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藤本ひかりが語る、赤い公園の解散から歩んだ4年と“サポート”という新たな道【BMG連載:プロフェッショナルの裏側】<前篇>
- Interview : Hikaru Hanaki
- Photo : Kanade Hamamoto
セッション・ベーシストのキャリアの軌跡や使用機材に迫る「BMG (Behind the Masterful Groove)連載〜プロフェッショナルの裏側」。
第7回は、2012年に赤い公園のベーシストとしてデビューし、2021年の解散を経て、現在は秋山黄色、君島大空トリオ、粗品、青木陽菜、黒猫CHELSEA、Q.I.S.といった多彩な現場で存在感を放つ藤本ひかり。彼女はいかにしてサポートワークを始め、新たな領域に歩み出したのか──ベーシストとしてのルーツから現在の使用機材まで、その軌跡を語ってもらった。
“エンジョイ!”って言ってあげられるように。この先もずっと大事にしたい心持ちです。
——まずはルーツのお話から聞かせてください。ベースを始めたのはいつ頃ですか?
高校で軽音楽部に入って始めました。あるあるだと思うんですけど、本当はギターがやりたかったけど人気の楽器だったので、自分がベースをやればバンドが組めるっていう状態で。“じゃあやってみようかな”と気軽な気持ちで始めました。
——その当時はどんな音楽を聴いていたんですか?
テレビから流れてくるポップスが好きで聴いていたんですけど、中学のときに先輩がミドリのCDを貸してくれて、それにすごく衝撃を受けたことを覚えています。“急に殴ってくれてありがとう!”みたいな感覚がありました。
あと、こちらも中学生のときの話なのですが、バンドをやっていた知り合いのお姉さんのライヴを観に、母親とふたりで西荻窪のライヴハウスへ行きました。そこでの体験も印象深いです。そこから一気に世界が広がり、バンド・サウンドの音楽に興味を持ち始めました。ベースを弾くようになってからは、チャットモンチー、東京事変、UNCHAINなどをおもにコピーしていました。
——憧れていたり、影響を受けたベーシストというと誰でしょうか?
かっこいいなとか素敵だなと思う方はいるのですが、あまり特定の人に“影響を受けた”って感覚がないんです。逆に“誰かの影響を受けられる”って才能だなと思っていて。もしかしたら私はそういうのができないタイプかもしれないと思っています。一番大きい影響でいうと、赤い公園にかなり影響を受けているんだなって、今でも改めて思いますね。
——バンド解散後に、現在のようにさまざまな現場でベーシストとして活動することは考えていたんですか?
当時は赤い公園を盛大に終わらせることにすべてをかけていたので、先々の時間への不安もありながら、解散後のことは何も考えられなかったです。
——サポートワークを始めるきっかけは何だったんでしょう?
赤い公園のラストライヴが終わった2ヵ月後くらいに、今サポートしている秋山黄色くんのスタッフさんから“サポートをやってみませんか?”というお話をいただきました。最初は、“人違いじゃないですか?”と思っていたんですけど、“右も左もわからないけど、とにかくやってみよう!”と思い、引き受けることにしました。どこかで大きな決意をしたというよりは、“気づいたら、そこから今まで来ちゃった”という感じです。
——最初の現場は覚えていますか?
秋山くんのライヴのリハーサルでした。本人とはバンド時代に一度ご挨拶したくらいでしたし、サポートメンバーの方とはそのときに初めて顔を合わせました。とにかく緊張の連続でそのときのことはほとんど覚えていません。
そのなかでも忘れられないことがあって。リハーサルのために久々にエフェクター・ボードを開けたら、すごくホコリ臭くて。あのときの匂いと感情はうまく言葉にできないけど、サポートワークを始めたときの気持ちを思い出せるので忘れないようにしたいです。
あとは最初のリハーサルの帰り道、“ああ、もうひとりなんだな”って思って泣きながら帰ったのを覚えてます。それまでもバンド以外で活動することはあったけど、赤い公園という帰る場所があったから音楽ができていたんだ、と実感しましたね。

——実際のライヴはいかがでしたか?
半年ぶりくらいに人前で演奏したので、ステージに立ってからが本当に緊張しました。けど“私はライヴが好きだ”と改めて思った日でもありました。
——サポートの活動がメインになると、ひとつのバンドを続けていくのとはまた違う苦労があると思うのですが、まずどんなことが浮かびますか?
サポートを始めたときは車の免許を持っていなかったので、機材運搬がかなり大変でしたね。
——リアルな苦労ですね(笑)。
バンドのときは運んでくれるマネージャーがいましたからね。フリーになってから免許を取って車も買って……今では運転がすっかり楽しいです。サポートになって苦労したのは、音楽的な部分というよりは、事務的なことのほうが多いかも知れません。ビジネスメールの書き方とか、請求書の出し方とか(笑)。
——現在は秋山黄色さん、君島大空さん、粗品さん、青木陽菜さんなど、多彩な現場で活躍されています。サポートの現場ではどんなことに気をつかっていますか?
サポートワークではあんまり自我みたいなものがないかもしれないですね。その人のやりたいようにできたり、その人がリラックスしてステージに立てたらいいな、というのをすごく考えています。
——メンタル面が先にくるんですね。
こっちが焦っていたりすると本人にも伝わってしまうと思うので、緊張感を出さないよう気をつけています。赤い公園のときのローディーさんがいつも私たちをステージに送り出すときに“エンジョイ!”って言って送り出してくれていたんです。それってすごく素敵だなと思って。どうしても、緊張したり、うまくいかなかったりすると、バンドがどんどんシリアスになってしまうので、“エンジョイ!”って言ってあげられるように。この先もずっと大事にしたい心持ちです。
一緒に音楽をする人がいつもより大胆に歌えたり、楽器が弾けたり、安心して音楽ができていたら嬉しいです。自分にできることを考えたときに、そういう気持ちでいることかなと日々思っていますね。


——素敵な心がけですね。演奏面では、どのようなことに気をつかっていますか?
ベースに関しては、基本的に音源に忠実に弾きます。でも“自由にやっていいよ”って言われることもあって、そこは自由にやらせてもらっています。
——時には無茶振りなどもあったりするんじゃないですか?
大変だったのは、レコーディングの音源が録音前日の夜中に届くとかですかね? 赤い公園のときは先にデモがあって、スタジオでいろいろ試してからレコーディングに臨んでいたので。あとは当日“初めまして”の人と演奏したりとか。これまでになかった経験がたくさんできています。
譜面も最初はほとんど読めなかったのですが、“譜面は共通言語だから読めるようにしたほうが良いかもね”とアドバイスをいただいたことがあり、自分で調べたり友だちに教わったりしながらコードの勉強を始めました。今は昔より理解できるようになりました。もっと仲良くなりたいです。
——覚える曲も膨大ですよね。
サポートワークを始めてから300曲近くは覚えたんじゃないかな。バンドの頃はなかったことなので、脳がびっくりしています(笑)。それを積み重ねていくなかで、得意なことと苦手なことのバランスも見えてきて、“まだまだ頑張りたい”、“できることを増やしたい”という気持ちです。
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藤本ひかり(ふじもとひかり)
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