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    INTERVIEW – ニコル・ロウ(インキュバス)

    • Question:Koji Kano
    • Translation:Tommy Morley
    • Photo:Kazumichi Kokei(Main),Chika Suzuki(Page 2)

    世界的アーティストを手がける
    米国の女流セッションマンが語る哲学

    アメリカ西海岸の重鎮、インキュバスに加入したベーシスト、ニコル・ロウは、いま世界で最も注目を浴びる女性ベーシストのひとり。ニコルはこれまでにマイリー・サイラス、デュア・リパ、パニック!アット・ザ・ディスコといった世界的アーティストのサポートを手がけてきた敏腕セッションマンだ。今回、インキュバスが6年ぶりの来日公演を果たしたタイミングで、ニコルへ単独インタビューを敢行。自身のベーシストとしてのルーツ、そしてセッションマンとしてキャリアを形成していく過程を振り返ってもらった。なお7月19日発売のベース・マガジン8月号【SUMMER】では、インキュバスへの加入に至った経緯のほか、5月にリリースされた再録作『Morning View XXIII』におけるベース・アレンジの裏側を語ってもらっている。そちらもあわせてチェックいただきたい。

    ベースという楽器と互いに恋に堕ち、プレイを追求することが何より重要だと思っていた。

    ━━あなたがベースを始めたのは何歳の頃ですか?

     確か16か17歳の頃だったと思うわ。ベースを手に取る以前から音楽活動はしていて、歌、ピアノ、ソング・ライティングなど、たくさんのことをやっていたし、近所の友人たちと音楽を作るような活動もしていたの。そのなかで10代半ばを過ぎた頃に真剣にベースを始め、18歳で音楽学校のMIに入学して以降、ベースに関するいろいろな知識を学んだわ。

    ━━MIに通い始める以前はどのようにベースを学んだのですか?

     タブ譜をいろいろなところで見つけてコピーしてみたり、友人たちとガレージでプレイしたりってところね。

    ━━ガレージでプレイしていた当時はどんな音楽をプレイしていましたか?

     あの頃はスカやハードコアをプレイしていたわ。私が生まれ育ったカリフォルニアのフレズノという街にはヘヴィなハードコア・シーンがあって、ストレート・エッジのキッズなんかもたくさんいた。グランジィでダーティな、汗が飛び散るようなライヴが日々繰り広げられていたの。でもロサンゼルスに出てきて以降、私のなかにある音楽の世界は大きく変わっていったわね。

    ━━あなたのルーツとなった音楽もハード・テイストなものなのですか?

     決してそういうわけではなくて、ザ・ルーツからレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンまで何でも聴いていたわ。ヒップホップも聴いていたし、サブライムやランシドみたいなヘヴィなものだって聴いていたの。でもベースを学び、真剣に取り組むようになってからはファンクやソウル、R&Bをたくさん聴くようになっていったわね。

    ━━ではあなたのベース・スタイルを作り上げた作品を選ぶとしたら?

     『Black Radio』(ロバート・グラスパー・エクスペリメント)は大切な一枚ね。ほかにもエリカ・バドゥとジル・スコットは私の心を掴んでくれた人たちだし、ディアンジェロみたいなアーティストは私を新しい方向性へと導いてくれたわ。

    ━━ということは『Voodoo』もハズせない一枚ですか?

     わかっているじゃない(笑)。確実にそうね!

    ━━では影響を受けたベーシストは誰になりますか?

     ベーシストとして成長しようと努力していた頃に出会ったヴィクター・ウッテンね。私にとって彼は神様みたいな存在だったわ。ほかだとどんな人かしら……。

    ━━あなたはマーカス・ミラーのシグネイチャー・モデルも使用していますが、マーカスもあなたのヒーローのひとりですか?

     もちろん! 若い頃は彼みたいなスラップをしてみたいと思っていたわ。あと今の私にとって、デリック・ホッジも大きな存在。彼が作り出すオリジナルなプレイが大好きで、ベースでレイヤーを作り出すことだったり、明確な意図を感じる彼のメロディには影響を受けたわ。彼はそういったすべてのプレイを組み合わせることで、美しくて派手過ぎない唯一無二なものを生み出している。それでいて魂に訴えかけるようなものを彼の音楽からは感じられるの。

    ━━音楽学校MIを卒業以降、マイリー・サイラスやデュア・リパをはじめとした多くのアーティストのサポート・ベーシストとしてキャリアを積んできましたが、あなたのキャリアの原点としてはどういった仕事になりますか?

     私のプロとしてのキャリアは、ロサンゼルスでさまざまなライヴ・バンドに参加するローカルな活動から始まったの。毎日のように新しいバンドのリハーサルに参加して、それまで彼らがやってきたレパートリーの曲を覚え、ステージに立つことをひたすら繰り返していたわ。だから“コレ!”っていう定まった活動じゃなくて、かなり流動的だったと思う。そういった活動をしばらく続けるなかで、カヤ・スチュワートのツアー・メンバーに抜擢されたの。ちなみに彼女はユーリズミックスのデイヴ・スチュワートの娘なんだけど、彼女のサポート以降、大きなオファーを貰えるようになっていったわ。

    ━━カヤ・スチュワートのサポートがひとつのきっかけになったと。

     そういうこと。ツアー経験としては彼女が初めてだったけど、徐々にスケールの大きなアーティストと仕事をするようになり、トロイ・シヴァンやデイヤのサポート・ミュージシャンとしてツアーに帯同するようになっていった。その後、マイリー・サイラスとも仕事をするようになったりと、かなり短い期間で駆け抜けていったような気がするわね。

    ━━もともとバンドマンではなく、サポート・ベーシストとして将来を思い描いていたのでしょうか?

     そういったことよりも、第一に“ベースの腕を磨く”ということに頭が向いていたと思う。その結果どうなるとか、誰とプレイするかということはそこまで考えていなかったわ。ベースという楽器と互いに恋に堕ち、プレイを追求することが何より重要だと思っていたから。

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