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山本連が語る“グルーヴの原点”。原体験からバークリーでの学びまで【BMG連載:プロフェッショナルの裏側】<前篇>
- Interview : Shutaro Tsujimoto (Bass Magazine Web)
- Photo : Chika Suzuki
セッション・ベーシストのキャリアの軌跡や使用機材に迫る「BMG (Behind the Masterful Groove)連載〜プロフェッショナルの裏側」。
第6回は、STEREO CHAMPやLAGHEADSのほか、MHRJ、kiki vivi lily、離婚伝説など幅広い現場で活躍する山本連。アメリカン・ポップスをルーツに持ち、バークリー留学などの経験を通じて独自のグルーヴを培ってきた。約3年半ぶりに再始動したSuchmosのライヴ/レコーディングにも参加し、注目を集めている彼にその歩みを聞いた。
ダニー・ハサウェイの『Live』が、
“グルーヴィな音楽”の原体験だったと思います。
——ベースを始めたきっかけから聞かせてください。
父が趣味でバンドをやっていたので、確か1974年製だったと思うんですけど、家にフェンダーのプレベがあって。それを自然と弾き始めた感じです。
——楽器を始める前から、音楽を聴くのは好きだったんですか?
J-POPは聴いてましたけど、マニアックな音楽を聴くようになったのはベースを始めてからですね。父親がハードロックとかブルースのバンドをやっていて、そういうものが家では流れてたんですけど、あんまりピンとこなくて(笑)。親がずっと爆音でかけていたので嫌いになっちゃって……。
——その頃はどういう曲をベースでコピーしていたんですか?
ブルースとかは好きになれなかったんですけど、アメリカン・ポップス好きの母親が、キャロル・キングやダニー・ハサウェイ、アース・ウィンド&ファイアーとかを聴かせてくれて、それには影響を受けていて。ダニー・ハサウェイの『Live』(1971年)を聴いて、“わぁ、かっけー”みたいになりました。いわゆる“グルーヴィな音楽”みたいなものの原体験だったと思います。
——何歳くらいの頃ですか?
中学2、3年生くらいですかね。このアルバムの2曲目の「The Ghetto」のベース・ラインが簡単なループみたいな感じだったので、それを最初にコピーしました。そのあとに1曲目の「What’s Going On」をコピーしたけど、さすがに難しくてなかなか弾けなかったのを覚えています。
——ロックではなくて、ソウルやファンクが音楽の入り口になったんですね。
ロックはね……いまだに弾けないんですよね。激しい音楽を全然聴いてこなくて。ロックで聴いてたのはレッチリくらいかな。でも、ヒップホップはめっちゃ好きでした。実家ではMTVが流れてたんですけど、ヒップホップはその影響で好きだったし、それを入り口にアメリカン・カルチャーを好きになっていった感じ。
——山本さんは1990年生まれなので、中学生というと2000年代前半のことですよね。
そうですね。エミネムとかが流行っていて、それこそ映画『8 Mile』(2002年)とかの時期です。自分はどちらかと言うとスヌープ・ドッグやザ・ルーツなどのヒップホップや、アッシャー、R・ケリーなどのR&Bが好きで、ベースでもそういうのをコピーしてました。簡単なループ一発ものみたいなのが多いので(笑)。
——卒業後は2012年に洗足学園音楽大学のジャズ・コースに進学します。
勉強ができなかったので(笑)。“進路どうしよう?”みたいに悩んでいるときに、叔母が洗足出身だったからか親から洗足のことを教えてもらって。高校が同じだったドラマーの澤村一平(SANABAGUN.)も誘って一緒に行くことになりました。

——ちなみに、そこまでベースは独学で学んでいたんですか?
地元の音楽教室みたいなところには行ってました。そこで習った先生がバークリー(音楽大学)に行ってた人で、めっちゃうまかったんです。ジャズだけじゃなくて、ファンクとかラテンとかブラジルとか、いろんな音楽を教えてくれました。あと、鎌倉のジャズ・クラブ“DAPHNE”というお店のセッションに遊びに行くようになりました。全然ベースは弾けなかったですけど、セッションにも参加して“体感はしていた”みたいな感じでしたね。そこにいる大人たちからも、いろいろなことを教えてもらいました。
——その頃は、どんなベースを弾いていたんですか?
父親のプレベと、あと自分ではフェンダー・ジャパンのフレットレス・ベースを最初に買ったんですよ。
——フレットレスですか!(笑)
ジャコ・パストリアスが好きだったので。知り合いから『ジャコ・パストリアスの肖像』(1976年)を教えてもらって「Donna Lee」を聴いて、“これ、ベースで弾いてるんだ!”って衝撃を受けました。
——ジャコ以外には、当時どんなベーシストが好きでしたか?
タワー・オブ・パワーのフランシス・“ロッコ”・プレスティアは好きでした。ロッコとジャコってちょっと似てるところあるじゃないですか? “ポコポコ”というか、“トゥクトゥク”と細かく弾く感じとか。
——例えば、LAGHEADS「どうして髭を? feat. KIRINJI」(2024年)の山本さんのベース・プレイとかは、ロッコっぽいプレイだなと思って聴いていました。
確かにそうかも(笑)。でもネタバレをすると、あれはヘッドハンターズのポール・ジャクソン(b)とマイク・クラーク(d)の教則ビデオがあるんですけど、そこに出てくるジャムのモチーフをリファレンスにしてるんですよ。だからあれはロッコじゃなくて、実はポール・ジャクソンなんです。
——同時代の音楽については、その頃はどんなものを聴いていましたか?
高校3年生のときにロイ・ハーグローヴ(tp)のRHファクターに出会って聴いていました。当時、めっちゃ流行ってましたね。そこからロイ・ハーグローヴつながりでディアンジェロやエリカ・バドゥを聴くようになりました。
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