989年)

    ベーシストとしてのマニが教えてくれた大切なこと。そのひとつは、ベースがバンドアンサンブルのボトムを形成するためのものだけでなく、アトモスフィアを作り出すことのできる楽器だということだ。いくつかのプレイスタイルを楽曲によって使い分けるマニだが、この曲で聴けるような、ハイ・ポジションでのテンションのかかるタイトなプレイもそのひとつで、そのフレージングが醸し出す清涼感は、サウンドスケープの中心を掌握している。

    特に、しなやかにスウィングするレニのドラムと魅せるこの曲でのコンビネーションは、時代を代表する名演だ。ファクトリー・レコーズの創始者である、トニー・ウィルソンがホストするこの番組でのパフォーマンスは、地元で顔を売るきっかけとなった。1stアルバム『The Stone Roses』期を象徴する、ジョン・スクワイア(g)がペイントしたリッケンバッカー4005を持ち、飄々と演奏するマニが印象的。

    2. ザ・ストーン・ローゼズ
    「I Wanna Be Adored」
    (Live At The Hacienda/1989年)

    この頃から変わらず、目が少し隠れるほどの長い前髪を揺らしながら演奏するマニ。ファクトリー・レコーズが運営していた、今はなきザ・ハシエンダ。マンチェスターの文化遺産的なベニューでのライヴは、微かな緊張感と熱狂の前触れを感じさせるムードで充満している。

    ザ・スミスの終焉とともに、マンチェスターの王位を継承するようにして現われたザ・ストーン・ローゼズだが、この曲を聴いてもわかるように、ザ・スミスやジョイ・ディヴィジョンからの影響が色濃い。2000年に本誌のインタビューでも語っていたことだが、真っ先に名前を挙げるほど、ピーター・フックからの影響が強いようで、それが彼がピックでプレイしていた要因だろう。この曲においては、ベースの習得期間であったと語るだけのこともあり、その印象が強いのかもしれないが、ただ、そんなマンチェスターの血脈を受け継いだだけではなく、それをレイドバックした格好でアトモスフェリックに表現するところに、彼のオリジナリティを見出すことができる。

    『ベース・マガジン2000年4月号』
マニのインタビュー記事
    『ベース・マガジン2000年4月号』
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    3. ザ・ストーン・ローゼズ
    「Fools Gold」
    (1991年)

    ザ・ストーン・ローゼズは4人のマンキュニアンによるバンドであるが、彼らがマンチェスターという英国北部に位置する、クラブ・カルチャーの一大拠点で育ったからこそこの曲は生まれた。まず、1989年当時のイングランドのバンドがヒップホップを取り入れたことが革命的なのだが、サンプリング元のボビー・バードによる「Hot Pants… I’m Coming I’m Coming」は彼らが直にノーザン・ソウルに触れてきたがゆえの引用である。それに、セカンド・サマー・オブ・ラブの熱が沸る時流に、英国的なサイケデリアや、ファンカデリック由来のファンク・ギターとシャッフル・ビート、それらのヒッピーイズムのオリジンが彼らの哲学に同期した。

    また、マンチェスターという人種が混在し、あらゆるジャンルのクラブが乱立する土地性、特にカリブ系移民が鳴らすレゲエ/ダブは、タイトなリズムのこの曲において、よろめくグルーヴを付与するマニのベースに影響があったのは明確だ。これらの奇跡が重なったからこそ、マッドチェスターの象徴的なアンセムとして君臨し続けている。

    4. プライマル・スクリーム
    「Burning Wheel」
    (Live from Later with Jools Holland/1997年)

    『Screamadelica』(1991年)という、マッドチェスターにおける、延いては音楽史に残る金字塔を打ち立てたプライマル・スクリーム。続く『Give Out but Don’t Give Up』(1994年)では、オーセンティックなロックンロールへと揺り戻したが、ブリストル・サウンドのブレイクスルーという時流もあり、ボビー・ギレスピーは再びダブへの欲求に突き動かされる。

    そうしてこの『Vanishing Point』に至るわけだが、『Second Coming』(1994年)のツアーとともに、ザ・ストーン・ローゼズでの終わりを迎えたマニに白羽の矢が立つのは必然であった。厳密に言えば、「Burning Wheel」の録音はマニの演奏ではなく、アルバムでも2曲しか弾いていないが、ザ・ストーン・ローゼズの2nd以降、ファンキーさを増したマニのベースは、この時期のプライマルに完全にフィットしているのが演奏からもわかる。この頃からリッケンバッカーのモデル3000を使用している。彼の長年のギターテックであるマーティン・ハーバートが、手の小さい彼にショートスケールのこの機種を薦めたのだとか。

    マニが表紙の『ベース・マガジン2000年4月号』
    マニが表紙を飾った2000年4月号。バックグラウンドや演奏哲学を語ったロング・インタビューが掲載されている。

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    5. プライマル・スクリーム、エイドリアン・シャーウッド
    「First Name Unknown」
    (『Echo Dek』収録/1997年)

    先日、UKダブの総帥、エイドリアン・シャーウッドの来日公演を鑑賞した。その日はマニが亡くなった日で、ライヴ中もこのアルバムが頭から離れなかった。『Echo Dek』(1997年)は、シャーウッドによる『Vanishing Point』(1997年)のダブ・アルバムで、原作のマテリアルを大胆にエディットし、ダブ・ミックスしたものだ。

    ダブの哲学として、ベースは三大栄養素のひとつに数えられるもので、シャーウッドも例に漏れずベースを重要視している。「First Name Unknown」の原曲「Kowalski」は、のちのプライマルのインダストリアル路線を予感させるもので、マニのベースもまたヘヴィでノイジーなのだが、シャーウッドはレゲエのノリがある部分を切り抜き、そこをキメとして用いている。これがやたらとかっこいい。ザ・スリッツや故マーク・スチュワートなど、UKのパンク・ミュージシャンとダブ/レゲエの架け橋となってきたシャーウッドの手腕により、見事な調和を見せている。

    後篇でもさらなるベース名演を紹介!

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    ◎執筆者プロフィール

    hiwatt●1995年生まれ、大阪在住。世界のインディ音楽や、アンダーグラウンドの電子音楽などについての執筆活動を行なう。マンチェスター・シティFCをこよなく愛する。
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