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セッションマンたちの流儀 2020 “Another Edition”①-Toshihiro
- Interview:Koji Kano
- Photo:Hiroto Kawagoe
現在好評発売中のベース・マガジン8月号にて、表紙&巻頭特集で実施したSPECIAL PROGRAM『セッションマンたちの流儀 2020』。特定のバンドにだけ所属するのではなく、さまざまなアーティストのレコーディングやライヴで演奏する“セッションマン”の姿を約50ページにわたって特集した。
今回、BASS MAGAZINE Webでは本誌のスピンオフ企画として【セッションマンたちの流儀 2020 “Another Edition”-アイドル戦国時代にベーシスト在り】を実施。“戦国時代”とも言われる現在のアイドル・シーンを支える2名の凄腕ベーシストを紹介する。
“挫折”を乗り越えたどり着いた、確固たるヘヴィ・サウンド
スクリーモ、メタル、エレクトロニコアといったラウドな音楽性を武器に日本のアイドル・シーンで圧倒的な存在感を放つ4人組アイドル・グループ、PassCode。“アイドル×ラウドロック”という特異な構図を見事に体現し、そのサウンド、ライヴ・パフォーマンスはアイドルファンのみならず、コアな音楽ファンからも支持を集めている。そんなPassCodeにおいてサウンドをよりヘヴィに、そしてドラマチックなものに進化させているバック・バンドのメンバーのひとりがベーシストのToshihiroだ。“チームPassCode”ではベーシストであると同時にバンド・マスターも務めるToshihiroはこれまでどういった道を歩み、今後どのようなビジョンを描いているのだろうか。シーンの最前線をいくアイドル・グループを支える、ひとりのベースマンの真髄に迫る。また今回、PassCodeから南菜生にもインタビューを実施(3ページ目)。活動をともにするメンバーの目線からToshihiroの魅力を語ってもらった。
“自分はどこまでやれるのか”という
自分自身への挑戦という意味合いもあった。
━━ベースはいつから、どんなきっかけで始めたのですか?
小学生の頃からピアノやエレクトーンをやっていて、中学では当時ヴィジュアル系やパンク系のバンドが流行っていたこともあり、実家にあったアコースティック・ギターでそういったバンドの楽曲を練習していました。高校の軽音楽部に入部した当初もギターをやっていましたが、僕はギターのリフやストロークを練習する際に、口でベース・ラインを口ずさみながら練習していたので、当時からベースには興味を持っていました。そんなときギターに行き詰まってしまい、気分転換にベースを弾いてみたところ、日頃からベース・ラインを口ずさんでいたこともあって、音が手に取るようにわかって……“これならベースやったほうがええやん!”ということでベーシストに転向しました。
━━ベース・ラインを口ずさむというのは珍しいですね。
“ベースの低音があって初めてギターのハーモニーが生まれる”と思っていたので、口でベースの代わりをしていました。当時は登下校の合間もずっとベース・ラインを歌っていましたね(笑)。ギターが自分の声のベースとハモるのが気持ち良かったです。
━━PassCodeにはどういった経緯で参加したのですか?
高校卒業後は音楽の専門学校に進学したのですがそこで音楽に挫折してしまって、卒業後の20代の約10年間は音楽から一切離れ、普通にサラリーマンとして生活していたんです。そのあと30歳でmy-Butterflyというバンドへの加入をきっかけにベーシストとしての活動を再開したのですが、加入して2年ほどでバンドは解散してしまいました。ちょうどそのタイミングで10代の頃のバンド・メンバーから急に連絡がきて、“PassCodeっていうアイドルのバック・バンドのベースを弾かないか?”と誘われてリハーサルに行ったのがきっかけですね。正式に参加したのは2016年です。
━━音楽をやめるほどの挫折とは……?
“なんで自分はこのフレーズが弾けないのか、なんで思いどおりにできないのか”という自分自身への挫折です。ただ、音楽から離れた20代の頃も音楽への思いは断ち切ることができなくて、あえて音楽を遠ざけて常に卑屈な感情を抱いていました(笑)。30歳でバンドの世界に戻ったとき、周りは年下ばかり、知っている人はもうほとんどおらず、10代の頃に自信を持っていたベース・プレイもすべて新しいことに変わっていたので、吸収することが多すぎて今まで触れてこなかったジャンルの音楽やベース・プレイを貪欲に追及して、基礎からやり直しました。
━━30歳での活動再開にはどういったきっかけ、思いの変化があったのですか?
専門学校時代の友人から、“ベースを探しているバンドがあるから、リハ見にこうへん?”と唐突に連絡がきて、最初は“バンドとか、そんなんもうええから”と何回も断っていたのですが、たまたま家の近くのスタジオでリハをやるとのことで、何となく会社帰りに見学に行ってみたんです。最初は黙って見ていたのですが、見ているうちにだんだん我慢できなくなって……“ちょっとベース貸してや、こんな感じで弾いたらええんやろ”と弾いてみたところ、予想以上に高評価をいただき、そのあとメンバーのお誘いを受けたんです。もう一度バンドマンとして活動を再開することには悩みましたが、“ずっと心のどこかに引っかかっている音楽への思いや後悔を晴らしたい”、“もう一回やり直すには今しかチャンスがないのでは”と自分のなかに湧いてくる強い気持ちを感じて加入を決めました。
━━my-Butterfly、そしてPassCodeはハードコア、メタルといったラウドなサウンドが特徴ですが、もともとToshihiroさん自身こういった音楽性がバック・ボーンにあるのでしょうか?
高校の頃はヴィジュアル系やパンク系のシーンが盛り上がっていたので、自分もそういうバンドをやっていましたが、好きだったというよりかは何よりもセッションすることが好きだったので、一緒に混ざりたいという思いでそういった音楽をやっている感覚でした。専門学校でもミクスチャー系のバンドをやっていたので、30歳で音楽を再開したときに体がラウドな音楽を覚えていたこともあってすぐに対応できたと思います。
━━現在PassCode以外にサポートしているアーティストはいますか?
最近だと声優の工藤晴香さんやインディーズで活動されているアイドル・グループ、CMソングのレコーディングに参加しています。PassCodeとは違ったJ-POP系の楽曲で、もともとそういった音楽は得意でもあったので特に違和感なく自然にプレイできています。
━━Toshihiroさんはずっとバンドマンとしてプレイをしてきたわけですが、当初サポートという立場に対してどのようなイメージを持っていましたか?
正直、最初は苦手意識がありました。やっぱり“ベース・ヒーローになりたい”という思いが大前提としてあったので、一歩下がって影の存在になるということに抵抗があったのかもしれませんね。ましてやアイドル音楽を今まで自分はとおって来てなくて、何もわからない、誰も知らないというところに飛び込んだので、“自分はどこまでやれるのか”という自分自身への挑戦という意味合いもありました。やる前は“プレイに細かい注文が出されてそれをこなす”というイメージが強かったのですが、実際やってみると、それまで僕がバンドでやってきたスタイルを全部受け入れてもらえたので、バンドマンとしての自分をそのまま切り取ってプレイしている感覚です。とはいえ、自分のやりたいことと求められていることが完全に一致することはなくて、それは遠かったり近かったりするので、両者が譲れない部分を両方実現するための方法を考えたり、自分を犠牲にして求められていることに全力で注力することもある意味楽しみだと思っています。
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