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【BMG連載】まきやまはる菜インタビュー【後半】セッション・ベーシストとしてのキャリアのはじまり
- Interview:Hikaru Hanaki
- Photo:Chika Suzuki
- Logo Design:Tako Yamamoto
本記事ではまきやまはる菜のインタビュー後半をお送りする。
インタビューの前半はこちらから。
ベランダで練習した動画を見たマハさんがDMで声をかけてくださいました。
——帰国したのは何歳のときですか?
バークリーを途中で辞めてしまったので21歳のときです。まず地元の熊本に戻って、それからすぐに上京しました。当時はミュージシャンのつながりがほとんどなかったので、R&Bやファンクのセッションで有名な下北沢music bar rpmに通い詰めていました。そのときにできた人脈が今につながっていますね。
——最初にいわゆるポップスの仕事をしたのはどこの現場ですか?
マハラージャンさんですね。私が上京したタイミングがコロナの1年前で、セッションに行きまくって、やっとミュージシャンとつながったくらいでコロナの自粛期間になってしまったんです。家から出られないし、仕事もないし、部屋にいたら苦しいからベランダで練習した動画をインスタに上げていたら、それを見たマハさんがDMで声をかけてくださいました。
マハラージャン「権力ちょうだい」
(まきやまが参加した日比谷公園大音楽堂での公演)
——マハラージャンさんのバンドのベーシストと言えば、その前はハマ・オカモトさんやSuchmosのHSUさんが弾いていましたよね。
はい。なので、すごく嬉しかったし、めちゃくちゃ緊張しました(笑)。
——最初はライヴのサポートからですか?
そうです。最初に連絡をいただいたときは1ヵ月後くらいのライヴに出る予定だったんですが、数日後に“明後日、大阪のフェスでベースを弾けませんか? 明日出発予定です”って連絡が来て。“明日!?”と思ったけど、とりあえず曲をもらって、その日のうちに徹夜でガーッと曲をさらって、翌日大阪に行きました。それが最初ですね。
——それはすごいですね。
すごく緊張しました。それまで自分がやっていたライヴやセッションとはステージの大きさも環境も全然違って。入場制限がかかるくらいお客さんがぎっちりいました。緊張しすぎて自分の演奏も聴こえないし、必死に譜面を見てたから、その日の記憶はほぼないんです。そこからマハラージャンさんのライヴ・サポートが始まって、SuchmosのTAIKINGさんのソロに声をかけていただいたり、ライヴを観た方にまた声をかけていただいたりして今の活動になっています。
まきやまがサポートを務めたTAIKINGのライヴ映像
(2022年2月/渋谷 CLUB QUATTRO)
やっぱりジャズとポップスだと、ベースに求められる歌い方が違う。見える世界が変わった感覚はありますね。
——ルーツだったジャズの世界からポップスの世界に入るとベースの役割が全然違うと思うのですが、そのあたりはどうですか?
言い方が難しいのですがやっぱりジャズとポップスだと、ベースに求められる歌い方が違うというか、ヴォーカルがいるぶん楽器の位置づけがはっきりしているので、見える世界が変わった感覚はありますね。その視点からだとまた尊敬するベーシストが増えていったりもして。
——どんなベーシストでしょう?
日本のベーシストだと亀田誠治さんにはやっぱり憧れますし、ハマ・オカモトさんは影響も受けたし本当に大好き。コロナ禍にベランダでベースを弾いていたときはOKAMOTO’Sのベース・ラインをコピーしたりもしていました。
——まきやまさんはサポート活動のほかに、自身のバンド、パジャマで海なんかいかない(PAJAUMI)でも活動していますが、バンドへの加入経緯を教えてもらえますか?
パジャ海はもともと別所和洋(k)さんのソロ・プロジェクトで、最初はサポートとして私とSeiya(d)くんに声がかかり、そこにほかのメンバーも加わって5人で活動していくなかで“もうバンドでいいんじゃない?”とバンドとして始まりました。5人のルーツは大体ブラック・ミュージックとかジャズにあるんですけど、根本的なところだったり向いている方向はバラバラで。それ故の集まったときに起こる化学変化が唯一無二の音楽を生んでいると思っています。
パジャマで海なんかいかない「Trip」(2022年)
——サポートとしては最近だと、柴田聡子さんのニュー・アルバムがあります。
柴田さんはおそらくパジャ海を聴いてくださっていて、共通のマスタリング・エンジニアさんの紹介で依頼をいただきました。最初はライヴのサポートからお声がけいただいて、今回のアルバムにも参加させていただきました。柴田さんのバンドは個人的な感覚としては自分のスタイルに一番近いのかなって思っています。
——ライヴでも音源でも5弦ベースがすごく生きているなと感じました。
ありがとうございます。柴田さんのチームはベース・ラインに関しては完全にお任せで、好き勝手に弾かせてもらっているんですけど、けっこう実験的な挑戦とかもやらせてくれて本当に楽しいですね。ライヴで演奏する既存曲に関してはもともとは4弦ベースでアレンジされていたんですが、演奏してみて5弦が合いそうだなと思って5弦にアレンジしています。印象的なリフとか曲にとって重要な部分を残しながら。曲の骨組みをもらってそこに自由に肉付けをしていく、というのは自分の仕事で大事にしていることですね。
まきやまがレコーディングに参加した柴田聡子「Reebok」(2024年)
——所有しているベースについて教えてください。
フェンダー・ジャパンのJVシリアルのジャズ・ベース、1963年製のプレベ、あとはフェンダーの現行のアメリカン・ウルトラの5弦ベースが、特によく使う3本ですね。
——最近ステージで使っているアート・テックのベースについてはいかがですか?
あれは知人に借りているものなんです。アート・テックでは今新しい自分のベースをオーダーしているところですね。
——メインの3本のベースはどんな風に使い分けていますか?
スピード感が欲しいときは4弦のジャズ・ベースを使って、パキパキした音が欲しいときはアッシュ、メイプルでアクティヴにもなるウルトラを使うことが多いです。基本的に、ポップスでは4弦のジャズべが多いですね。
——63年製のプレベはライヴでも使っているのでしょうか?
ローがふくよかすぎてライヴにはあまり合わないので、おもにレコーディングで使っています。これは上京したときに腹を括るために買った1本で、パーツ類はすべてオリジナルなんですけど、たぶん前のオーナーがボディとネックを削ってリフィニッシュしていて、ボディも軽いしプレベだけどネックも細いんです。それが自分の体にはすごくぴったりで、ヴィンテージなのでそれなりの価格でしたが即決したベースですね。
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※本記事は『ベース・マガジン2024年5月号』のコンテンツをWEB用に再構成したものです。